いまや比喩ではない

この前、自分が山師よばわりされている2chのスレッドに行ってきました。
見ただけですけど。

このスレッドはシリーズになっている、“人気”スレッドです。
「朝日」などに載る平和系の投稿を馬鹿にしようという意図からはじまったもので、「戦前の日本への道をひた走っているような気がしてならない」とか「徴兵制が危ぐされる」という類いの不安を、「ありえない」と嘲笑するものです。

歴史条件を無視した単純なアナロジーは、ぼくも好きじゃありません。
(といいつつ、よくBBSなんかで、「カエサルが」とか「ヒトラーは」とか、実に無邪気なたとえ話を使っていまの戦争と平和について語っているのは、右派のひとびとなんですけどね)

ところが、イラク派兵をめぐって次々とあげられている声は、「銃後の妻」の声だったり、「戦争で肉親をなくした家族」の声だったり、「戦争のために兵士と別れた恋人」の声だったりします。

12月10日(2003年)に日比谷でおこなわれた7000人の集会では、自分の教え子が自衛隊に入り、その子が派兵されるかもしれないという、北海道のある定時制高校の教師が訴えました。

「教え子を戦場に送るな」「恋人を戦場に送るな」はもはや象徴的なスローガンではありません。歴史の比喩でもありません。現実の、「いま、そこにある」危機にたいする、たたかいのスローガンです。

以下は、第二次世界大戦のあと、高知県のある教師が詠んだ詩です。
日教組の「教え子を戦場に送るな」というスローガンが、どのような血の叫びのなかで生まれてきたかを如実にしめすものです。


 戦死せる教え子よ

           竹本源治


  逝いて還らぬ教え子よ
  私の手は血まみれだ!
  君をくびったその綱の
  端を私はもっていた
  しかも人の子の師の名において
  鳴呼!「お互いにだまされていた」の言訳がなんでできよう
  慙愧、悔恨、懺悔を
  重ねても、それがなんの償いになろう
  今ぞ私は汚濁の手をすすぎ
  涙をはらって君の墓標に誓う
  「繰り返さぬぞ絶対に!」


派兵される自衛隊員を恋人にもつ人の手紙
派兵される自衛隊員の妻の訴え(リンク)
自衛隊員の母の訴え(リンク)
イラクで殺害された韓国人の娘の手紙(リンク)
イラク人の高校教師からの手紙