つれあいの話を聞いて、渡辺ペコ『変身ものがたり』の第4話「毒りんごパイ」に出てくるお母さんを思い出さざるをえなかった。
本作は体が、もしくは体の一部がかわってしまう物語を8つ集めてある。「現代のおとぎ話」とオビにあるが、多くは奇譚のようなもので、オオカミに変身してしまう少年や、つかまった魚のように舌があばれまわる話などが出てくる。
そのなかでも第4話は「奇譚」の要素がまったくない。
とてもきれいなお母さんと、きれいではないという自意識をもっている娘の物語である。
「家にいた頃 母は鏡の前にばかりいた気がする」で始まるこの物語に登場する「お母さん」は、美しい人で自分の美醜に強い関心をもち、やがて整形を何度もするほどのこだわりを持つようになる。
娘が生まれたときの写真、というエピソードをみて笑ってしまったのだが、その写真は、母親の顔にフォーカスが当たっているのだった。そればかりか、娘の顔は写っておらず、母親の方をむかされて、カメラには背をむけるかっこうになっているのだ。
「てゆうかさ この写真どー思う?
あたし生まれたばっかなのに
毛しか写ってないってひどくない?」
長じて学生になった娘が、男友だちにグチる。
たしかに子どもを産んでも自分の美醜にこだわる瞬間というのはいろいろあるだろうけど、よりによって生まれたばかりの娘を抱いてこれはないだろうと思わしめる印象的なエピソードだった。
自分の美しさに強い執着をもつ一方で、自分のような美しさを持たない娘の自尊心を平気で傷つける。娘が憎いとか、醜いものが嫌いとか、虐待癖があるとか、そういうのではない。「ナチュラルボーンでフリーダム」だと評される母親はまったく無邪気に思ったことを口にするし、自分のこと以外には気遣ったような関心をもたない人なのだ。
娘が小学校時代。フタをあけるとそこにはアップルパイが一切れ入っていた。
家で問いただすと、「ごめーん時間なくて」とまったく悪びれる様子のない母親。「でも えりちゃん アップルパイ好きでしょ」。
「あたしがかわいくないから
お母さんに嫌われていると本気で思った。
好きでも嫌いでもなかったアップルパイが
大っ嫌いになった」
短い作品であるけども、母親の「天然」ぶりがセリフの一つひとつ、表情の一つひとつにとても的確に表されている。娘が抱いているコンプレック、屈折した感情をまったく受け付けずに通過させてしまう「最強」ぶりが十分に造形されている。
娘は子ども時代は痩せて酷薄な感じの「少年」っぽいグラフィックをしている。たぶん「かわいくない」子どもであったのだろう。しかし、それが思春期をすぎてくると日本的なキレのある美人になってきているのがうかがえる。だが、娘はそのことをあまり自覚していない。「なぜだかあたしは母に抗えないのだ」という娘の真情の吐露は、母親からうけてきた「かわいくないあたし」というメッセージに抑圧されて続けてきたであろうことを暗示している。
ぼくは男兄弟だけで育ったので「母と娘」の関係を間近で見たことがない。
だから不謹慎といわれようとも、こうした「母娘葛藤」の物語が、身につまされることがない「安心して見られる他人の揉め事」として大好きである。
そして、この短さのなかで、エピソードも、人物造形も、表情も、そしてセリフも、どの要素もとてもよく出来ていると思う。
巻末で小説家の川上弘美と渡辺が対談をしているがそのなかでセリフのリアルさについて語る部分が出てくる。ぼくは、この第4話にでてくる母親を中心とした登場人物のセリフにそれを感じた。
爆発しそうになってかろうじて同席の男友だちに抑止された娘。葛藤に気づかない母親は、ぶちまけようとしたコップのまわりが、こぼれた飲み物で乱れている痕跡に気づいて、
「えりちゃん ビールがいいならそう言えばいいのに
取り合ったりして やあねえ」
とつぶやくセリフと表情はたまらなく「ナチュラルボーン」である。無邪気にひとを抑圧するこの人の本質を、見事にえぐり出している。
***
他の話の出来はなかなか微妙で、ぼくはどうしても杉浦日向子の『百物語』を思い出してしまい、比較してしまった。
7話の「黒い人」は、まんま中島敦『山月記』である。それなら中島のほうがよほどよい、と思った。
ただし、それはあくまでぼくの感想。ハマる人も少なくないと思う。一度手に取って判断してみる価値はある。