ハイエク『隷従への道』

 「ソ連=共産主義」の原理的破綻を予言した名著として、保守派から絶賛されている著作。
 また、個人主義的自由主義や、「共産主義=ナチズム」など、現在の保守派のネタもおおよそこのハイエクを源泉にしている。

 左翼を自称するわたしは、心して読んだ一冊ですなあ。で、「おもしろい」と感じますた。

 この本のもっともすぐれたところは、単一概念による計画化、早いハナシが、社会をみとおす理性というものが全体を展望したただ一つの計画をたてそれにのっとって経済がすべて事前に理性的に統御される、という原理の無理を、正確に予言したことである。

「ある一つの中央機関がさまざまの商品の需要供給の状態に絶えず影響を与えるすべての変化をくわしく知ることはできないし、またすばやくこれを収集し散布することもできないから、個人の活動に関係するすべての結果を自動的に記録し、そしてその記録がすべての個人の決意であるとともに、またその指針となるような一種の記録装置が必要となる。/価格機構が競争下において果たすものこそ、まさにこの任務であって、他のいかなる機構も、このような任務を果たすものとは期待されない。…もし産業体制の発展が意識的な中央計画化によらざるをえないものとすれば、分散性、複雑性、伸縮性の程度は今日あるようなものにならなかったといっても過言ではない。分散化プラス自動的な統合によって経済問題を解決しようとするこの方法にくらべると、中央統制という、よりはっきりした方法は非常に不格好で、素朴であり、その範囲はかぎられている」

 ま、この価格メカニズムへのホメことばも、POSシステムやJITシステムの導入で、色あせている面はあるけど。それはおいといて。

 ナチズムの台頭に刺激をうけてのこととはいえ、スターリンの「計画経済」がはなばなしく喧伝されていた1940年代初頭に、すでにこのような認識に到達していたことは、おどろくべき水準であるといってよい。トロツキーの『裏切られた革命』と同じく、ソ連論の白眉である。
 ただ、ソ連経済の破綻と解体が現実のものとなった現在では、この本の意義は薄れた。だれもそのような経済体制へは(左翼といえども)立ち戻りはしないからである。その意味では、この本をたんなる左翼批判のネタに使うだけなら、わたしが『市場対国家』への書評でのべたことと同様であるが、すでに周知のことを確認するだけにしかならない。いや、左翼のほとんどの党派がいまや「単一の中央計画にもとづく経済」などというものに立ち戻ろうとはしない以上、これを使って社会主義批判をするのは、文字どおり不毛なイデオロギー攻撃にすぎない。
 ましてや、この本を「市場原理主義擁護」のように使うことは、まったく馬鹿げている。
 一部の経済学者もそういう傾向があるし、たとえば、以下のURLはある大学の図書館のHPの投稿ページであるが、このような意見が散見される。
http://www.ll.chiba-u.ac.jp/cgi-bin/hiroba-disp/105
 ソ連経済批判、集産主義批判としては異常にすぐれているこの本ではあるが、市場原理主義、あるいは新自由主義の積極的展開としては、あまりにも貧弱だからである。
 いや、自由主義的個人主義を称揚して、市場原理主義、あるいは新自由主義の道徳的基盤として使う企てができるかもしれない。しかし、全体主義対個人主義という構図は、世界を救わない。事実、世界をおおいつくすアメリカ型グローバリゼーションの波は、このような構図の無意味さを雄弁に物語っている。共同や連帯ときりはなされた、個人の強さやモラルの一面的な強調は、それを主張する学者やマスコミ人の、自分自身の「成功」「自慢話」の投影にすぎない。「ほら、わたしはこんなに個人の努力で成功した。お前らが成功しないのは努力がたりんのだ」。そいつらはマスコミ=精神の生産手段という圧倒的な物質力を独占している存在の寵児となることによって力を得ているだけで、そいつ個人が強いわけでもないし、個人というものが無限に強靱になれるというものでもない。個人で国家や資本の暴力に勝てるわけねーだろ。
 問題は、自立した個人がどうやって自立しあったまま共同や連帯をきずいていくか、ということなのだ。


 ハイエクはこの本に「あらゆる党派の社会主義者たちに」という献辞をつけている。社会主義者であれば、ハイエクのこの挑戦にすべて回答をしめす義務がある。左翼、社会主義者は、このハイエクの著作を「練習問題」つもりで読んでみる必要がある。

 それにしても、訳がひでえなあ。「どのように異なった事柄が現われることであり、またいまわれわれがほとんど注意していない変化がいかに重要であり、恐るべきものであることだろう!」。あんたの訳が恐るべきもんだよ。


フリードリヒ・A・ハイエク『隷従への道 全体主義と自由』
(一谷藤一郎・一谷映理子訳、東京創元社)
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