ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』/78点


 「戦後の憲法は米軍の押しつけ憲法だ」――この認識を淵源として、戦後民主主義
は、日本人がみずからかちとったものではなく、ほんとうに日本には根付いていない、
という種類の議論は、まだ多い。
 教育基本法の改悪の論拠の一つに、これが日本的なものを忘れ、のっぺらぼうの普
遍主義を説いているからだ、というのがあるが、それも一変種だろう。

 本書は、戦後の占領軍「革命」が、はっきりと上からの「革命」であったことをしめしつつ、
民衆がいかにその「革命」をうけとめていったか――それは、まぎれもなく、敗北を「抱
きしめる」ような、受容の過程であった――を、上巻の民衆史、下巻の支配階級史で、
つぶさに描いた。

 闇市では、死人の家財を売るものが大儲けする。
 肺結核の患者の吐血で汚れたものを診療所からもってきてそのまま売っていた。

 また、「栄養シチュー」(本書では「ごってりシチュー」)の話も出てくる。占領
軍の要員宿舎からでた残飯を材料にしてそれをぜんぶ煮込んで売るのである。
 堤清二が、自著のなかで、この「栄養シチュー」には、ウインナーなどが入ってい
て(もちろん、とんでもないものも入っているわけだが)とてもうまそうにみえたこ
とを書いている。

 「(闇市という)『自由市場』のあからさまな弱肉強食の実状は、人々にショック
療法に似た効果をもたらした。日本の民族と文化は、他に類のない『家族』意識によっ
て互いに助け合い、団結しているのだと人々は教え込まれてきた。作家の坂口安吾が
言ったように、人々はこれほどまでに利己的な世界を見たことがなかった」

 敗戦によって、軍人と政治家が権威を失墜させ、日本家族をおおっていた美風や家
族の良風とかいったものが、あっさりふきとび、その後の高度成長の原型となるよう
な、猥雑な活力が、社会のあちこちから噴き出してくる様子が、活写されている。
 とくに、ダワーは、しつようなまでに、売春婦やエロ本文化を追っている。

 ぼくは、この、すべての戦前的な虚飾の崩壊のあとに、民衆の脂ぎったエネルギー
があちこちに湧き出てくるところに、戦後の日本民衆がまさに「敗北を抱きしめた」
ことの典型的な象徴があるように思う。
 これをぼく的な好みでいえば、宮本百合子というより、坂口安吾の、堕落論的な言
い回しがもっともそれをよくあらわしている。

 ダワーは坂口の『堕落論』の一節を引用したあと、こうつけくわえている。
「『健康』や『健全』という言葉は、戦時中の理論家や検閲官が非常に好んだもので
あるが、そういわれた実際の世界は、不健全で病的であった。逆に、退廃し不道徳で
あることこそが真実であり、現実であり、最高に人間的なことなのである。……『堕
ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わねばならない。これが坂
口の結論であった。そうすることによって、人々は彼自身、彼女自身の『武士道』や
『天皇制』を編み出さなくてはならない」


 さらに、日本民衆は、少し前まで鬼畜米英とよんでいた文化でさえ受容していき、
あふれるような言葉で明るく戦後をうたいあげ、論じていく。

 戦後の日本民衆は、革命さえも「抱きしめる」。マッカーサーの上からの「革命」も、
共産党による下からの革命も、どちらも抱きしめていった。

 ダワーは史家らしく、けっしてこの敗北を受容する過程を、単一の色にはそめあげ
たりはしない。
 あるいは、美しい、きれいな「必然性」を描いたりはしない。

 しかし、民衆の生活史でも、文化史でも、論壇でも、政治でも、さまざまな意図が
重なりながらも、全体としてその敗北と変革を、日本の民衆が抱きしめていったこと
――戦後改革と戦後憲法体制の「内的必然性」がはっきりとそこには読み取れるはず
である。

 大部なのが、ちょっと難点かな。

 ピュリッツァー賞を受賞した作品。



(岩波書店、三浦陽一・高杉忠明訳)
採点78点/100

2003年 1月 17日 (金)記

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