松竹伸幸『反戦の世界史――国際法を生み出す力』

以下は、わたしが、とあるMLに投稿したものです(2003.10.4)。
内容は松竹氏の著作の内容の一部をノートしたものを活用しており、
そのことは、投稿のなかでものべてあります。
そのまま書評としての性格をもち、また現実の論争で活用したものとして
ごらんください。

前後のくわしい論争が知りたい人はこちらをどうぞ。
http://www.freeml.com/message/chance-forum@freeml.com/0015805
http://www.freeml.com/message/chance-forum@freeml.com/0015830
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紙屋です。やっと、POPさんにお返事が書けます。

もともとこの話は、POPさんが
“パクス・アメリカーナで仕方ないじゃないか。日本はそのよき藩屏たるべきだ”
とおっしゃったことにたいして、

わたしが、“それは世界を無法にする。国連憲章にもとづく世界に当面しよう”
とレスをしたという議論です。

POPさんの再度のレスは、
“それはわかる。ただ、アメリカに守らせる「力」がないではないか。
指導部に力がないとあつまってる国々がバラバラになるぞ”
“しかしそうなると小国は無視されがちだし…。理想はわかるが、難しい”
というものでした(へんなまとめだったらごめんなさい)。

これはPOPさんが、わたしのかんがえを真摯にうけとってくれたうえで、
誠実に苦悶してくれたものとうけとめました。まず感謝します。

わたしは、じぶんのかんがえをまとめていうと、
「システムとしてはじめから完全なものはなく、
 国連憲章の歴史をみても、それは、諸国と諸国民がひとつひとつ
 たたかいとってシステムをつくりあげていく歴史である。
 その現実にかちとってきたシステムの到達点を一つ一つ育て上げ、
 改善していこうじゃないか」
ということになります。

これは法的にいえば、国際法は成文法だけでなく、
ぼう大な慣習法からなりたっており、
それはひとつひとつの具体的な国ぐにの行動からなりたっているということです。
ある無法な戦争を国際社会がみとめてしまえば、
それはひとつの「法」になっていきます。(※1)

たとえば、こんなふうです。


■■■■はじめは植民地解放のさだめのなかった国連憲章だったが■■■■

植民地分割が2つの世界大戦をひきおこしたにもかかわらず、
国連憲章には植民地の独立や完全自治がもりこまれず(※2)、
ものすごい不満のたねとなりました。

いわば、帝国主義国は利権を手ばなさなかったのです。

しかしこれは、植民地のひとびとが、じぶんたちで運動をおこして
つぎつぎ解放をはじめていきます。
植民地をもっていた国ぐには抵抗し、
インドネシア、エジプト、ベトナムなどは、不幸にも、
はげしいたたかいとなりました。

しかし、1960年に「植民地独立付与宣言」という国連決議となり、
世界の共通の意思としてついにさだめられます。
80あった「非自治地域」は、いまや16です。

そして、これは日本ではあまり報じられないのですが、
こういう植民地だった国ぐにが「非同盟諸国会議」をつくります。
POPさんは、小国の埋没を心配され、さかんに太古の例をおひきに
なるわけですが、そのころとはまったくちがった条件、
小国が100をこえる規模で連合し、世界史にインパクトをあたえる
というあたらしい条件がうまれてきます。(※3)

ここには、国連憲章がはじめから完璧なシステムではないが、
世界の国ぐにや世論によって、それがあたらしい「法的現実」にかわっていく
という姿があります。



■■■■「ベトナム」以前はアメリカの行動は国連で非難されなかった■■■■

POPさんのいちばんの関心は、やはり憲章の第2章、
武力不行使の原則、つまり「戦争はだめですよ」というさだめが、
まもられてこなかったというところでしょう。

わたしもそこに関心がありますし、
戦後の歴史のなかでも、とくべつにだいじな位置をしめる問題です。
そして戦後の国際政治は、このルールをおかす流れと、
まもらせる流れのせめぎあいと見ることができます。

ベトナム戦争以前は、アメリカの行動が国連で非難されるなどという
ことは、かんがえられもしないはなしでした。

1954年 グアテマラへのアメリカの侵略
1965年 ドミニカへのアメリカの侵略

これらへのアメリカの侵略は、ラテンアメリカでさえ意見がわかれ、
この国々は、アメリカの行動を批判できませんでした。

ベトナム戦争でさえ、国連決議ひとつあがらず、
非同盟諸国でさえ、せいぜい、「なかなおり」を口にするていど。


しかし、ベトナム戦争にたいして、世界で空前の反戦運動がおこり、
そのなかで「国連憲章」にてらしてこれを批判するうごきがおこります。
アメリカの法律家や有名な「ラッセル法廷」(※4)が、
「アメリカの行動は国連憲章や国際法にのっとっているか?」
という問題をつきつけ、
アメリカ政府は、それにたいする「反論」をはじめます。
“アメリカは、南ベトナム政府と軍事同盟をむすんでいるのだから、
これは集団的自衛権をつかっている行動なんだ”と。(※5)
これは憲章51条のさだめです。

(この米の論理への反論はあるのですが、それはおいといて、)
いずれにせよ、ベトナム戦争をさかいに、
国連憲章を基準にしてその戦争が「いいかわるいか」を
かんがえ、さばく、というあたらしい局面がうまれます。



■■■■ベトナム戦争以後、大国の行動をしばるうごきが国連で登場■■■■

1975年にアメリカはベトナムにやぶれ、ベトナム戦争はおわります。

これ以後、国連の場でも、大国の行動を批判し、手をしばろうとする
うごきが活発になっていきます。

1979年 ソ連のアフガン侵略
1983年 アメリカのグレナダ侵略
1986年 アメリカのリビア侵略
1989年 アメリカのパナマ侵略

これらの軍事介入にたいして、国連総会は
侵略国を名ざしで批判する決議をあげていきます。
もちろん「国連憲章違反」だということはハッキリかいてあります。

ここにはさきほどいった、非同盟諸国のうごきがあります。
それだけでなく、アメリカの同盟国までが批判の声をあげはじめます。
たとえば、グレナダ侵略では、
「国際法からみて驚くべきこと」「つよく非難」(フランス)
「事前の連絡があれば反対した」(ドイツ)
「米軍の侵攻であり不同意」(イタリア)
「アメリカの行為は正当化できない」(カナダ)
「つよい疑問」「米軍のできるだけ早い撤退」(イギリス)
ちなみにここでも「理解」をしめしたのは、日本だけだったんですね。

これいがいにも、ベトナム戦争をきっかけに、
「侵略の定義をはっきさせよう」といううごきがおこり、
国連憲章のさだめをもっとハッキリさせようとします。
ここでも非同盟諸国が活やくし、国連総会で2つの決議があがります。

1970年 国連決議「友好関係原則宣言」(報復戦争はダメ、とか)
1974年 国連決議「侵略の定義」(審議じたいは50年代から)


70〜80年代というのは、アメリカや大国の行動を国連の場で
批判し、その手をしばろう、といううごきが登場してくる時代でした。

じつは90年代というのは、さらにそこから複雑なうごきが生じるのですが、
ごちゃごちゃした話になるので、そこははぶきます。


■■■■さらに新しい局面をひらいたイラク戦争での国連のうごき■■■■

70〜80年代の話で、よくみておいてほしいのは、
いずれも「国連総会」だということです。

イラク戦争では、アメリカの武力行使がゆるされるかどうかが、
国連の「総会」ではなく、「安全保障理事会」、つまり安保理でとわれ、
そして、国連のながい歴史のなかではじめてそれが否定されようとしたのです。

たしかに大量破壊兵器の存在は、中東のひとびとにとっては、
クルド人問題ひとつをとっても、現実に脅威になりうる、大問題です。
国連憲章のさだめからいっても、一般的には、「平和にたいする脅威」として、
軍事をふくめた「制裁」の対象になりうる話です(第7章)。

口実があればクリアされてしまいそうに思うのですが、
国際社会はそれにたいして、もっとも理性的な答えをだしたといえます。
この到達点は、おおきくないでしょうか。

ここでは、
1)世界じゅうでひろがった反戦運動のこえ、
2)中国、ロシア、ドイツ、フランスなどと大国の反対、
3)非同盟諸国会議やイスラム諸国など多数をしめる「小国」の反対、
が、はっきりと「アメリカの行動への規制力」として登場してきています。
戦争がおこるまえにこうした行動がひろがるというのは、
ベトナム戦争でもありませんでした。

以上は、わたしの独創ではなく、ほとんど、
松竹伸幸『反戦の世界史――国際法を生み出す力』によりました。


法やシステムがはじめから完全、または不完全なものとして、あれかこれかの
両極端に走ることはあまりうまいことではないと思います。

国連憲章と国際法というのは、日々、わたしたちの行動
――ひとつの抗議メール、ピースウォークでの一歩、一枚のプラカード――
によって、強化され、ゆたかにされている歴史であって、
また逆にいえば、手をぬけば逆流をゆるしてしまう歴史であって、
(今回はぶいた90年代というのはそういう時代でした)
その到達ひとつひとつに自信をもっていけばいい、ということです。

いま現実に世界のなかにそだっている「平和の規制力」の芽を、
さらに大きく育てるのか、それとも、
「小さい苗じゃないか」とひっこぬいてしまうのか。

システムのカンペキを、所与のものとしてかんがえる方式から、
わたしたちは離脱すべきなのです。

■■■■集団安全保障を実効化するための核廃絶■■■■

POPさんの心配の核心にある、アメリカの手をしばる“力”はどこに存在するのか、
という問題についても、すこしふれておきます。

この問題も、じつは、いま育っている芽をきちんと育てるかどうかにかかっている、
とおもいます。

理論的にいえば、アメリカをふくめ、すべての国の手をしばるのは、
それこそ国連憲章が想定する「集団的安全保障」のしくみです。
つまり、わるいことをする国があれば、それをみんなでこらしめる――
しかし、知られているように、このしくみはうごいていません。

さきほどの松竹氏がいっていることですが、

「核兵器の存在は、この集団安全保障体制を根底からくずすところに、
 国連憲章上の無視できない問題がある。なぜそういえるのか。
 集団安全保障は、最終的には侵略国を集団的に制裁する決意、
 仕組みがあって成り立つが、そのためには、制裁に参加する国々が力を
 あわせれば侵略を排除できるという実力面での保証が、ある程度は必要となる。

 別の側面からいえば、侵略国が核兵器を含む圧倒的な軍事力をもっており、
 他の国が共同しても対抗できないどころか、
 壊滅的な被害をうけるような関係であれば
(これはまさに現状の関係であるが)
 その国にたいして集団的に制裁措置を発動することは、
 現実にはほとんど不可能
となるのである。

 実際、国連史上、核保有大国である安保理常任理事国の侵略が
 総会で批判されたことはあるが、これらの国への制裁が問題になったことはない
 それは、憲章上も常任理事国の拒否権が障害になるという側面はあるが、
 大国の侵略を排除する実力に欠けているという
 実態面での問題も少なくないのである。

 このように核兵器問題は、国連憲章の体制を実効性あるものにするために、
 どうしても解決しなければならない問題
である。

 しかし、大国にとっては、国連憲章の制約からはなれて
 力を発揮できる保証だという面をもつだけに、
 核兵器への固執は尋常ではないほどつよいものがある」

核兵器廃絶は、1980年ごろからようやく国際政治の日程にのぼり、
いまや非同盟諸国のスローガンとなっています。
90年代後半からはくりかえし、「期限をきった核兵器廃絶」の決議が
国連総会であがり(日本はくりかえし棄権)、やがて非同盟諸国以外の国々の政府、
スウェーデン、ニュージーランド、アイルランドなども7カ国が、
廃絶の交渉をもとめる運動をはじめました(新アジェンダ連合)。

この結果、2000年には、アメリカをふくむ核保有国にも、
核兵器の廃棄を約束させています(NPT再検討会議)。

ここでも、やはり、はじめから完璧なシステムがあるのではなく、
それにむけた国際社会の努力がはじまっており、
その現実の努力の芽を大きく育てる以外に、現実的な解決の道はないと、
わたしは信じます。


POPさんは
「理想はわかるが、現実に解決されていない問題をどうするのか」という苦悶の
なかにいらっしゃるとおもいます。

だからこそ、当面、「国連憲章にもとづく世界の秩序を」という世界中の努力を、
いっしょに後押ししていくべきではないでしょうか。
と、POPさんにはもうしあげたいのです。

けっきょく、POPさんのもともとの質問にもどればアメリカを規制する究極の力は、
国連憲章にもとづく集団安全保障の力、ということになるのでしょうが、
その力が実現する前にも、国際世論、非同盟諸国やアメリカ以外の大国の力、
というものが、アメリカの行動を規制する力になるのだと思います。

-------------- 注 -------------------------------

※1: 1986年の国際司法裁判所判決(ニカラグア問題)

「裁判所は、慣習法規の存在を導きだすためには、諸国家の行動が
 一般的にその規則と …… 一致しない場合は、
 そのことが新しい規則の承認の表示としてではなく、
 当該規則の違反であると一般的に取り扱われれば十分である」

つまり、アメリカがイラクに無法な戦争をおこしたばあいは、
アメリカの行動をみとめるあたらしい国際慣習法になるのではなく
国際社会がおすみつきをださなかったことによって、
「無法」のままにとどまる、という意味です。

※2: ただし「民族自決」は一般的にはうたわれました。
非自治地域と信託統治というふたつのとりきめが憲章にはいり、
国連がかかわるようにはきめられましたが、
逆にいうと、植民地は「合法」にされたままでした。
(第73〜91条)

※3: これらの国の内政がしばしば独裁政権であったことは、
免罪されていいことではありませんが、いちおう区別して考えます。
このまえ、池田香代子さんの講演会にいったら、
バングラディシュ政権がチッタゴンの少数民族をおさえつけている
という話がありましたが、バングラディシュ政権は、
核兵器廃絶をすすめる有力な国のひとつでもあります。

※4: イギリスの哲学者バートランド・ラッセルが呼びかけたもの。
1967年〜。ベトナム戦争が国際法上の侵略にあたるかどうかをさばいた。

※5: アメリカ国務省のメモ。
1965年「北ベトナムにたいするアメリカの行動の法的基礎」
1966年「アメリカのベトナム防衛への参加の合法性」


新日本出版社 2003.5.20発行
2003.10.4記 

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