細野不二彦『ギャラリー・フェイク』(小学館)



ギャラリーフェイク (1)

(2003年感想記述=短評で書いたことを転記)

 『ギャラリー・フェイク』の三田村館長やそのなかの各種の挿話、あるいは『ごめんあそばせ』の主人公・鬼龍院ひな子、そしてこの『S.O.S』の女刑事・るいをみると、細野は凛とした女性、権威的な女性、とりわけ「婦人警官」に萌えるらしい。本作品と『ごめんあそばせ』の精神の昂りようは、良く似ている。
 審美眼をもつ『ギャラリー・フェイク』のフジタも、『S.O.S』の狂気のストーカー・ファントムも、その高飛車な女性キャラたちに奇妙に「愛される」、細野自身の人格そのものである。それだけではなく、おやじのように腰がいたくなる主人公・るいは、これまた細野の分裂した人格でもあるのだ。
 作者の人格が多重に分裂し配置されたようなキャラのわかりやすさ、対象への欲望――という斎藤環の指摘した日本的漫画の特徴は、細野においてもっとも典型的な姿を現す。



(1999年ごろ感想記述)

 手塚治虫の『ブラックジャック』は、「べらぼうな治療代を請求する天才悪徳外科医」というのを裏返し、「命はどれだけのお金を払ってもかえがたい尊いもの」だということを訴えた。
 『ギャラリー・フェイク』は、この美術界版である。すなわち、主人公は、「贋作」専門という看板の画廊を経営し、ダーティーな仕事をひきうける。あらゆる世俗の善や権威から無縁であり、莫大な代金を要求する。しかしそのことによって、究極の美あるいは美をめでる心は、いかなる金銭をもこえるという明確なメッセージを発するのである。
 たとえば、第1話は、モネの名声も「高価さ」もまるでしらないオヤジが、一心にモネの「つみわら」を見続ける。そのオヤジは「この絵を見とる昔、百姓をやっとった頃を思い出すよ」「一日の野良仕事が終わって、まわりを見渡すとな……景色がこの絵のようにやさしくなる、声をかけてくれる。“ご苦労さん”と──」。画廊を経営する主人公・フジタは、「つみわら」を、それを資金の道具に使う政治家には売らず、このオヤジに「5万円」で「贋作」として売ってしまう。
 「二番煎じ」という声もあろうが、ウンチクも多く、登場するライバルも、多彩だ。フジタの反偽善・反道徳にたいし、道徳や慈善心のかたまりのような美術愛好家。フジタの裏社会のダーティーさ、反権威にたいし、表社会で同じように鋭い審美眼を持つ美人美術館長。美を尊ぶフジタにたいし、徹底的に欲望と経済論理で動くトレジャーハンター。などなどマンガらしい対称性にあふれている。つまり、一級の娯楽作品として仕上がっていて、おもしろいってことなのだ。

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採点72点/100
年配者でも楽しく読める度★★★★