永江朗『話を聞く技術!』



 (2008年)8月26日付の「天声人語」は次の一文から始まる。

〈ある事件現場の近くに、何か目撃していそうな家があったという。聞き込みの捜査員が通うが話をしてくれない。そこで、手品に覚えのある刑事が出向いてトランプを一席。大喜びする子の横で、家人が口を開いた。「実は、あの日……」〉

 ちょっとベタだけど心をくすぐるエピソードだった。「天声人語」は続けてこう書いた。〈永江朗さんの『話を聞く技術!』(新潮社)にある刑事の体験談だ。「警察手帳を出せばしゃべると思ったら大間違いですね。誰だって関わりたくないというのが本音なんですよ」とも語っている。取材やセールスにも通じる極意だが、ドアに続き、心を開いてもらわないと仕事にならない〉。

話を聞く技術!  これはコラム子の勝利で、すぐさま永江の『話を聞く技術!』を買いに行ってしまった。面白そうだったんだもん。
 10人の「名聞き手」を逆にインタビューする企画で、いわゆる名インタビュアーの6人とともに、別にインタビューが商売ではないが話を聞くことが職業上の環になっている人たち4人についてもインタビューをしている。「天声人語」が紹介した刑事は一番最後。匿名である。

 話を聞く、という行為・態度に強い関心がある。
 ひとつは、ぼく自身は飲み会にいったり、相談をされたりすることがあるが、その場合ほとんど「話を聞く側」にいることが多く、相手からもそのような役回りを期待されていることが多いからだ。
 それは「名聞き手」とかいうのではなくて、ぼくが長じて臆病になっていったせいでもある。小学校とか中学校とかはわりと話題をまわす側にいたんだけども、勉強上の成績を中心にした地位が低下するにつれて、慢心が次第に消えていき、相手は自分の話を面白いと思ってくれているだろうかという不安が前に立つようになってきたのだ。会話において話をすることは、ある時間、聞くことを強いる。顔色をみながら話していると「ああ、この人、今つまんねーと思ってる」と過剰に反応して「……ということなんですね」と急速に自分から収束してしまうのだ。こんなサイトをやっているのはその反動で、文字で書いたものでしかも相手が好きで訪問しているのならいくら饒舌に言っても大丈夫だし、不快なら立ち去ればいいからである。

 もうひとつは、若い左翼たちとつきあってみて、ますます「話を聞く」ということの大切さを思い知るからだ。対話しているようなつもりでいても、どうもぼくには方針や行動提起などを予定調和的に押しつけようとするきらいがある。自分の決めた筋書きどおりにいかないとうまくできないのだ。
 話を聞く、というのは相手の関心や相手の中にある内発的なエネルギーを見定めることだ。左翼の働きかけというのは、ダメな例というのは働きかけを外在的にやってしまうことであり、うまくいく例というのは内発的なものに働きかけることなのだ。
 そして若い左翼たちにこうした「話を聞く」のがとてもうまい人たちが少なくない。そのことを意識的な「技術」にしたいという思いがぼくにはある。

 事物は矛盾する多面性によって成り立っている、という弁証法的な真理のとおり、インタビュアーによって矛盾したことを言っているのが面白い。
 たとえばノンフィクション・ライターの小松成美は、

〈——準備した質問項目をいったん捨ててしまうんですか。
小松 捨てます。全部。その瞬間は真っ白で。始めてみるとシミュレーションどおりにいくことはまずありませんね。唐突なことを聞いて笑いが起こったり、意外な答えに驚くこともあります。その驚きから思いも寄らなかった一面が覗いてだんだん深遠な話へと展開していくこともあります。それはエキサイティングですよ。その興奮は、ちょっと中毒になっちゃうくらい。
——ライブの快感ですね。
小松 まさにライブ! インタビューの展開の予想なんて十パーセントも当たらない。心の内側を本人の言葉で聞く驚きたるや、本当に大きくて、体が震えるほどですよ〉

と、インタビューというものが予測のつかないライブのようであることを述べている。他方で、プロ・インタビュアーでありプロ書評家である吉田豪はこれと正反対のことを述べている。

〈——質問項目は編年体で構成しますか。小さいときから順番に。
吉田 時間を追ってというよりも、話の展開を完全に決めます。つかみはこれにして、とか、全部ある程度作っておきます。
——もう構成ができているんですね。ちょっと放送作家みたいだ。
吉田 ある程度ですけどね。つっこみまで指示が入っている。こう言おう、みたいな。でも脱線したら脱線したでおもしろいので、その場でどんどんやっちゃいますけどね。必ず話を戻しますが〉

 小松の場合は、準備や資料の読み込みもするが、〈(稀代の名優の心は)資料を読んだだけではわからない〉として、インタビューという現場でいかに相手と緊張感をもったやりとりをするかに重点をおいた話がされている。
 吉田のインタビューを読むと、編集プロダクション時代に事前に細かい下調べをしておく作業をしていたために、相手から「なんでそんなことを知っているんですか!」と驚かれるエピソードがまず紹介され、続いて自前のデータベースをつくり、話を聞くための調査が綿密におこなわれていることがわかる。そうやって周到につくられた筋書きがあり、その筋書きのうえで、パンチングボールに自画像を貼っている話を釈由美子から引き出したり、ヤバい話を前向きのギャグにして掲載可能にしてしまうという「ライブの緊張感」を楽しんでいる。
 人物というのは目の前でしゃべっていることが全てではなく、データによってまったく見えぬ面があぶり出されてくることもあれば、データでは何もわからない、言葉を交わして人間をぶつかりあわせてみてわかることもある。この矛盾し合う2側面をこの二人のインタビュアーはデフォルメした存在のように思えた。

 どの人の話も得るところがあったが、直裁に「役に立った」と思ったのは河合隼雄だ。

〈——心理療法で、クライアント(患者)の話を聞くことにはどんな意味がありますか。
河合 聞くことに始まって聞くことに終わる、と言ってもいいでしょうね。相撲で言うでしょう? 「押さば押せ、引かば押せ」って。それを真似してカウンセラーは、「クライアントが話したら聞け、黙っていても聞け」。聞かないとだめですね。
——クライアントのすべてが話にあらわれる、ということですか。
河合 そういうことです。聞いていることによって出てくるんですよ。帰りぎわに「こんなことを話すとは思いませんでした」と言う人が多い。
——〔クライアントが——引用者注〕話すことの重要性に気づかれたのはいつごろですか。
河合 早くからですね。いちばん初め、まだそうことが分かっていないときは、すぐ忠告したり助言したりしたわけです。でもそんなことはぜんぜん意味がない。
——意味ありませんか。
河合 ええ。言っても聞かないから。そもそも忠告や助言で変わるような方は来られない。誰かが忠告したり助言して、それでも変わらない方が来られるわけですからね。
——(笑)。でも、新橋あたりで飲んでいるサラリーマンを見ると、たいてい上司や先輩が若い者に忠告したり助言したりしていますね。
河合 やっているでしょう? あれは上司の精神衛生に非常にいいんです。
——えっ。上司の精神衛生にですか。
河合 そう。聞いている方にはほとんど意味がありません。あれは忠告を受けている方が上司の心を癒しているんです。だから飲み代は上司や先輩が払うでしょう。カウンセリング料です、あれは〉

 こういう話にはじまって、経験のない大学院生がカウンセラーをして、関心をもって質問をしながら聞き役に徹していたらクライアントが非常に信頼をよせた話とか、いちいち自分の「話を聞く」ということに引き寄せながら読んでしまった。
 だいたいにおいて、ぼくは「忠告」「助言」してしまう。相手の中で内発的に答えが出てくることを待てない。相手を信頼していないのかもしれない。





新潮社
2008.10.28感想記
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