原田妙子『彼とお金とミルフィーユ』


彼とお金とミルフィーユ 1 (1)

 「SEXなしに男女の恋愛は語れないわっ」「最低のまんがで見極めたいわけよ 最高のSEXを」と豪語するエロ漫画家の「野原りか」(ペンネーム艶原乱子)にたいして、りかの彼氏である「内藤雅樹」は乙女チックな少女漫画担当の編集者。

 雅樹はいわゆる「いいやつ」であり、りかのエロ路線を深刻に憂え、少女漫画への転向を心から願っている。
 他方で、りかは、雅樹とはラブラブであるが同時に「男の色気」が足りないと感じている。

 そこへ、「フェロモンだしまくり」の「織田浩志」がりかの新担当となり(元AV男優)、りかがエロの描写に本や写真集などの「資料」しか使わなかったので、織田は、りかがさらけだしてこなかった「自分」を引き出させる……つう話。物語はそこからさらに展開していくわけだが。



原田のリアル人生そのものに

 「すーっかり低俗かつえっちなイメージが定着しちゃったわたし」「こぉんな少女シュミな私がどうしてHモノを描くのでしょう」と原田自身がコミックのカエシで書いていた。
 今はなき「ぶ〜け」誌に連載されていた当時に、ぼくは大変面白く読んでいた。
 ところが、その後、原田は「マーガレット」誌に転戦し、『彼までラブkm』を発表、いまや「りぼん」誌へと進出し『ピンクでいこう!』といった、まさしく乙女チックな少女漫画家へと豹変した。

 『彼とお金とミルフィーユ』でエロ漫画家・りかは、いったんエロ漫画家であることを放棄し、少女漫画家になるべく、そのアシスタントになったりするのだが、まさにこの「りか」の迷走は、原田の人生そのものになってしまった。


 原田は、雅樹が担当する「29才独身少女漫画家」の苺野を登場させる。『彼とお金とミルフィーユ』のなかでは、苺野とアシスタントはそのまま少女漫画から抜け出してきたような「かわいさ」と「非現実感」をもっているように描かれる(つまり少女漫画のキャラ=子ども、下図参照)。
 どれくらいかわいくて非現実的かというと、苺野が「締切前でシュラバなの」というと「お菓子の名前に聞こえる」ほどに、である(「シュラバパイ」というのは大いに笑った)。


原田『彼とお金とミルフィーユ』2巻より



 そこに原田は、りかという「現実」の毒を投入しこの世界を徹底的に笑いものにする。

 そして、たしかに読んでいて可笑しい。

 りかは、苺野のアシスタントをひきうけ、背景を描き始めながら、ついつい妄想してしまうのである。「どーせ 告白の後はキスして遅かれ早かれHすんだし」と妄想モードに入り始め「やっぱ体育倉庫かな」などとさらに妄想を進行させ、「体育倉庫 又は理科準備室(音楽室もありか)」「3P 用務員入ってくる(60才ぐらい)」などというメモをコマに書き付けてしまうのである。

 ほかのアシたちは「さんぴーってなに?」「さんページってことでしょ?」などとそのメモを見ながら不思議そうに会話しているのだが、それはまさに少女漫画のキャラたちが交わしている会話であるかのようである。

 少女漫画をエロ大人の視点でいじるという、この毒のある展開は十分に笑える。

 原田の絵は、この時代から女性キャラが「りぼん」風で、そのなかに、女性誌風のキャラがまざるという異様なものだった。その画風の分裂は、原田自身の分裂をよく表していた

 原田は、苺野の描く漫画を、「劇中劇」ならぬ「漫画中漫画」で紹介する。男の子がキスをしようとして寸前でおでこにチュー。「しゅうちゃん……」「大事にしたいもんな 菜々のこと」――まさしく今、原田が描いている漫画そのものである。
 『彼までラブkm』をみてみよう。

「たっ……ただ あっ あたしは 南くんのことが――」
(言いかけて「はっ」となる主人公、見つめあう二人)
(電車が急停車して、「南くん」に抱かれる主人公)
「オレも――…」

どっちがどっちかわかりゃしねえ。
(左『彼までラブkm』、右『彼とお金とミルフィーユ』の漫画中漫画)


 これはまさに、苺野が描いていた漫画そのものではないか。
 絵をみても、まったく区別できまい。



原田ドクトリン

 『彼とお金とミルフィーユ』では、男のキャラはそれほど色気があるとも思えないし、ぼくからみてあまり面白いとも思えない。ところが、反対に、圧倒的な生彩をもっているのは主人公の野原りかである。「りぼん」風の容姿で大慌てしたりドジをやったりギャグをやったりする、りかのありさまをみていると、原田は、もともとこうしたキャラにかなりの思い入れをしていたのではないかと勝手に推察できる。
 
 「なぁーに 少女漫画もレディコミもどっちもまんがじゃん! 要は少女まんがなんてSEXする前の男と女を描きゃいんだろーっ」という作中でりかの発言は、原田が持っている根源的な思想であろう。「マーガレットにきてはや1年。初めてのマーガレットコミックスです。これまでのまんがとは180°変わってキスどまり(おっと失礼)の純情なはじめてラブです」(『彼までラブkm』1巻の作者コメント)という原田の言葉にはそれがにじみ出ている。
 『彼とお金とミルフィーユ』を読むと、自分の気持ちを裏腹に表現してしまうというテーマがくり返し登場する。それは、『彼までラブkm』でも何度もあらわれる主題である。

 少女漫画の構造で大人の漫画を描いていたのが原田だったのではないか。

 『彼とお金とミルフィーユ』で苺野が描いていた「漫画中漫画」と、『彼までラブkm』との決定的な違いは、主人公の男の子が「漫画中漫画」では「雅樹」風、つまり「いいやつ」系であったのにたいし、『彼までラブkm』の男子主人公「南」は、耽美系(つまり『彼とお金とミルフィーユ』では、りかが欲情してしまう男性新担当と同じ)であるということだ。

 それだけの違いでしかない(すなわち原田が、自分がつくったキャラである苺野の描く漫画を距離をもって眺められたのは、その漫画中漫画の主人公が、原田の思い入れのウスい、非耽美系であったからにすぎないのである)。

 それは『彼とお金とミルフィーユ』と『彼までラブkm』を、原田がほぼ同じ構造で描いていることを物語っているのではないだろうか。やはり原田にとっては、「なぁーに 少女漫画もレディコミもどっちもまんがじゃん! 要は少女まんがなんてSEXする前の男と女を描きゃいんだろーっ」というのが基本的信条なのである。
 
 「大人の女性漫画 − エロ =少女漫画」という教義が原田の漫画に見えかくれする(これを原田ドクトリンとよぼう)。

 原田の漫画は、エロと少女漫画の葛藤でゆれていたが、実はその両者のあいだは、自在に往還できるものであったのだ。

 現在の原田の漫画を念頭においたとき、『彼とお金とミルフィーユ』は、作家の内的な分裂と葛藤の記録として「楽しむ」ことができるんじゃないかと思う。




『彼とお金とミルフィーユ』
(集英社マーガレットコミックス/全3巻)
『彼までラブkm 』(同コミックス)
※画像引用は引用の原則をふまえているつもりです
2005.3.8感想記
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