北原尚彦『本屋にはないマンガ』



本屋にはないマンガ  ぼくはサヨクなので、政治活動をやっており、ビラをつくることがある。
 サヨ友人たちもビラをつくる。
 で、そこに漫画を載せることがある。解説漫画である。このあたりの苦労は前に書いたが、そういうわけで、漫画を「宣伝や解説の道具」として使うことはよくある。

 だから、「解説漫画」というものに、しぜん、敏感になる。

 新聞をみていて広告で漫画が使ってあるとか、公共施設にいってそこに漫画の啓発本がおいてあるとか、そういうものにどうしても目がいってしまい、あれこれその効果を考えてしまうのだ。

 世の中にこれほど商業漫画と同人漫画があふれているなかで、そんな漫画に目をむける人なんていないのかなと思っていたら、いましたよ。
 北原尚彦という作家で、ホームページもある。
 不勉強ながら、ぼくはまったく知らなかった作家。

 「解説漫画」にとどまらず、とにかく普通の書店流通ルートからはずれた漫画を10ジャンル62点選んで紹介している本である。オビにも、「はじめに」もあるように、「本屋にはないマンガだからといって、なんの取り柄もないマンガは、取り上げなかった。本書で扱った本は―― (1)有名な(意外な)マンガ家が描いている(2)中身が面白い(3)意外な発行元がマンガを発行していた ――このいずれかに属している」という基準で選ばれたものだ。

 ジャンルをみると、その幅広さがわかる。
 「企業・業界マンガ」「社会問題マンガ」「医療マンガ」「宗教マンガ」「コスモメイトマンガ」「公共機関マンガ」「日本原子力文化財団マンガ」「地方マンガ」「評伝マンガ」「イベント記念マンガ」。


 ジャンルによって、マンガが果たす役割がかなりちがってくる。

 「企業・業界マンガ」は、仕事内容の技術的解説が多く、たとえば内山安二が描く「下水道工事積算マンガ」などが典型だ。内山は学習漫画でおなじみで、ぼくも小さい頃、兄の「小学5年の学習」などのバックナンバーを擦り切れるまで読み、「限界とイドムンコスキー」などの学習漫画は大好きだった。この内山が「開削工法」だの「コンクリートカッターを使ったさいの単価」だのを漫画で解説するのだ。

 この種の漫画は、別に「下水道工事積算」に何の興味がなくても、蘊蓄漫画のように面白く読めるのだと思う。吾妻ひでお『失踪日記』でガス工事の説明を、ひとはわりと楽しんで読んでしまうのは、あらゆるドラマや意味をはぎとった、純粋な事物や、その事物の運動過程そのものがひとの心を躍らせてしまう力をもっているからだ。その芸術的極に黒田硫黄がいる。

 他方、「宗教マンガ」は、まさに思想宣伝の道具である。
 そして、新興宗教にかぎらず、古くからある宗教でもわりと漫画を使う。漫画と宗教は親和性が高いのだろう。
 北原が「本屋で打ってないが、『お寺』で売っている、という種類のマンガがある」とのべているように、名刹に行くとわりと目にする。ここでも紹介されているように「地獄/極楽」を解説するというのが多いように思う。
 このジャンルで、北原の文を読んでいて気になってしかたなかったのが、『愛の漂流者たち』という女性霊能者の問題解決譚で、いわゆるレディコミばりの絵で、エロシーンが連続するというやつだ。宗教的な本なのにそれはどうなんだという当該漫画をぜひ一度は目にしてみたいものである(同じジャンルで、空海の話を欠いた『空と海 大師転生』も同様の状況のようだが、脚本が牛次郎と聞いて萎えた)。
 あと、古谷三敏が立正佼成会から布教漫画を描いていると聞いてびっくりした。北原も、「でも一方、(古谷は)潮出版社の希望コミックから『マンション大統領』というマンガを出している。潮出版社と言えば創価学会ではないか。そういうことでいいものなのだろうか」と書いているけど、ぼくも公明新聞などで古谷の漫画をよくみかけるので、まさか立正佼成会の漫画を描いているとは、と驚愕した次第である。
 まあ、森田拳次が「赤旗」にも「公明新聞」にも描き、手塚治虫が「赤旗」にも「希望コミック」にも描いているというような“全方位外交”のつもりなんだろうか。

 個人的になじみが深いのは「地方マンガ」。たしかに、よく地方の博物館などにいくと地方の歴史を描いた漫画を売っていることがある。もう十年以上も前だが、つれあいと飛騨高山に行ったとき、大原騒動(飛騨最大の一揆)について描いた漫画を買って読み、非常に勉強になったことから、旅行に行くときはできるだけ買うようにしている。

 興味深かったのは、『富山しあわせ勝負』というタイトルの本で、富山県が発行したもの。なんと『美味しんぼ』のキャラクターが登場しているが、作者たちの監修のもとで別人が描いたものだという話である。富山県の「県民総合計画」をストーリー漫画で紹介するというアクロバットで、山岡や栗田がどのように描かれているかということもさることながら、県の総合計画がいったいどのようにコミカライズされているのかが好奇心をそそる(ほかにも名古屋市の計画を漫画化したものも紹介されている)。


 読んでいると、漫画家というものの「リサイクル」というか、一定のヒットをとばしたがその後どういうもので食っているのか見当がつかないような人たちが、こういうものを食い扶持にしていたのか、という思いが浮かんでくる。むろん、一線でがんばっている人も描いているのだが、「小ヒットをとばしたが、今は商業誌ではあまり見ない」というような人が多い。
 量産される漫画家を支える富が、一般の漫画市場以外にどこから分配されているのかが何となくわかる。


 あと、思いついたことを二、三。

 ひとつは、北原の文体。わりと地味なのだが、それが質朴な感じのツッコミをしていて、いい味を出している。

(先物取引を解説する漫画についているストーリーのご都合主義を指摘する一文)
「しかも二人切りで食事かと思いきや、はじめ君の先輩・大下が『オレも晩めしまだなんだよ』『ごちそうしてくれや』と乱入してくる。どこを取っても、はじめ君が即刻ひとみちゃんに捨てられる要素ばかりである。はじめ君、喫茶店でも買い物中でも、先物取引の話しかしないし。ごちそうしてもらった大下先輩も、先物取引に関する講義を始めるし」

(訂正できない間違いをあえて間違い探しクイズにしてしまった例を指摘する一文)
「ただ、欄外に『この作品には、十カ所の間違いがあります。見つけて下さい。(解答協力・(財)オリエント博物館)』とある『まちがい探し』はちょっと怪しい。オアシスで人々が集まっている絵に付されている『Q3 このコマの間違いはなんでしょう』という問いの答えを見てみると、『この周辺では先のとがった縁のついた白い帽子をかぶっており、画のような、イスラム教徒の使用したベールと頭飾りは、当時この周辺では存在してなかった』とある。これは最初から間違い探しを意図していたのではなく、マンガが完成してから専門家にチェックしてもらったところミスが見付かり、苦し紛れにそういうことにしたのではないのかとわたしは推測するのだけれど……いかがなものだろう」

 
 ふたつめは、ストーリーについて。北原が紹介した漫画は、ぼくが冒頭にのべたような純粋な「解説漫画」は少なく、だいたいが「ストーリー」をつけてあるようだ。それによって、解説や思想の宣伝をしようというのだから、そこに独特の技術や作法が生まれるのが、この分野の特徴である。
 しかし、商業誌の蘊蓄漫画であっても、ストーリーは添え物でしかないものが多い。北原の本書で紹介されたものをぼくは一つも読んでいないが、おそらく五十歩百歩なのだろうと推測する。
 だとしたら、漫画にするほうは、ストーリーのほうに熱中するのではなく、宣伝すべき思想や事物の過程にもっと「愛」をこめるべきで、そのなかでも特にとこに愛情を注ぐべきかを考え抜いた方が、いい解説漫画ができるのではないかということである。

 このこととあわせて、北原自身に、解説漫画の優劣がどこで生まれているかをもう少しつっこんで考察してほしかった。今回の企画は、純粋な紹介や漫画家のデータ化に徹していて、やや食い足りない思いがしたのも事実である。ストイックというか、ジャーナリスティックというか。

 第二弾の機会があれば、「政治・政党漫画」をとりあげてほしい。
 巨大な解説漫画ジャンルでありながら、北原のあげたジャンルからはすっぽり抜けている。それとも基準にあう漫画がそのジャンルでは少なかったのだろうか。

 ところで、サブカル的なというか、「うわー、こんなスゲェもん見ちったよ」というほどのインパクトはないと思うので、漫画研究やマニアにはツボな本だとは思うのだが、第二弾が出るほどに需要があるのか、ひとごとながら心配な本である。
 しかし、漫画の広大なフィールドにおいて、ほとんど顧みられてこなかった分野ではないかと思う。ゆえに、この本が嚆矢になって研究や調査がすすめばいいなあ、などとヌルい期待。





長崎出版
2005.8.12感想記
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