山崎さやか『はるか17』18巻





はるか17 18 (18) (モーニングKC)  『はるか17』がここにきて面白い。

 ガリ勉・メガネの女子大生、宮前遥が、就職活動に失敗しまくり、なりふりかまわず小さな芸能プロダクションに就職するも事務や営業ではなくタレントとしての人生が始まってしまう物語。
 最新巻18巻は、大手のプロダクション「ゲットオン」に圧力をかけられながらも映画を撮り続ける話である。

 より強い企業の横やりで、予算も配給も厳しい制約条件を加えられるが、映画そのものは高いクォリティで仕上がっていく——という筋書きは古典的といえば古典的であるが、これこそ待ち望んでいた王道である。

 大手の配給会社から断られても、上映館を手工業的に必死で探し、試写会で上映するや震え上がるようなすばらしい出来だとわかる。まったく乗り気でなかった映画館主は「なんの事情かは知りませんが この映画が世にでなくなることは 僕は…… 映画人として恥ずかしい……! ぜひ……ウチでやらせていただきます」と思わず叫ぶのである。

 作中に登場するプロデューサー、映画的快楽に出会うたびに性的恍惚に陥る藤堂夏美ではないが、社会的にはまだまったく知られていないすばらしい創作物を、いままさに目の前で見つける高揚が、読んでいてたまらない。
 ぼくはまるで試写会を見終えたスタッフと同じように、誰も知らない歴史的な作品の生成に立ち会っているのだという追体験をした。

 そのひとつの象徴としての松永Jr.。はるかの所属するプロダクションのオーナー。登場当時、俳優を金のためのコマとしか思わず、自分を過信し、権力をふりまわす、この男。それがこの巻にきての変貌をもたらされるのである。その描写こそが、はるかの出た映画がいかに人を動かす力をもっているかを、鏡に映すような形で証明している。
 「松永Jr.が味方になるとは……。連載当初には思ってもみなかったことでした」と作者でさえその驚きをカエシに書いているほどの意外さなのだ(笑)。

 もちろんこうした王道の楽しさが17〜18巻の楽しさなのだが、それだけではない。たとえば脚本家・日野誠の描写だ。

 ぼくは、つねづね日野に好意を抱いてきた

 サルのように細く長い四肢と、前屈みのダルげな姿勢。
 かまわないようでこだわりのある同じ服装(ボーダーのシャツ)。
 知的で偏執狂的でエキセントリックな、しかし適度に常識的・通俗的な面をもつというこの人物描写。

 これはぼくの、美化した、あるいは希望的自画像のひとつである。

 つれあいは見るだに「あー、明らかにクドカン(宮藤官九郎=脚本家)をモデルにしたアレね」とほざいた。うるせーな、人の夢をこわすんじゃねーよ!

 以前、大場・小畑『デスノート』の登場人物「L」について「ぼくは、夜神の才気走った顔、『L』の狂気じみた表情を飽くことなく見続けていたいのである。ちなみに、『L』の狂気じみた表情は『目』ではなく『手』である。長い『触手』でつまむようにモノをとりあげる仕草こそが、常人たらざるゆえんである」と書いたが、「L」に似た日野の風貌に好感と憧憬を抱く。

 そして大事なことは、「L」、もとい、日野がはるかに「はるかさん! 僕と付き合いませんか?」と告白したことである。
 もともと15巻ではるかが日野の家にエアウォーカーを届けにくる話があって、そこで身の上話をしたり自転車で送ったりする姿をみて、ぼんやりと「ああいい感じだなあ」「この二人つきあえば自然なのに」とか思っていた。そういう期待もあったもんだから、18巻でこういう告白シーンが出てきて、ぼくはうれしいのである。

 この告白シーンは、凡百の恋愛漫画の告白とは違うオリジナリティがある。

 第一に、日野は赤面・照れなどのいっさいの感情の高揚が表面に出ていない。「付き合いませんか?」と言った後、まるでひと事のように「僕があたなを良いと思う理由について」語りはじめる日野。
 瞳を小さく書いた日野の表情とあわせ、そのにある種の得体の知れなさと、知性による抑制が出ている。ああ、ぼくもこんなふうに学生時代、告白できたらよかったのに。
 第二に、といって、腐れ縁でなれ合っているような二人が「なあ、おれたち付き合わない?」とかいうみたいな「非新鮮さ」がなく、驚いて初めは意味さえとれないはるかの表情にみられるように、初々しさや新鮮さに満ちている。それは恋愛の瑞々しさでもある。
 第三に、風情もある。
 自分が不眠症になった話を軽くしたあとで、「あなたが今後 一緒に寝てくれると…… 眠れるような気がします……」とさらりと言ってしまうあたりが、日野なりの色っぽさである。

 唐突に思うのは、男性青年誌で恋愛漫画をこういう感じで描けないのかなあということだ。「こういう感じで」とはどういう感じでか。少なくともいまの青年男性誌の恋愛とは違った感じで、という意味だ。

 えーっと、ちょっと取り出してみようか。
 
●『バンビ〜ノ!』
 いまのところ「恋愛」はこの作品においては「仕事をとるか恋愛をとるか」というドラマツルギー用の仕掛けでしかない。面白いけど。

●『クピドの悪戯』シリーズ
 この世代の恋愛とはセックスである、ということのひとつの典型。

●『ハクバノ王子サマ』
 うん、これはいい線いっている。恋愛だしリアルだし、かつ欲望的。しかし特徴的なことは、「寸止め」であるということによってずっとセックスが意識されているんだわな。だから根本的には『クピドの悪戯』と同じだ。

●『ボーイズ・オン・ザ・ラン』
 こういう恋愛だけは自分はしたくないと切に思う。

●『僕の小規模な生活』
 リアルでよい。しかし憧憬や欲望の力はない。別の面白さ。

●『ひまわりっ』
 リアルでも欲望的でもない。ただ笑うしかないもの。

●『菜〜ふたたび』
 『ひまわりっ』とは別の意味で笑うしかない。

●『赤灯えれじい』
 これは「生活」であって「恋愛」ではない。
 
●『ガールフレンド』
 はっきりエロが狙いでしょう。

●『アニメがお仕事!』
 『バンビ〜ノ!』に同じ。

●『わにとかげぎす』
 ……恋愛か、これ?

 日野がはるかに交際をもちかける感じは、女性漫画や少女漫画の感触に似ている。少なくともセックスが意識されない。青年男性誌ではありえない展開かもしれないが、よく考えてみればそもそも『はるか17』は青年男性誌だ(笑)。
 ちなみに、今現在の段階で『はるか17』において「恋愛」がよく描けている、という意味ではない。日野がはるかにもちだしたような恋愛の感触を敷衍して行って物語を展開すると「ひょっとしたら面白い男性誌的恋愛漫画になるんじゃないかな」という空想的な期待にすぎないことは、急いでここに付け加えておこう。


 前述のとおり、青年男性誌のなかでは恋愛は「セックス」とどうしても分ちがたく結びついている。それはそれでぼくとしては好きなんだけども、別のパターンが読みたいのである。
 「恋愛」を読みたい場合、いまのところ少女漫画や女性誌で補完するわけであるが、セックスから一定の距離を置いて恋愛そのものを正面からとりあげ、しかもその機微の細やかさを、女性漫画とは違った切り口で読んでみたいのである。
 「そりゃいったいどんなものだ?」と思うかもしれない。
 もちろん、ぼくも知らない。知らないから、そんなものがあれば読みたいなと思うのである。






講談社モーニングKC(以後続刊)
2007.10.30感想記
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