志村貴子『放浪息子』6巻



※1巻の感想はこちら

放浪息子(6)  いまごろ『放浪息子』6巻の感想です。

 答える相手やシチュエーションをすべて解除して、「いま一番好きな漫画は」と訊かれたらやはりこの作品をあげざるをえません。「好き」という無防備な言葉が一番ぴったり合うのはこの漫画をおいて他にはないのです。

 描かれる対象にこれほど激しい執着を持ってしまうなんて。
 嗚呼、これが三十路の子持ちの男のやることでしょうか。

 以下、『放浪息子』や6巻を読んでいない人には何がなんだかわからない感想を書きなぐります。

 ぼくはシュウくんが好きなのだと同時に、シュウくんになりたい、シュウくんと同一化したいのです。そして、ここで描かれている女子の共同体にまざりたい、そのなかで生きたいと思うと同時に、千葉さんに「好き」って言われたいのです。あるいは高槻くんに「好き」だと言いたいのです。

 6巻の終わりで、シュウくんと千葉さんが台本を書き直すシークエンスが出てきます。

 千葉さんが千葉さんの家で、シュウくんと二人だけで台本を直しています。もうそれだけでぼくはいけません。

 6巻のはじめでシュウくんは高槻くんに、この脚本について「ぼくの願望なんだ 男の子の高槻さんと 女の子のぼくと みんながちゃんと幸せになる話……」と打ち明けます。シュウくんにとっては、このお芝居の結末というのは、ただの結末ではありません。関係がギクシャクし、自分の望みもかなわない、そういう現実を「変える」ための虚構なのです。

 千葉さんとシュウくんの二人は自らの創作上の願望を果たす「同志」となってそこに集いながらも、千葉さんがシュウくんに好意を持っていることはすでに明らかになっていますから、この部屋にはとても甘くて切ない空気が流れています。もちろん読者であるぼくの中にですが。
 
 「わたしのジュリエットという名はあなたにこそふさわしい……!」とセリフを千葉さんがためしに喋ったとき、シュウくんはほめちぎります。「すっ すっごーい ホントにプロの役者さんみたい! 千葉さんてホントに上手なんだねえ」。

 それを受けて千葉さんの顔が心の底から嬉しそうに崩れるのを見て下さい。「ほめすぎよ」。心を直截に表現するというキャラクターポジションをすっかり更科さんに奪われ、むしろミステリアスさが偏屈さへと変わってしまった千葉さんですが、シュウくんにほめられてこんなふうに照れている千葉さんの顔を見ていると、ぼくは「千葉さんが好き……!」などと思ってしまうのです。

 心の一端が解放された千葉さんは、勢いづいて、セリフを変えてシュウくんにこんなふうに心情をうちあけてしまいます。

わたしの……ジュリエットという名は……
 ……………………


 私のさおりという名は
 …………
 あたなにこそふさわしい

 私の名前を二鳥くんにもらってほしいわ」

 シュウくんをただ好きというだけではない感情。ロミオとジュリエットが結ばれればそれでいいというものではない、名前の交換という儀式を通じて、愛情の所有と同一化を果たそうとするのです。
 先ほどぼくは、「ぼくはシュウくんが好きなのだと同時に、シュウくんになりたい、シュウくんと同一化したいのです。そして、ここで描かれている女子の共同体にまざりたい、そのなかで生きたいと思うと同時に、千葉さんに『好き』って言われたいのです。あるいは高槻くんに『好き』だと言いたいのです」と書きました。そうです、このシークエンスにはぼく自身が登場するのです。千葉さんはぼくと同じ所有と同一化を一体にした感情を演じました。そして同時に、ぼくはシュウくんになって、千葉さんに好かれたいと念じているのです。

 パソコンルームで「これから二鳥くん家で打ち合わせなの さよなら」と高槻くんへの恋敵的対抗心を燃やしてウソをついても高槻くんにはそれが通じない哀しさ。千葉さんはなんと哀しいのでしょうか。

 そして、ぼくはなぜそんな切ない少年少女時代を送れなかったのでしょうか。

――おねがいします

おねがいします
おねがいします
おねがいします

私をシュウくんに
そして千葉さんの恋心を受け入れるシュウくんに

どうか
どうか
おねがいします

神よ…!


 しかし、そんなふうに祈っても神はいないので、ぼくはシュウくんになれませんし、シュウくんは千葉さんを好きにはなりません。そして、土居や岡がまたしてもこの巻で登場するにいたって、ぼくの少年時代は土居や岡でしかなかったことを思い知らされるしかないのです。
 シュウくんを所有しようとしたり、あるいは同一化を果たそうとする、または、千葉さんに勝手な自己投影をしては千葉さんが迷惑です。わかっています。わかってます。

かわいそうな千葉さん……
お前のエゴで自己投影されてしまって……

エゴで……
エゴでだって
自分でゆってウケた

お前の過去なんて変わらないし
ただの汚くてエロかった少年時代しかないんだよね
物語にお前が入り込む訳にはいかないし

かわいそう

かわいそう!
超かわいそう!!
 





エンターブレイン
コミックビーム 1〜6巻(以後続刊)
2007.10.17感想記
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