園田健一『GUNSMITH CATS BURST』1〜2巻



GUNSMITH CATS BURST 1 (1)  銃をつくる人、修理する人を「ガンスミス」という。
 本作はアメリカ・シカゴを舞台とした「ガンスミス・キャッツ」という銃工店の物語だ。
 といっても、「ガンスミス・キャッツ」の主人であるラリー・ビンセントは、女性で屈指の銃の使い手。犯罪者を生け捕る「賞金稼ぎ」でもある。相棒のメイ・ホプキンス(愛称ミニー・メイ)は19才であるがどうみても児童体形で、かつ元高級娼婦にして爆弾フリーク。

 このように、暴力・セックス・ドラッグといった米社会の患部をあつかいながら、一抹の暗さもなく、むしろ底抜けに明るく描く。いや、愛嬌に満ち満ちているといっていい。
 そうなのだ。
 実は本作は、90年代初頭に週刊「モーニング」誌で連載されていた人気シリーズの続編にあたる。園田は本編とこの『BURST』の間に、『砲神エグザクソン』を描いていたが、ぼくからすると、『エグザクソン』にはキャラに「愛嬌」がたりなかった。『GUNSMITH CATS』では、主人公のラリーやメイが格段に愛嬌があるが、それだけでなく、ラリーのまわりの、暗躍するいかついオトコたち&あやしいオンナたちは、それに劣らず愛嬌がある。

 『BURST』では(本編でも大活躍するが)ビーン・バンデット、別名「ロードバスター」という運び屋に光をあてるが、このキャラは格別に愛嬌がある。
 超一流の運転技術をもっているというだけでなく、肉体も腕力も超人的で、ヤワな弾丸を撃ち込まれたりナイフを突きたてられたくらいでは、ビクともしない。本作のなかでも、ナイフを腹に突きたてられるが、

「ふざけんなよ……
 俺が腹筋を張ってりゃ
 女の刃なんぞ
 通るわきゃねェだろ!」

って、そんなわきゃねェだろ
 全身を防弾の鋼鉄で鎧い、本作では顔面に防弾ガラスの面をしこむ。
 蜂の巣にしても「死なない」のだ。

 この馬鹿っぽい設定が、なんとも愛嬌があっていい。

 さらに、ビーンの愛嬌は、その非常識な強さにくわえ、契約は絶対に守る、違反は絶対に許さない、というルールを自分に厳格に課しているという設定から生じる。そして運び屋なので、金さえ出せば誰にでもつく(ただし契約の道理を裏切ることは決してない)ゆえに、主人公のラリーの敵になったり味方になったりと忙しい。

 本作でも、大手マフィア「組織」を裏切って裏金をもって逃げようとした計理士・ハワードを、ラリーが捕縛しようとねらい、ビーンは「組織」のアシとなってラリーに対峙する話がある。しかし、「組織」側の都合で捨てられたビーンにたいし、ラリーは金を払ってビーンを雇い、ハワードを護送することになる。
 ところが、テキサスの砂漠の真ん中で自動車が故障。怪物ビーンでさえへとへとになるまで車を押さされるのである。そうやってようやく見つけた砂漠の真ん中のガソリンスタンドで再びラリーは「組織」側と対峙。ビーンは疲れ果てて昏睡しているのだが、銃撃戦の最中にむっくり起き上がる。

 ラリーも「組織」側も、ビーンを味方につけようと、銃を構えながら、必死でビーンを説得する。ビーンは寝ぼけ眼でゆっくりとつぶやく。

「ん……ハラが空きすぎて……
 何も考えられん……(ふーっとため息)
 とりあえず何か食わせてくれたヤツの味方をするぜ」

 スキをみてラリーはビーンの顔面にスパム(肉のカンヅメ)缶を投げつける。
 ビーンは寝ぼけながらそれを口でとらえ、

「ガキュペキ☆ ペキコキュ モギュモギュ」

と音をたてながら、缶を歯で噛み切り、缶ごと「ゴクンッ」と飲んでしまうのである。
 この馬鹿げたシーンが、ビーンの愛嬌を最高度に表している。
 園田はこのシーンを細かくコマにわって分解し、読者にたっぷり、しかしテンポよく見せていく。読者のわれわれは、さあこれでビーンがラリー側で「起動」し働くぞ、と期待感でいっぱいになってページを繰るのである。
 ビーンの風貌は、図体がでかく、顔はアゴが長く、四角っぽい。それゆえに即座に「ロボット」の印象を読む者に与える

 最近、横山光輝の『鉄人28号』が復刊しているが、28号のリモコンを「誰がもつか」によって、この旧日本軍がつくったスーパーロボットは奉仕先を変える。もともと科学技術の両義性を批判するためのものだったこの設定は自律し、ロボットもののなかではひとつの心躍らせる設定になった。とくに横山においてはしばしば、敵側の手にこの「最新鋭兵器」が渡ってしまい、読者がやきもきする、という話がいくつもある。

 ビーンの怪力ぶりと、契約への忠実さ、金銭による奉仕先の変更は、まさにこうした戦後漫画が描いてきた「ロボット」そのものである。
 ビーンはこれからますます馬鹿げた怪力ぶりを発揮してほしいし、金銭にしわく、契約に義理堅くあってほしい。


 もうひとつの本作での見どころは、これは本編にひきつづいて、ラリー・ビンセントのガン・アクションである。ただし、ぼくはまったく銃へのフェティシズムはないので、『GUNSMITH CATS』シリーズでどのようなガン・アクションが「見どころ」かといえば、ピンチを脱出する時の「ありえねえ」銃さばきのところである。これは本編でも頻繁に使われる。

 続編である本作では、たとえば第1巻で、先ほどの「組織」側にラリーが囲まれ、ホールドアップをさせられるシーン。「ビンセント! 銃を捨てろ ゆっくりとだ!」と「組織」側の一人が叫ぶと、「捨てるわ!」と銃を上へ放り投げる。
 とみせかけ、マガジン(銃の把手部分に装填される給弾のための入れ物)を投げ捨てただけで、そのマガジンが落ちてきて「組織」側の銃に当たり、ラリーをねらった弾丸がそれてしまう。
 そのスキに、ラリーは足で近くにあったビニールシートをひっかけ、足を蹴りあげるようにしてシートで幕をつくりながら、幕をつくりざまに一発、敵にお見舞いするのである。シートの幕で自分の体を隠している一瞬の間に新しいマガジンを装着……とまあ、まことに「ありえねえ」プロセスを連続させて、ピンチを脱出するのだ。

 しかし、このありえなさ、これが爽快なのである。

 奇妙に継起するプロセスは、不器用に接続された機械のように一体となり、作動しだす――そんな感覚にとらわれる。この「ありえなさ」、不器用さは、一種の美しささえ感じる。
 よく「トムとジェリー」で、トムあたりが屋根から落っこちてくると、下にあったシーソー状の板にぶちあたり、シーソーの反対側にあった岩がとんでいって、その岩が落ちた先でバケツにあたって、バケツが転がり……というシーンがある。そういう、「ふつうなら簡単にできることをわざと複雑にするようなプロセスを連続させる装置」を「ルーブ・ゴールドバーグ・マシン」というのだが、この装置に似た美しさがある。脱線ついでにいっておくと、「ルーブ・ゴールドバーグ・マシン」はわざわざそのためのコンテストがあるほどで、見る者に不思議な感動と奇妙な美しさを与える。


Way Things Go ぼくも、以前サンフランシスコの空港でこの「ルーブ・ゴールドバーグ・マシン」をあつかったアートビデオを試写しているのを見て、「風が吹けば桶屋が儲かる」式の不器用なプロセスの連続とその動きの優美さに見とれ、ついにその場でDVDを買ってしまったことがある(『THE WAY THINGS GO』)。


 比喩のつもりが逆に分かりにくくなってしまって恐縮だが、いずれにせよ、ラリーの銃さばき一般をぼくは見たいわけじゃないのである。
 ピンチにいたったラリーが「ありえねえ」やり方を応用して、なおかつすばらしいガンアクションでその場を切り抜けるというカタルシスに期待して、今日もぼくはこのシリーズを読んでいる。

参考:漫棚通信ブログ版(2005.2.10)
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2005/02/post_6.html






講談社アフタヌーンKC(以後続刊)
2005.12.14感想記
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