瀬戸口明久『害虫の誕生』




 つれあいはゴキブリが死ぬほど嫌いである。
 虫の類は冷静に扱うのに、ゴキブリだけはどうにもダメらしい。結婚前、あるいは結婚してから子どもが生まれる前につれあいの家にいってゴキブリがでると、悲鳴をあげながらぼくに退治を依頼した。
 ぼくが丸めた新聞紙などでつぶしたりすると「尊敬するわー」と普段絶対に口にしない敬意を表明したりするのである。

 いま団地の上の階に住んでいることもあって、ゴキブリは入居以来1匹も部屋では見ない。蚊もほとんど上がってこない。なので「ここは天国ですか!?」とつれあいが叫ぶのもむべなるかなというものである。

 ぼくはゴキブリが無論好きではないが、ゴキブリを殺すことはそれほど嫌いではない。どちらかといえば「いいことをした」という快感がある。前に大学のペデストリアンデッキを大きなゴキブリが這っていたのを足で踏んづけたことがあったのだが、「うわっ」と周りの学生から悲鳴をあげられた。今でも道路などでゴキブリを見つけると追いかけて必ず踏みつぶす。この前、夜中にゴミを捨てにいったとき(福岡市では夜出します)、「あ! ゴキブリ」と思って急いでふみつぶしたら、カニだった。かわいそうなことをした。

 そういえば、2chの「京橋ゴキブリoff」の映像はなかなか興奮した。大阪・京橋駅のマンホールからゴキブリが山のように這い出てくる動画をみた2ちゃんねらーどもがオフ会を開いてゴキブリ退治を敢行したものである。

 マンホールに殺虫剤をかけて中のゴキブリをいぶり出し、それを殺すというイベントなのだが、やはり尋常でない数がおびき出され(4分ごろが圧巻)、一時駅周辺はパニックに。警官がやってくる騒動となった。
 出てきたゴキブリに殺虫剤をかけているというのがなんとも間抜けな話で、足やハエたたきで殲滅しろよと歯がゆく思ったものである。

 さて、このようなぼくのゴキブリ人生を振り返るだけでも、近代日本人のゴキブリというものへの接し方が如実に示されているといえよう。ゴキブリは撲滅を期さるべき存在であり、その殺戮は無条件に「善行」である。京橋ゴキブリoffをやった連中は自分たちの「善行」を疑わなかったに違いない。
 そして沢ガニという生物を殺すことは「悪」なのである。「かわいそうなことをした」というぼくの観念はそのような規範のうちにある。
 
 つれあいが質問を出す。「ゴキブリってなんであんなに気持ち悪いのかね」。これは同僚などからも出された質問だった。つれあいは、「あの平ぺったくて、光沢があるのが気持ち悪い」と見かけ説を主張した。彼女の実感には違いないだろうが、もう少し冷静なことをいつもは言う、つれあいらしからぬ発言であった。
 金(gold)が労働生産物であることを忘れ、金は光沢をもっているがゆえに貴重なのだ! というブルジョア的俗説に落ち込むのにきわめてよく似た回答ではないか。ゴキブリは存在そのものが気持ち悪さを万人に与えるものとして宿命づけられている——このつれあいの見解は、ゴキブリの「歴史性」を見ていないのである。

 ぼくはそのとき「衛生害虫だからじゃん」と答えた。汚い、不潔な場所に出入りし、菌などを媒介するためだ、というわけだ。ちなみにぼくの見解に反論しようとしたつれあいは「衛生害虫でもカマドウマ(便所コオロギ)はかわいい」などと主張したが説得力にまるで欠けたことは言うまでもない。

 
害虫の誕生―虫からみた日本史 (ちくま新書)  しかし、このぼくの答えもある意味で歴史性に束縛されたものであった。というのが本書『害虫の誕生』を読んでの最初の感想である。 

〈《害虫》とは何だろうか。……まずは身近な《害虫》の代表格であるゴキブリについて考えてみよう。家のなかを走り回り、黒光りするゴキブリの姿を見ると、ほとんどの人はぞっとして追い払おうとするだろう。けれどもゴキブリが現在のように身近な《害虫》となったのは、じつは戦後になってから、ごく最近のことなのである〉(p.7)

 ゴキブリ自体は食器=御器(ごき)にかぶりつく存在(ゆえに「ゴキブリ」)とし知られていたが、その屋内への出没で知られたのは江戸時代になってからのようである。しかもそもそも出現するのが食物が豊富な豊かな家庭に限られていて、一説によるとゴキブリは豊かさの象徴でさえあったらしい。野口雨情の「コガネムシは金持ちだ」の歌で歌われている「コガネムシ」とはチャバネゴキブリのことだという。

 瀬戸口によれば、近代に入ってからも高度成長まではそれほど裕福な家はなかったから、重要な害虫として認識されたのは高度成長以降だということである。

〈このエピソードは、現在私たちが《害虫》と呼んで当たり前のように駆除している生き物が、かつては害虫ではなかった場合があることを示唆している。《害虫》の境界線は、時代によって揺れ動いているのである〉(p.8)

 このように、瀬戸口はまず〈害虫〉という概念自体が歴史性をもったものであることを読者に語りかける。

 ぼくがこの本を読んでみて得た印象は、〈害虫〉という概念が誕生するのは近代であり、それ以前と以後とでは決定的に人々の認識が異なる、ということであった。〈人間にとって有害な虫をひとくくりにして総称する「害虫」というカテゴリーは、日本においては近代の産物なのである〉(p.12)。
 本書では、冒頭のゴキブリのエピソードにつづいて、明治時代の農民が「お札」をたてて害虫を駆除しようとしていたエピソードを紹介している。昆虫学社が近代的な駆除について話を持ちかけても一向にかみあわず、「お札」に固執する農民にあきれ果ててその場を立ち去る史料が引用されている。
 近世までの農民にとって、農作物被害をもたらす虫は自然発生するとらえられ、厄介で駆除したいものとは思われていたが、どうにもできない「天災」とみなされていた、と瀬戸口は言う。

 本書のタイトルの問いかけの答えは、「〈害虫〉概念の誕生は近代である」ということで答えが出ているような気がする。思想史的にいえば、本書の言っていることは、これ以上でもこれ以下でもないとぼくは思った。
 近代は資本主義の時代であり、近代科学の発展とともに、「応用昆虫学」が発達し、駆除すべき存在として〈害虫〉概念がまとめられていく。本書ではこのこうした〈害虫〉概念の浸透・拡大を戦争期まで追っている、というものだとぼくは感じたのである。
 逆に言えば「〈害虫〉概念の誕生は近代である」ということを肉付けしているにすぎないともいえる。悪い言い方をすると思想史的には本書については「〈害虫〉概念の誕生は近代である」ということ以上に得るものはない、と言ってしまえるような気がするのだ。

 しかし、その肉付けのリアルな史的展開こそ見てほしい、と瀬戸口は言うかもしれない。
 増産をめざす明治政府とそれまでの自然観をくつがえされて抵抗する農民たちとの闘争、植民地統治を始めることで本土にない気候・自然とむきあうことによって〈害虫〉駆除技術や社会動員が広がったこと、そして戦争における食糧増産と海外侵略の必要性からさらに拡大していったことが本書では明らかにされているのだ。

 瀬戸口は、エピローグで「近代=西洋=自然を征服されるべき存在とみなす=自然破壊思想」「近世以前=東洋=自然と共存=エコロジー」というような見方を批判している。そのうえで、本書では〈近代日本が経験してきたさまざまな出来事のなかから「害虫と人間の関係」が形成される過程を描いて〉(p.195)、そのことを通じて〈「自然と人間の関係」がそれぞれの時代の社会的な状況のなかから、どのように形成されたかを明らかに〉(同)しようとしたことを書いている。つまり〈害虫〉という〈望ましくない自然〉(p.195)を人々がどうとらえ、それがどう変わり、どのように対処を変えてきたか、ということである。
 そうしたことを考えてほしいがゆえに、過程を追ってきたのだ、と瀬戸口は言いたいにちがいない。

 具体的にそりゃ現代にどんなふうに生かされるんだい、と思う読者もいるだろう。瀬戸口はタガメの例をひいて、かつて〈害虫〉とみなされていたタガメが絶滅寸前まで追い込まれてしまったような行き過ぎについてふれている。

 ただ、まあ概して「〈害虫〉という概念は超歴史的・絶対的なものではなく、歴史性をもって形成されてきた概念であり、自然と人間の関係の変化によって大きくかわるものだ」ということをふまえておけば、シロウトの市民としてはそれでいいんじゃないかとぼくは思うのだが。

遅刻の誕生―近代日本における時間意識の形成 かつて橋本毅彦・栗山茂久編著『遅刻の誕生——近代日本における時間意識の形成』(三元社)を読んだ時、遅刻という概念が近代由来のものであり、さらにそれがフレックスのような形で「個人にあわせた働き方」、インターネットのような「個人の都合にあわせた科学技術」の発展によって、大幅に衰退し、変容していくのではないか、という未来を見通せたものだった。

※『遅刻の誕生』のぼくのレビュー

 そういう未来を展望するような感覚が本書にはあまりなかった。
 それを本書の「瑕疵」だとは思わないが、そういうものがあるとなおよかったなという程度には思ったものである。




瀬戸口明久『害虫の誕生——虫からみた日本史』
ちくま新書
2009.10.22感想記
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