ドゥーガル・ディクソン&ジョン・アダムス
小川隆章作画『フューチャー・イズ・ワイルド』




 夏休みである。というわけで相変わらず今年もぼくのサイトに「読書感想文 パクリ」というフレーズ検索でやってくる中高生とおぼしきイナゴの群れがアクセス解析にその「魚影」を残している。

 夏休みといえば科学番組であるが(強引な展開)、新居でケーブルテレビが見られるようになり、動物の生態ばかり映している「アニマル・プラネット」をよく見る。この前は、深海の映像だったが、深海に沈んだクジラの死体を、えーっとたしかヤツメウナギの一種のようなやつらがウジのごとくむらがって1年以上かけて食べ尽くしている映像にほとほとやられてしまった。

 また、深海の奥底に、より比重の重い液体でできた「湖」があって、はっきりとまわりの海水と分離しているので、本当に湖があるように見える映像もみた。その湖の上を深海魚がひらひらと「飛んで」いく様子や、そのような言語を絶するような過酷な環境においても生態系が存在しているという映像&事実にクラクラしてしまった。

 もう亡くなったわが祖父は「野生の王国」というドキュメンタリーを見るのが大好きで「こういうものは嘘がなくていい」と虚構の価値を真っ向から否定しつつ、喜々として視聴していたのを覚えている。これは時代劇好きだった祖母と好対照をなしている。
 漫画という虚構を愛し、政治という現実にいそしむぼくは、その祖父母のどちらの血もまさしく流れているわけである(笑)。


 さて、与太話はこれくらいで、本題へ。

フューチャー・イズ・ワイルド  少し前のことだがつれあいの実家に行っているときに、テレビのチャンネルを変えていると、いきなりカモメ+アザラシのような巨大な生物が画面に映り、ぼくも義父もびっくりしてしまった。

「へぇーこんな生物がいるんだねー」

などと驚きあっていたのだが、そんな生物はいなかった
 実はぼくらが見たのは想像上の動物をCGで描いたものだった。
 すでに番組としても有名だし、書籍にもなっているので知っている方も多いと思うが、『フューチャー・イズ・ワイルド』という番組で、未来の地球の気候や大陸の変化などを予測して、そこにどんな生物が存在するかを予想したものだ。「この動物たちはただのフィクションではない。一流の科学者が集結して、これまで地球上の生き物たちが歩んできた『進化』という道を未来へ向かって伸ばし、その先に現れるであろう動物を予測したものなのだ」(下記ページより)。
http://japan.discovery.com/we/we004/index.html

 ぼくが彼女の実家で見て驚いた「カモメ+アザラシ」というのは、「ガネットホエール」という想像上の生物で、「大量の哺乳類が絶滅した中、カツオドリの子孫であるガネットホエールは、極寒の地にもうまく適応。クジラ並の巨体にも関わらず、非常に速いスピードで泳ぎ、魚を捕らえる」とホームページには解説があった。
http://www.futureiswild.jp/characters.html

 イカが知的生命体になっていたり、ほ乳類はほとんど絶滅しかけてクモに家畜として養われているだけだったり、一つひとつの想像、そのディティールが知的好奇心をいたく刺激する。ついに全編、彼女の実家にいる間に見てしまった記憶がある。

 これはすでにテレビ番組になっているし、その書籍版も出ている。
フューチャー・イズ・ワイルド コミック版―驚異の進化を遂げた2億年後の生命世界 今回紹介する本書は、その「漫画版」である。

 大きく3つの時代が描かれ(500万年後、1億年後、2億年後)、その中が合計で8つのストーリーに分かれている。
 ぼくはまずこの漫画を手に取って、そしてざっと一読したとき、「よけいな企画」だという印象をまず受けた。
 つまり、「数百万年、数億年後の未来の生物を想像する」ということは、リアルなCGと、それを補完する図鑑的な説明があればもうそれで十分ではないかという思いだった。

 ぼくがだまされたCGについてはあえて語る必要もないだろう。「まるで生きて動いているようなCG」に素朴に驚き興奮したわけだ。これを漫画にすることは、よほど精密に描いたとしてももっとも単純な意味で「本物らしさ」に欠け、CGより劣ったものしか出来上がらないのである

 「図鑑的説明」というのは、その生物がどのようなものであるか、あるいはどのような環境を生きているのかということの詳細な解説、あるいは設定である。その設定自体が無類の面白さなのだ。

 たとえば、1億年後の「グレートプラトー」とよばれる高原では、ほ乳類の最後の末裔が生きているが、彼らは「もはや自ら生きる力さえない」。シルバースパイダーとよばれるクモは、高原の谷に網をはって、飛んでくる種子をつかまえる。その種子を、ポグルというネズミ的なほ乳類に運んでポグルを育て、ホグルは適宜シルバースパイダーのエサとなる、というわけである。
 この設定だけで、もう十分にいろんな感慨が襲ってくる。

「栄耀栄華をきわめたほ乳類は、1億年後には、自分で生きることさえもできず、クモに養われて食われるんかー」

 それ以外にもうほ乳類がいないというだけで暗澹たる気持ちになる。なんでぼくは、虚構上の設定でこんなに気持ちを暗くさせられねばならんのだ……。
 このように「設定」こそが、CGとならんでこの『フューチャー・イズ・ワイルド』という企画のリアリティの源泉になっているわけで、この漫画版はCGの質をひどく落としたうえで、余計な「物語」をつけているだけではないかと。あ、実は、番組や書籍では単に図鑑的な説明をほどこすだけだったのだが、漫画版では生物たちの「物語」を書いているのだ。それが余計ではないかとぼくは一読して思ったのである。

 実際物語そのものは余計だった。
 たとえば冒頭にスノーストーカーとよばれるツンドラに生きる大型肉食動物の物語を扱っていて、この動物の母子の「悲劇」、弱肉強食、世代交代を物語風に描いている。しかし、ぼくはどうにもこの物語に気持ちを乗せることはできなかった。スノーストーカーの生態について詳細に漫画で解説してくれた方のがはるかに原作のヴィヴィッドさを保持できたのではないかと思ったのである。

 しかし、それにもかかわらず、ぼくはけっこうこの本を開く。
 理由は単純である。
 番組のDVDを持っていないし、漫画版はDVDよりははるかに廉価だからだ。書籍版があるではないか、といわれるかもしれないのだが、それは「設定」は描いてあっても、「動いている」という描写がないことが致命的である。

 物語が余計だとぼくは描いたけども、物語そのものはそれほど気持ちが乗るものではなかったが、物語をつけることによって、動物たちが、ある緊迫感や必然性をもって動き出す。ただ単に、生態を図鑑的に描いているだけでは、こうした生き生きとした感じは生まれない。物語そのものはあまり出来がよくないので「余計」なのだが、しかし物語の出来不出来にかかわりなく、物語にしてあることによって確かにリアリティが生まれているのだ。

 たとえば500万年後の「アマゾン草原」の話。人類絶滅後に生き延びた最後の霊長類として「バブカリ」が登場する。その草原の食物連鎖の頂点に立っているのはカラキラーという獰猛な飛べない肉食の鳥である。
 バブカリがこのカラキラーから追われながらも、彼らなりの知恵を発揮してカラキラーを「落とし穴」へ集団的に落とす作業が描かれている。
 カラキラーを穴に落とすことにはいったん成功しバブカリたちは大喜びするのだが、次の瞬間、カラキラーはものすごい跳躍力をつかって穴から飛び出してきてしまうのだ。
 読者はバブカリVSカラキラーの対決の物語を、同じ霊長類を応援するような気持ちで読むであろう。そして、カラキラーが穴から飛び出してくるエピソードは、このアマゾン草原の王者の地位が、肉体的能力の並外れた卓越性に支えられていることを、読者は図鑑的にではなく物語の流れの中で自然につかめるようになっている。
 同時に、「知能が高い」霊長類であるバブカリだが、それはかなり限界のある初歩的なものだったのだな、というディティールをも読者は受け取ることになる。
 図鑑的な説明では得られない、立体的なリアリティが、「物語」を展開することで生じるのである。

 というわけで、DVDを買えない人は、漫画版を次善として手元においておけばいいんじゃないかと思う。





『フューチャー・イズ・ワイルド 驚異の進化を遂げた2億年後の生命世界』ドゥーガル・ディクソン ジョン・アダムス 作画:小川隆章
双葉社
2007.8.13感想記
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