雁須磨子『いばら・ら・ららばい』




 倉庫作業という肉体労働に従事するバイトの茨田あいは、空気が読めない。美人でスタイルもいいだけに、そのギャップがひとを驚かせる。不倫で居られなくなった前の職場(デパート)では、「肉食恐竜」とか「レックス」などと同僚の女子社員たちに陰口を叩かれていた。会話の音量や調子が突飛で、動作が急激なために、他人に圧迫感を与えるのだ。茨田が「空気が読めない」というのは、無頼を気取って「空気を読まない」というのではなく、すき好んで空気を読まないのではなく、まさに「読めない」のである。

 多くの人は、主人公の茨田のようなポジションにはいないだろう。

 むしろ、それを観察する、同じ倉庫作業のバイトで、レンタルビデオ屋のバイトもかけもちしている女性、平良(ひらら)加菜子と同じ立ち位置の人が少なくないはずだ。

 平良は美人の茨田にたいして、なんでこんな倉庫作業みたいな場所に場違いなようにこんな人がいるんだろう、という感じで茨田を眺める。茨田に一種のコンプレックスを抱くのであるが、それは競争心を呼び起こすようなものではない。自分の容姿への自己評価が相当に低いからである。「容姿を張り合う」みたいな競争からはすでに「おりた」感情をもちながら、遠巻きに冷めた批評家のような気持ちで彼女に接するのである。

 平良は学校時代に、女優やタレントの「整形」を見抜くようなコメントをしていて、それが周囲の反感を買い、“整形であると指摘してその女優と美を競い合っているつもりでいる滑稽な女”という規定をされてしまった。「おめーが100ぺん整形したって“——”には足下にも及ばねえっつうの」。

 ビデオ店でバイト仲間の橋は、化粧も服も全力で媚び媚びのモードである。平良は橋を冷ややかに見て、自分は分相応であると満足しつつもやはりかわいいものを着たいという自分の欲求にどこか抗えない。その意味で、橋をうらやましくも感じているのである。
 茨田とは真逆に、平良は空気を読みすぎて苦しんでいるのである。ある種の要領よさを身につけてる自分を茨田と比べて安心したり、それですぐに自己嫌悪に陥ったりするのだ。

 女性にとって「容姿」は死活問題ではないにせよ、人生において心を傷つけられたり、または慢心を抱かせたりしてきた、決して小さくないファクターのはず。
 だから、男性であるぼくは、「容姿」にかかわる気持ちは本当のところよくわからないのだけども、自己評価の低さ、相手に対する冷たいまでの客観視、そしてその相手への反発と憧憬というあたりは、ものすごくよくわかるのである。

 しかも、バイト先のビデオ店でポップを書きながら「批評家」としての小さな自尊心を満足させている平良の様子が、ウェブでヘボ書評を書いて毎日の慰めとしている自分と重なりすぎて痛い。

 この前もですね、ぼくは保育園の父母会の役員会飲み会に出ていて、いつも「なんかこの場でとけ込めてない自分」みたいな感覚が自分のなかにわき上がってくるのに辟易していた。
 孤立しているような姿は見せたくない、さりとて話題に必死でついていくのも恥ずかしい、おっ今そのどちらでもないちょうどいいポジション?……みたいなことをグルグルと考えていて本当に疲れ果ててしまった。
 いや、うーん、ちょっと考え直そう。
 そういうのはアレかな、まだ人間関係ができていないだけなのかな。こういうのをあんまり深刻に「空気を読めない生きづらさ」みたいに普遍化して固定化して「時代の病気に私も罹患中」というレッテルを自分に貼らない方がいいのかもしれない。
 こんなことをあれこれ考えている時点ですでにもうアレな気がする。

 『いばら・ら・ららばい』に出てくるような空気を読めない不安、読みすぎる不安、というものは、やはり自分の立ち位置が定まらないことから生じてくるものだろう。学校社会のなかで「特別に勉強ができる」とか「特別にスクールカーストで上位に属している」みたいな定位置ができない子は、孤立やいじめを恐れて空気を読みまくる。
 同じように、「学生」でもない「母」でもない「主婦」でもない「キャリア」でもない茨田と平良は、独身の非正規もしくは「下位正社員」であり、社会的に「なにもの」かになりきれていない(と見なされている)。その立ち位置の不安定さが彼女らをたえず不安に陥れているのではないか。「ねーねー平良さんってさー この先なんかやりたいことがある人?」。

 だから、茨田は黒岩と結婚することで居場所ができ、「安定」するのかもしれない。
 平良は、この本でチラリと登場している(p.44)雁の他の作品『かよちゃんの荷物』に出てくるかよちゃんたちのように、橋たちと「親密な友人の共同体」をつくることで「安定」をかちとれるような気がする。ラストで橋からの親密なメールが来るのはそのことを予感させるものである。


 それにしても相変わらず雁のセリフはいい。
 飲み会の席で茨田が出てきたつまみを一人で全部平らげてしまっているのに気づいた男性たちの囃し方が反芻してしまうほどにすばらしかった(カギカッコの外は手書きのセリフ)。

「ちょお 茨田さん その食いっぷりはないっスわ!」
「えっ」
「俺それ いっこも食ってねースわ!」 多分皆も 
 ワハハハハ 茨田さんらしー 
「ははは」
「あ」





講談社 KC Kiss
2010.3.30感想記
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