佐々木俊尚『グーグル』、梅田望夫『ウェブ進化論』



まず佐々木の方から読もう


グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する  文春新書 (501)  どちらも「Google」論である。
 というか、有名な梅田の『ウェブ進化論』を、もっとシロウトむけにわかりやすく懇切丁寧に解説したのが佐々木の『グーグル』だといえる。梅田が度量が狭ければ、「佐々木の本なんて、おれの本で示した概念の一部をなぞってるだけじゃん!」とか怒り出すのでは。

 しかし、佐々木はやはり文章のプロだ。圧倒的なわかりやすさである。梅田が、前のめりに「あせあせ」としゃべっていることのうち、一番肝心だと思われる部分をときほぐして、整然と読者にしめす。断然佐々木の本から読んだ方がよい。



Googleの革新性


ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる  『ウェブ進化論』で梅田は、(1)Googleという企業体の革新性、(2)全世界をむすぶネットの上に精度の高い検索エンジンが登場したことで極小需要だったもの(ロングテール)が売れるようになったこと、(3)ブログによってごく一部に限られていた「表現」が多数の人間に解放されたこと、(4)みんながつかえる資源を開放し、みんなで作り上げるようにするという「オープンソース」「マス・コラボレーション」の流れ、というインターネット上の新しい流れをいくつも紹介し、それによって知の再編がおき、さらには世界政府がやるべき役割をGoogleは担っているのだと興奮する。

 『ウェブ進化論』が「Google」論だというのは、ウェブ世界の新しい潮流・発想・行動様式をGoogleが体現しているからだと梅田が考えているからである。この基調が全体を貫いている。
 マイクロソフトやそれにつらなるコンピューター業界は、OSやソフトをつくりそれを個々人のコンピューターに実装させることで圧倒的な強さを誇ってきた。いわばユーザーを「囲い込む」わけである。
 ところがGoogleはちがう。梅田は「この地球上にあるネットに繋がった全てのものを一つの巨大なシステムとみなし、それが提供する各種のサービスをユーザーやプログラムからアクセス可能にするのがグーグルの役割なのである」(梅田p.124)というMSでウィンドウズの開発チームにいた中島聡の言葉を引用している。

 梅田はネットの「こちら側」(端末の先。ネット利用者一人ひとりに密着したフィジカルな世界)と「あちら側」(ネット空間に浮かぶ巨大なバーチャルの世界)を分ける。「いったんその巨大設備たる情報発電所に付加価値創造のシステムを作りこめば、ネットを介して、均質なサービスをグローバルに提供できる」(梅田p.57)。

 考えてみると、たとえば新聞記事の検索などは今もって「有料」なわけだけども、数テラバイトの世界中のサイトのコンテンツのほうは、検索がまったく「無料」である。また『ウェブ進化論』や『グーグル』を読めばわかるし、実際にGoogleのサイトに行ってみればわかるが、メールや地図の利用などが「無料」でおこなわれている。
 「こちら側」でソフトを買って自分のパソコンに実装するのではなく、「あちら側」でGoogleというシステムを使ってフリーですんでしまう。「ネットの『あちら側』では、ありとあらゆるリソースが自在に融合され始めている」(梅田p.127)。
 梅田は「『インターネット』『チープ革命』『オープンソース』という『次の一〇年への三大潮流』」(梅田p.34)と呼んでいる。eベイの創業者ピエール・オミディヤーの「道具を人々の手に行き渡らせるんだ。皆が一緒に働いたり、共有したり、協働したりできる道具を。『人々は善だ』という信念から始めるんだ。そしてそれらが結びついたものも必然的に善に違いない。そう、それで世界が変わるはずだ」という言葉を梅田は引用している。

 梅田によればここから、Web2.0というネット世界にたいする新しい潮流というか思想が生まれる。Web2.0とは「ネット上の不特定多数の人々(や企業)を、受動的なサービス享受者ではなく能動的な表現者と認めて積極的に巻き込んでいくための技術やサービス開発姿勢」(梅田p.120)だ。
 これがネット上の大革命というわけである。



検索エンジンの精度の向上がもたらしたもの


 もう一つ、Googleという検索エンジンの精度が飛躍的に向上したということが、先ほどあげた(2)や(3)をも押し上げているということが、梅田によって指摘されている。

 90年代後半のころ、検索の上位をねらうためにニセの相互リンクやキーワードを隠しこんだクズのようなサイトが山のように登場し、検索なんかしたってこうしたクズサイトやエロサイトが検索上位に来た。「このため結果として検索エンジンは一般の利用者からの信頼を著しく失ってしまい、情報収集のための道具としてあまり未来はないように思われていた」(佐々木p.100)。

 この状況を一変させたのがGoogleで、Googleの革新的方法は、検索の精度を驚くほど高めた。あいまいなキーワードを検索窓にいれてググっても、要求者のねらいを見事に射抜いたかのような検索順位を示すのである。

 精度が高まった検索エンジンが登場すると、人々は検索に頼るようになる。
 Yahoo!のようなポータルサイトにいって、カテゴリを順にたどってお目当てのものを見つけるのではなく、なんでも検索でさがすようになるわけだ。

 これまで当該の人々にとっては切実だが、需要としてはきわめて極小の需要というものがあった。グラフを書くと、その業界でバカ売れしている高い山が最初にきて、そのあと非常に小さい隆起がえんえんと続く。長い尻尾をもつ恐竜のように見える。この極小需要のたくさんの商品の列を「ロングテール」と呼ぶ。
 昔はこのロングテールに位置する商品はほとんど売れる機会はなかった。
 これを精度の高い検索エンジンによって、需要者と供給者が「世界中で出会える」ようになったのである。
 前に、オオヤギみき&TOKYO GOONIEZ『それでもお店を作りたい人のためのガイドブック』(飛鳥新社)の紹介をしたことがあったが、店舗をかまえてTシャツを売ってもその店舗を出した地域の人しかこないから、およそ商売が成り立つ条件はなかった。しかし、オオヤギのように、ネットを介することで日本中から注文を受け取ることができ、それを集めると何百万円というモウケがあっという間に手に入るのである。



アマゾンの変化――「孤島」からの脱出


 この検索の重要性を見抜いて、成功したのがアマゾンだったと梅田は言う。
 アマゾンはただのネット書店として成功したのではなかった。「すべての人が検索エンジンを利用して目的のサイトにたどり着くような世界がくるならば、ありとあらゆる言葉に対する検索結果で、アマゾンのサイトが上位を獲得できることがアマゾンの売り上げの飛躍的向上と同義となる。二〇〇二年の段階でそういう世界観を持った企業はほとんどなかったが、検索結果の上位を獲得することを最優先事項だとアマゾンは意識したのだ。現在でいうSEO(サーチエンジン最適化)だ」(梅田p.118)。

 また、ブログについても、書けば誰かに届くはずだ、という確信が精度の高い検索エンジンの登場でもたらされ、爆発的な参加と発展をひきおこしたのだと梅田は考える。



中小零細を登場させた佐々木


 検索技術の発達は、思えば市場経済にとって、神の啓示である。
 「需要と供給を結びあわせる」ことは、価格をシグナルとしながら、実際には設備投資・在庫……といった膨大なムダをおりこみながら、おこなわれる。ところが、検索エンジンを使えば、それがかなりの精確さで可能になってしまうのだ!
 これを利用したものが「Googleアドセンス・アドワーズ」だ。
 Googleが極小の企業体の小さな広告を集め、小供給者の「チリの山」をまずつくる。これにたいして、何か欲しいものがあったときそれをググると検索結果だけでなく、そのキーワードに反応する広告が出る。こうして極小の需要は極小の供給者と出会うことができる。もう一つは、ネット世界にうかぶ無数のブログやサイトを使うことだ。彼らがGoogleと契約をむすべば、彼らのサイト内容を自動的に読みとってその内容にあった広告を自動的に載せてくれるのだ。Google、広告を表示したサイト、広告を出した企業の三者が利益を享受するのである。

 佐々木『グーグル』には、それをメッキ工場や駐車場経営者といった「そのへんのおっちゃん、おばちゃんの成功譚」として紹介していて実に読ませる。
 梅田の書き方はどうしても「しょせん、ネット上の先進層の一部で起きている、庶民のリアル世界には縁のない話」という響きをもってしまう。ぼくなんかが、こうしたネット世界の話を聞いたときに真っ先に思い浮かべるのはそれと対極にいる「資金繰りに今日明日困っている中小企業のおっちゃん・おばちゃん」である。彼らの世界に話を置き直してみて、どれくらいのリアリティを感じられるかで、こうしたネット上の話のリアリティをぼくはしばしば測る。
 しかし、その感覚をひっくり返すように、佐々木はまさに「資金繰りに今日明日困っている中小企業のおっちゃん・おばちゃん」とGoogleを結び付けるエピソードをもってくるのだ。うまい、といわざるをえない。「羽田空港付近の駐車場業者」というピンポイントの需要を、悪戦苦闘しながらどうやって探し出すのかというくだりは実に読ませる。見事すぎるほどのドラマだ。



世界政府としてのGoogle


 梅田の場合、こうした泥臭い現場のルポではなく、Googleの機能を思想的な言葉に翻訳して表現している。すなわちGoogleをさして「世界政府が開発しなければならないはずのシステム」(梅田p.50)というのである。
 Googleは、発言の重要度を、社会的権威や知識人に頼らず、機械の自動的な力、すなわち「ページランク・アルゴリズム」=「ウェブサイト相互に張り巡らされるリンクの関係を分析する仕組み」(梅田p.54)によって決めるのだ。検索の上位に来るのは、人々がリンクを張るということで「重要度の投票をした」サイトやページなのである。梅田はそこに「民主主義」を見るのだ。
 また、アドセンスやアドワーズによってロングテールが大きな意味をもつようになり、極小需要は極小供給と出会えるようになった。その結果、富の再分配が行われているのだと梅田は主張する。

 佐々木の場合は、Googleの革新性についてさんざん述べたあとで、ラストの1章をつかって、Googleという巨大な検索権力が誕生したことで生じる危惧について、突然タッチを変えて叙述を始めるのである。これは梅田の批判する「可能性よりも危険の方にばかり目がいく」(梅田p.20)姿勢なのだろう。

 いくつか考えさせられたことを。



利潤追求体からの「解放」


 一つは、「世界政府」という言葉でこの徴候を論じようとする梅田の姿勢について。
 やはり楽観がすぎる。
 佐々木は、人生のすべてのデータがデジタル化していくとそれをすべて見通せる検索エンジンは権力となっていく、とのべた。佐々木が批判している角度は「監視社会」という角度なのだが、問題の核心は、「巨大な社会的基盤(インフラ)」「公的な機関」(佐々木p.211)化しつつあるGoogleが私企業体のままだということなのだとぼくは考える。

 私企業であるこということは、基本的に自らの生産手段にたいする独占的排他的権利を有している。なるほどGoogleが扱う対象はたしかに「チープ」になり「オープン」になっていくかもしれない。しかし、Google自身は私企業であり外部の人間は一切関与できないのである。アルゴリズムをどうつくりあげ、何を排除し何を上位とするかは、Googleの独占的な決定権にゆだねられ、ネットの参加者は何も関与できないのだ。Googleを無視する生き方もあるが、ネット社会ではGoogleから排除された者は「いない」ことにされてしまう。

 この問題は、ぼくらが日常的にネット世界で遭遇している。
 だれかのブログでコメントしトラブルをおこす。コメントを削除されたとして、それは「私的空間」での出来事だ。リアル社会のお店での決まりごとには客の多数決が必要ないように、ネットの世界でも管理者は独裁者である。ちょっとしたコミュニティ、たとえばメーリングリストでさえ、圧倒的多数は管理者が独裁的権限を持っている。

 まさにマルクスがいうところの、生産が社会化しながら目的は利潤追求のままであることの矛盾が先鋭的な形でおこっている。解決策は「生産手段の社会化」すなわち、社会的インフラ・公的機関に転化しかけているGoogleにたいする社会的関与の経路確保しかない。ただ、これは権力的な規制をおこなうのではなく、ネット参加者によるゆるやかな関与が求められるのだろうが、それが一体どんな形態のものになるかは、ぼくはまったく予想できない。
 しかし、そういう経路が何らかの形で確保されないかぎり、「世界政府」だの「民主主義」だのといった概念はおよそGoogleとは結びつかないだろう。



ブログはライター市場を暴落させるか


 二つ目は、梅田がブログの隆盛を「総表現社会」と称したことについて。
 昔は知識人と大衆がいたわけだが、ブログの隆盛によって、知識エリートの「ありがたみ」が今度こそ本当にうすれ「面白い人は100人に1人くらいはいる」ことがさらけだされてしまった。大衆がすべて知識エリートになるのではなく、1000万人くらいが中間的存在としてうかびあがる「三層構造」になった。こうしてできた中間層が、小泉圧勝といった「民主主義」を支えた――というのが梅田の主張だ。

 つねづね思っていることなのだが、ブログやサイトから「ライター」になる人間はどれくらいいて、それはこれまでの本職・専業ライターにどれくらい影響を及ぼしているのだろうか。
 梅田は、ネット世界でブロガーがアフィリエイトなどで飯が食えるようには当分ならないだろう、飯を食うなら既存メディアにいくしかない、といっているのだが、それは当然のことだろうと思う。

 問題は、その「既存メディア」でどういうことが起きるのか、だ。もし梅田の予想どおりなら、爆発的にライターとその予備軍が増え、既存メディアにおいて供給過剰となり、価格の暴落が起きるはずではないか。梅田によればブログは日本で500万あり、「面白い人は100人に1人いる」、つまり1%とすれば5万は「面白い」ことになる。ライター人口というのは正確なところわかんないんだけど、2000年の国勢調査によれば、15歳以上の「文芸家・著述家・記者・編集者」の人口は全国で12万9499人。もし5万が新たなライター市場の予備軍となるのなら、大暴落のはずだ。
 梅田は「『カネは別のところで稼いでいて、表現行為は楽しいからやっているだけ』なんていう新規参入者がたくさんいるのも困りものだ。『消費者天国・供給者地獄』。供給者として『飯を食おう』と考えた瞬間にこんな言葉さえ思い浮かぶ」(梅田p.159)とのべている。
 すいません、「カネは別のところで稼いでいて、表現行為は楽しいからやっているだけ」の新規参入の男、それはぼくです。

 この崩壊が起きていないとすれば、専業ライターとブロガーの間には、やはり決定的な差異があるといえる。



サヨのネット活動における「Web2.0」


 三つ目は、またしてもサヨにおけるネット活動を考えた。
 すでに、ぼくは別の場所で、「政党や組織のメインサイトが楽しいサイトになり、みんなが集まるようになり、新しい支持者を獲得する」というやり方の限界について書いた。いや「限界」なんてもんじゃなくて、ほとんど「幻想」である。

「一九九五年から始まったネットビジネスの競争の特徴を一言で言えば、『ユーザ囲い込み』競争であった。魅力的なウェブサイトを作り集客する。訪ねてくれたユーザにはずっととどまってほしい。ネットの『あちら側』に、アマゾン、ヤフー、eベイらがそれぞれ島を作って、その島に住んでもらえるような島の魅力を競い合うような競争だった」(梅田p.115)「二〇〇五年末段階において、日本のネット列強たるヤフー・ジャパンと楽天は、……〔中略〕……相変わらず孤島の魅力を競い合うことがネット事業だと考えており、そのことが日本のウェブ全体の進化を阻害している」(梅田p.130〜131)


 ぼくは、サヨの年輩者と組織ホームページの話をすると、いまだにこういう目標で語られて面喰らう。政党や組織のページが面白くて仕方がなく、新規の人がわんさと訪れるってどんな状況だ(笑)。目をさませ! パシパシ(頬を張る音)

 梅田は、この「孤島の魅力競争」「囲い込み」という発想から脱した企業としてアマゾンを例に出す。「アマゾンは自らの生命線とも言うべき『アマゾンが取り扱っている厖大な商品データのすべて』を、誰もが自由に使って小さなビジネスを起こせるよう、無償で公開することにしたのである」(梅田p.115)。

 前にも話した通り、主要政党のなかで共産党のホームページ、なかんずく「赤旗」のニュース記事のページはGoogleやYahoo!での検索ヒット順位が高い。それは共産党にとっては貴重な資源のはずである。

 これが何によってもたらされているかといえば、やはり「リンク」件数が一つの目安になっているはずである。
 共産党は、googleでリンク検索をしてみると、1900件がヒットする。これは主要政党のなかで最も多い(2006.5.13時点)。自民党は1500、民主党は1550、公明党は1130、社民党は498件である。
 共産党は毎日「赤旗」の記事をアップして、実は膨大なコンテンツになっていると思うのだが、それらは1ページ1ページが党中央にリンクされている。googleのアルゴリズムがこれを「有意味なリンク」と判断している可能性もある。

 くわえて、この党の党員たちだ。
 Yahoo!で登録サイト検索してみよう。
 主要政党を検索したとき、もっとも多く出てくるのは、日本共産党の289件である(2006.5.13現在)。自由民主党136件、公明党115件、社会民主党74件である(民主党は563件だが、これは自由「民主党」、社会「民主党」をふくんでいる。民主党そのものは50件程度しかない)。ただし、これは議員はのぞかれている。

 他の政党は、「県連」や「支部」つまり地方組織どまりなのだが、共産党のホームページの単位をみると、「日本共産党ホンダ鈴鹿支部」とか「日本共産党長泉支部」「日本共産党ダイキン淀川支部」などというのまで出てくる(共産党の「支部」というのは昔の「細胞」にあたる極小の基礎単位で、他党の「支部」は共産党では「地区委員会」にあたる)。

 共産党のHPによれば、共産党の支部は2万4000あるとホームページにはあるという。どれくらい実体があるのかはまた議論のあるところだろうが、これは日本全国にある郵便局の数よりも多い(特定郵便局1万8916。2000年時点)。セブンイレブンが現在1万1282店舗だから(2006.5.13現在)、その倍はあるということだ。
 加えて地方議員数は、無所属をのぞけば国内でまだ第一党であるという。
 加えて、衆院ではほぼ全選挙区に立候補するから、そいつらがけっこうブログなりHPも立ち上げるのだろう。

 これをみると、「ああ、この人たち、政治活動をするのが好きなんだなあ」と思う(笑) 「好き」というと語弊があるだろうが、「情熱をかけてる」とか「真剣にやっている」というのは、要は「好き」ということなのだ。

 たとえば公明党は、公明党の顔としてやる人はあんまり議員以外は見ない。実体が創価学会だし、多くは学会員の顔として存在している。
 自民党も、日常で「自民党員」という顔をしている人は議員以外あまりいない。KSD事件に見られたように、多くは業者団体や利益団体がその肩代わりをしている。
 共産党だけが「共産党」という顔で地域で売り出して活動している人がいるわけだ。田舎ではそうでもないが、都市部ではのぼり旗などを立てて宣伝している共産党の初老の人たちをよくみかける。

 これらの党支部や地方議員がリンクをはれば、そりゃあ、検索順位も押し上げられようというものである。

 さて、もとの話題にもどろう。

「アテンション[注目という価値──引用者]を獲得するのは、どのような要因なのか。答えは明快だ。いまや情報の流通を完全に支配してしまっている検索エンジンをうまく利用し、検索エンジンの検索結果ランキングの上位に入ることである」「アテンションがすべてを支配するアテンションエコノミーの世界では『囲い込み』という戦略はあり得ない。利用者や読者、ユーザーを囲い込んでしまうのではなく、人々がお互いのアテンションに基づいてさまざまなコンテンツや情報を流通させる際に、その流通を『仲介』することが、最高の戦略となるのだ」(佐々木p.199〜201)

 つまり、サヨにおける組織のホームページを「面白くして囲い込む」という戦略には、あまりにも限界がありすぎる。

 それよりも、個々のサヨが、自分でホームページやブログをたちあげ、そこでいろんな人と結びつくことが基本になるのだ。
 そして、サヨ組織のホームページとは、アマゾンのように、無数の個々のサヨが自分のブログで利用できる・利用しやすくなる「フリー」の資源を提供することに力をそそぐという方向にカジを切るべきなのである。

 共産党でいえば、すでに「赤旗の記事ページ」というのは、個々の党員や党議員に利用されているオープンソースの一つであろう。前にものべたが、さらに価値中立的で啓蒙的・解説的な内容を充実させることによって、利用価値はいっそう高まるはずだ。
 あとは、これも前にのべたとおり、中央機関紙などを「アフィリエイト」をしてみることだろう。カネが落ちるようにする。それに限らず、個々のサヨメンバーがとにかくブログを運営していくのに「有効」で「使いやすい」資源を提供することなのだ。アマゾン的な、「誰もが自由に使って小さなビジネスを起こせるよう、無償で公開する」何かを用意することである。

 サヨ組織もWeb2.0への進化が求められる。

 いずれにせよ、佐々木『グーグル』、梅田『ウェブ進化論』は、「ちょっと精度の高い検索エンジン」という程度のぼくのgoogle観を一変させた。どちらも一読に値する本だ。







佐々木俊尚『グーグル Google 既存のビジネスを破壊する』 文春新書
梅田望夫『ウェブ進化論――本当の大変化はこれから始まる』 ちくま新書
2006.5.14感想記
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