嶋崇『いまこそ『資本論』』
サイト5周年記念 『資本論』第一部を読む企画第1回



 すごい本である。

いまこそ『資本論』 (朝日新書 130)  何がすごいといって、『資本論』全三部を200ページの新書にまとめてしまったということがとにかくすごい。しかも大胆ともいえる平易さにまとめているという点がさらにすごい。「200ページの新書にやさしくまとめる」——これこそ学者には絶対にできない仕事である(最近、ぼくが執拗に学者、とくに文系学者を攻撃しているように見えますが、気のせいです)。

 本書の解説を書き、著者の大学時代の恩師であるとおぼしき村串仁三郎(法政大学名誉教授)も本書の解説でこういっている。「私も、大学院生のころ労働者向けに『やさしい資本論』というのをある雑誌に連載したことがあるが、読者から『やさしくない』『難しい』と苦情をもらってショックをうけた経験がある。/『資本論』研究者でも、やさしく『資本論』を解説するのは、実に至難の業である。過去において『資本論』のやさしい解説を多くの学者がこころみているが、恐らく学者であるがゆえに、結局、難しい問題を難しく解説することに終わっている」(本書p.208〜209)。

 そうなのだ。「難しい問題を難しく解説することに終わっている」というのはまことに学者の宿痾のようなものであって、研究者はやはり研究者でしかなく、教育者ではないのだ(せいぜい研究者の教育者でしかない)。

 『資本論』という大部の書物をわずか新書200ページにおさめてしまうという試みがなぜ学者には不可能なのか。それは「あの論点も入れたい、この論点も入れたい」というふうになり、しかも論点をあれこれの言葉でくどくどと解説してしまうからである。

超訳『資本論』 (祥伝社新書 111) 最近同じように新書の『資本論』解説書として話題になった、的場昭弘の『超訳『資本論』』(祥伝社新書)は350ページもあるうえに、第一部しかカバーしていない。伊藤誠『『資本論』を読む』(講談社学術文庫)は全三部をカバーしているものの、文庫で500ページもあり、しかもやはり内容がカタくて難しい。とても初学者におすすめできるものではない。
 学者ではないが、不破哲三の『『資本論』全三部を読む』(新日本出版社)などにいたっては、『資本論』全三部をカバーしているものの7巻もの長大な解説になってしまっている。『資本論』を読破するにはいいお供かもしれないが、まず初心者に流れをざっとつかませるうえでは、とても使えたものではない。

 ちかごろ2chでは「やる夫」シリーズが人気で、「やる夫」というキャラクターがいろんなものを解説したりするスレが立っている。そのなかで『資本論」を解説するスレもある。どうも院生が書いたようなのだ。

 このスレは「3」まであるのだが、なかなかわかりやすい。2ちゃんねらーの語彙でしかもキャラクターを使って楽しく『資本論』を解説していくというのだから学者などが書いたものよりはるかに読みやすい。
 しかし、おしいかな第一部すらカバーできていないのである。いわゆる搾取の秘密を明かすところで終わっている。25章ある第一部の5章くらいだ。

 いかに「平易に」しかも「短く」まとめるということが至難であるかわかろうというものである。

 「労働組合なんかの学習書だとやさしくて短いぞ」という声もある。
 そのとおりだ。
 いま私が手元にあるのは、労働者教育協会編『新・働くものの学習基礎講座2 経済学』(学習の友社)であるが、たしかにこれは200ページちょいで、文章も平易だ。しかし、これは『資本論』全三部の中身の解説にはなっていないのである。『資本論』第一部の内容と、2部以降は「恐慌」「剰余価値の利潤への転化」「利子生み資本」「商業資本」の話だけをちりばめて、再生産表式、地代、資本の循環・回転といったところは削除してしまっている。そして、次に帝国主義、現代へと話をつないでしまっているのである。経済学の教科書としてはまあこれはこれで面白いのだが、『資本論』全三部の解説、というのではないのである。
 岡本博之監修『科学的社会主義 上』(新日本出版社)も平易で短いが、やはり第一部が中心で、上記の本と似た構成になっている。

 つまり、「『資本論』全三部を平易に200ページの新書にまとめる」という試みはほとんど見当たらないといってよい。
 
 本書を書いた嶋は雑誌編集にたずさわってきた、しかも『資本論』については「素人」だけあって、実に大胆に切り落としていく。文中に「先生」「太郎君」「花子さん」という3人のキャラクターまで登場させ、かわいいイラストつきの対話形式にするわかりやすさ。こんなサービスまでしておいて、第一部はなんと76ページで終わっている! 本文だけなら60ページなのだ。

 感心するのは、そのように大胆に切り落としながらも、『資本論』の理解にとってポイントになる点はできるだけ拾っていこうとする意欲をみせていることだ。

 第一部を非常にスピーディーに解説しようと思うと、剰余価値学説(搾取の秘密)だけを説明することを中心におくのが普通である。その立場で、最短の説明をここでぼくが考えてみよう。こんなふうになるだろう。

 “商品の価値は投下された社会的な労働量・労働時間で決まる”という点を出発点にして、“商品は等価で交換されるのがルール。しかし、等価交換なのになぜモウケが生まれるのかが経済学の難問だった”と続ける。“マルクスは労働力も商品であることを見抜き、それは価値を生み出すという非常に特殊な商品であって、資本家は労働者を雇って(=労働力商品を買い)、商品の買い手の権利を行使して、その労働者にあとで渡すその労働者の労働力価値(賃金)分以上を働かせる。この労働力価値分以上が剰余価値であり、これは生産手段をもっている資本家のものになる。こうして等価交換原則を守りながら、資本家はモウケ(剰余価値)を手に入れることができる。これを搾取という”——これで終わりである。事実、こうした説明で終わっていたサヨ組織の入門パンフレットを読んだことがある。

 ここには貨幣も労働の二重性も出てこない。そして、問題がものすごく量的なものに還元されてしまい、労働者が生産手段から切り離されたゆえにこのようなことがおきるという歴史条件が見事に捨象されてしまっている。

 しかし、本書はちがう。貨幣や労働の二重性はもちろん、プロレタリアートが生産手段からどのように「自由」になりその歴史的条件のうえに初めて資本主義が成立する問題などをきちんと書いている
 そればかりでなく、労働の二重性についても、よくこれを使用価値と価値の説明のところで書いて終わり、という入門書がけっこうあるのだが、本書では生産手段の価値の生産物への移転、新価値の付与というところでも労働の二重性を使って書いている。古典派の混乱の原因になった問題が、マルクスの「労働の二重性」によってはじめて整理されたことがわかるようになっているのだ。
 他にも、第一部についていえば、恐慌の可能性と現実性の問題、蓄積のための蓄積、命がけの飛躍、信用制度の役割などといった、経済学の教科書では省かれがちな『資本論』第一部のダイナミズムをきちんと伝えている。これはすごいことだと思う。

 本書の「知的乱暴さ」も魅力だ。
 
 たとえば「講義の前に」というところで、資本とは何かを太郎君に問われた先生は「資本とは、ざっくり言ってしまえばお金のことだ。つまり、お金中心主義」と答えている(p.13)。これはプロの学者なら絶対にやらないであろう「乱暴」さである。「お金と資本は同一のものではない」と絶対に言う。絶対に。今、このエントリ見ている、大学院生のお前。お前だよ。お前、言ったろ。

 しかし、まったくの素人を相手に、まずは「使用価値ではなく価値の増殖をめざす生産」をおこなうというイメージをもってもらううえで、ゴールのない生産、飽くなき拝金主義に資本をたとえることは必要な比喩である。この知的野蛮さが学者にはない。認識の発展のなかでこの乱暴さは反省されていけばよいのであって、まずはざっくりとイメージできる言葉を提起できる大胆さがこの種の入門書にはどうしても欠かせないのだ。

 芸が細かいと思うのはたとえば最初に労働価値説を実感させるために、太郎君と花子さんに商品の価格設定をさせて、そのときに自分たちのアルバイト時給をもとに考えさせることで、“われわれは自然と投下された労働量で問題を考えているのだ”ということを教えていることだ。商品は投下労働量で決まるのだ式の押しつけをできるだけ避け、日常いだく実感やひっかかりを大事にしようとしている。
 第二部の再生産表式などの議論のところでも、はじめて学ぶ人がひっかかってしまいそうな疑問を出してそれに答えている。おそらく嶋自身が学んだ時にひっかかったことなのだろう。

 もっと芸の細かい話をすれば、3人の対話形式ですすむ本書において、ちゃんとキャラクター分けができているということなのだ。そして、本筋の理解とは関係のない「ほのぼの会話」まで挿入する。

先生 ……太郎君と花子さんには、資本家夫婦ということになってもらい、あらためて資本家の視点に立ち、手持ち資本を使い稼いでもらうことにしよう。
花子さん えーっ。なんだから頼りないだんなさん。
太郎君 僕、尻にしかれそうな予感がするんですけど。
先生 2人には資本金1億円で、新たにパン工場『タロハナ社』を造ってもらおう。
花子さん ちょっとちょっと! 『タロハナ社』はないでしょう……。せめて『THベーカリー』にしてもらえませんか」(p.122〜123)

 驚くのは、第三部が最も長いことである(数ページの差であるが)。
 なかでも投機や利子生み資本の話は現代との関係で力が入っていて、著者がここに現代との強い関連の問題意識を感じていたことを想像させる。

「株式売買などで短期的な利ざやを稼ぐために、強引なM&A(企業の合併・買収)が行なわれるという話を聞いたことがあるんですけど、まるで今のアメリカのウォール街を、マルクスやエンゲルスがレポートしているようですね。100年以上も前に、現在の経済の中心地で行なわれていることを書いているとは……」(p.177)

という太郎君の感嘆は、そのまま嶋のものであろう。

 マルクス経済学でもなく、マルクスの思想でもなく、まさに『資本論』の流れをつかみたいという人には強くおすすめする。
 昔『資本論』は読んだけど忘れたという人、第一部は読んだが第二部以降は読んでいない、というハンパ資本論読者にももってこいの本である。

 本書を読んで「あれが間違っている」「これが書いてない」という前に、まずそういうお前が200ページで『資本論』の解説を書いてみてはどうか。その苦労をしてみれば、いかにこの本を著したこと自体が偉大なことか、身をもって知るであろう。

 なんかサイト五周年企画の趣旨とは離れてしまった気もするが、まあいいじゃん。





朝日新書
2008.9.23感想記
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