入江亜季『群青学舎』『コダマの谷』



群青学舎 一巻  1巻は連作をふくむ10の短編集。テーマはまったくバラバラ。
 2巻は「コダマ谷の王立大学」での王子、天才学生、男装の王子の嫁候補、などをめぐるやや長篇の物語と、超短編の架空紀行集。

 正直、ぼくは、ほとんどの話に興味がもてなかった。
 唯一くり返し読んだのは1巻に収録されている「白い火」シリーズで、メガネをかけた優等生女子高生を、飽かず眺める。

コダマの谷 王立大学騒乱劇  ところが、つれあいは、脇から拾い読みしているうちに、読破。辛口の批評が多いこのひとにしては珍しく、「佳作」とほめるではないか。

 1巻冒頭の「異界の窓」で、なにやら古びた山村の学校っぽい描写のなかで、となりにすわった「山背くん」にしっぽが見える、というところから話がはじまる。

「いい雰囲気じゃん。こういう話すき」

とおもしろがるつれあい。

 つづく第2話「とりこの姫」。いかにも英国風寄宿舎の雰囲気。
 でてくる女たらしっぽい男子学生が「クリス」と呼ばれる。

「きゃー、『クリス』だって!

 そして、そのいい加減なクリスを、カフェの遠くの席から、射るように睨みつける美少女。
 この短編を読んで、つれあいは、「こういういかにも60〜70年代の少女漫画っぽい設定がたまんないわー」と嘆息。そのあとの王女とその警護たちの物語「花と騎士」、惚れ薬をつくるサイエンティストの話「ピンク・チョコレート」。セリフがひとつもない、「森へ」。

「こりゃあ、手練(てだれ)という印象をうけるねえ。うまいよ」

 そして『コダマの谷』で彼女の印象は確信にかわったようだった。出てくる王子にしても、王子の嫁候補(有力貴族の子弟)にしても、思わず「ほうっ」となってしまうほど、キレイに描く。うまいのだ。

「なつかしいような絵柄と設定なのに、ぜんぜん古びた感じがしない。むしろ非常に洗練された印象をうける」

……というのが、つれあいの評価だった。
 「あとがき」にまさに次のように書いてある。

〈例えばイギリスのなにやらをモデルにして『コダマの谷』を描いたとかそんな話ではなくて、むしろ昔読んだ少女漫画や、絵画であるとか、頭の隅に残っている外国映画の断片や、小説から受けた印象などが積もり積もってできあがった、かなりいいかげんな「ヨーロッパ風イメージ」が元になっています〉(2巻p.236)

 ドンピシャだ。
 昨今、たとえば『エマ』や『アンダー・ザ・ローズ』のように、ヴィクトリア時代ならヴィクトリア時代を、精密に再現することを売りにするものが多い。他方、歴史的なリアリズムを放棄したものは、設定に凝る。あっと驚くような設定、周密で一貫した世界の構築。
 その点で、この短編集に出てくるような「王子がお忍びで」とか「イギリスの寄宿舎学生の恋物語」とか、陳腐にもほどがある設定というものは、商業誌ではなかなかお目にかかれぬのではないか。

 しかし、入江は、わざわざその設定を選んできた。
 そして、歴史からも設定からも解放され、「かつての少女たち」の記憶のなかにだけある良質のイメージをリソースにして、それを自由自在に組み合わせ、6〜70年代的な少女漫画のなかで最も美しいものだけをソフィスティケイトして蘇らせているのである。なるほど手練だ。

 くどいようだが、このギミックにひっかかったのは、ぼくではなく、うちのつれあい。ぼくの心には、この漫画に対応するフックはなかった。
 いや、そうでもないな。たしかに「白い火」という話は何度も読んでしまった。高校ではモロ優等生のきわみである漣子と、その高校では随一の不良である静間がつきあう話である。

 漣子というこの優等生のシャープさと、うらはらでの脆さや甘さ。ツンデレとはこうでなくてはならぬ、という見本である。登場人物がみんな切れ長の目なので小島功かと思ったよww

 同人出身の作家のようで、商業主義とは別の、陳腐さを蘇生させるという自由さ、ゆとりは、そのあたりからきているのか。それにしてもこの自画像はウマい。あらゆる自意識を超越しているかのようにみせつつ、しっかりと自己を主張。自己顕示でも卑下でもない、自画像としてもっともバランスのとれた距離感をいだかせる。




エンターブレイン ビームコミックス
2006.9.8感想記
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