グローバル経済と現代奴隷制/採点82点

「本著の題名は過酷な児童労働を比喩的に意味しているのだろうと、私は楽観して読み始めた。間違っていた。奴隷制は今でも広範に存在し、『現代奴隷制』と呼ぶ以外に適切な表現がないほどである」

これは本書にたいする書評の一部である。
(「しんぶん赤旗」12月2日付 山崎圭一・横浜国立大助教授)

本書への感想を要約すれば、この驚きにつきるだろう。

南米の売春宿で働いていた11才の少女が、ある男との性行為を拒否したが、男はナタで彼女の首を切断し、男は仲間にそれをみせびらかし、仲間は喝采をあびせる、という衝撃的な事実の紹介ではじまる。

タイの買春宿、モーリタニアの古典的な奴隷、ブラジルの炭焼き、パキスタンのレンガづくり、インドの農業奴隷、などの例が、紹介される。

奴隷は禁欲的に紹介された筆者の数字では2700万人、世界に存在する。これは17〜18世紀にアフリカから拉致された奴隷の2000万人を上回る。

とくに著者は、「発展途上国によくある、一般的な極貧の労働や児童労働」(これもひどい話だが)との区別をどの章でもおこなっている。奴隷制は、それらとはちがうのだ。

筆者は、一般の過酷労働とのちがいをしめすために、奴隷の定義にこだわる。「奴隷制とは、経済的搾取を目的として、一人の人間が別の人間を完全に支配することである」と定義している。巻末には、国際条約や宣言がおこなった「奴隷」の定義もある。

驚くことに、筆者は「今日、全世界で奴隷制が蔓延する環境が整っている」と指摘する。
第一に、人口爆発によって、いくらでも奴隷になるべき予備軍が大量生産されていること。
第二に、経済のグローバリゼーションと農業の近代化革命は旧来の農業を破壊し、ここでも奴隷予備軍を大量生産していること。
第三に、ここに発展途上国の暴力・腐敗などがこれを温存すること。
この3条件のもとで、奴隷制が芽をふく温床が提供されているのである。


胸を衝かれる指摘は、わたしたちの使っている製品と商品が奴隷労働によって生産されているかもしれず、あるいは、わたしたちの預金が、めぐりめぐって、このような奴隷労働への投資をしているのかもしれないという問題である。

サッカーボール、ギャップの服、自動車……。

筆者はW・グレーダーというジャーナリストの次のコトバを引用している。
「グローバル化した産業革命の真髄は次の点にある。個のアイデンティティーに関して、もはや自由な選択などできなくなった。……カリフォルニアの州民やスウェーデン人の理念や理想といった社会的価値は、タイやバングラディシュの工場で許容されている労働条件によって決まるのである」

わたしたちが、いくら自由や豊かさをほこっても、それは何かの犠牲の上にしかない、という指摘だ。

もちろん、経済の梯子を降りていけば、すべてが連関しあっている。それから完全に絶縁はできない。絶縁を求めれば、あらゆる商品を買わない、ということになってしまう。

ではどうしたらいいか?
というところまで、筆者は提案している。
すぐにできる5つの行動提起まで巻末に用意している。(この本を読んで、知り合いにわたす、というのも、その一つになっている。だから、これを読んだ人が読んでくれれば幸いだ。)

わたしが興味をひかれたのは、インドの事例だった。
一方で、いまの境遇にあきらめきった、無力感にとらわれた債務奴隷が存在する。そこでは無知と怯惰が支配している。とくに女性は。奴隷とは、まさにみずからその環境に順応する存在である。(ひと事ではない)
しかし、他方では、教育と、組織化が、この貧困から抜け出す武器を提供している事実もしめされる。

リーラという30才の女性の話が紹介される。村の男と女とちがって、リーラは自信にあふれている。他の女性は、物陰から怯えたように、筆者たちを垣間見るだけだが、リーラだけは、堂々と現れ、顔も隠さず、まっすぐに目を見る。
そして、家にはってあるポスターの解説をたずねると「女性たちの自助協会」という政府組織のことを話し出す。
そこでは保健や子育てについての教育をうけ、読み書きなどもリーラに教えてくれた。医者の紹介や、助産婦になるための教育もほどこしてくれた。
協同組合的に、ヤギの飼育もしている。
そうやって、一つずつ、債務奴隷制からぬけだす足がかりを得るのである。

このエピソードは、問題を解決させていくうえでの典型をしめしている。
教育と経済的な援助、そして、それをささえる組織化こそが、解放されるべきその人を強くするということだ。

本書は、学術的な検証にもたえうるそうであるが、そのあたりのことは判断がつかない。しかし、語り口は比較的やさしく、中学生以上ならがんばって読めるものである。



凱風社 ケビン・ベイルズ著
大和田英子訳

2002年 12月 20日 (金)記

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