「ポリティーク」第8号 
特集「石原慎太郎研究」



 1つの座談会と4つの論文から成る特集で、冒頭の座談会は読み物として純粋に面白い。論文はどれも歯ごたえがあるが、とりわけ東京の世界都市としての変化を歴史的に追い、石原都政の構想ごとの実態をあとづけた武居秀樹の論文は注目に値する。実践的にも価値が高い。



石原をリサイクル可能にせしめた一橋総研

 冒頭の座談会「石原慎太郎とは何か」には、渡辺治、斎藤貴男、進藤兵、中西新太郎の4人が登場。ジャーナリストである斎藤が、石原という男の空疎さについて悪態をつく様は、石原研究というテーマを通り越して、斎藤という人物を逆に彫琢してしまっていて、変な面白さがある。
 彼は『空疎な小皇帝』という石原についての本を出すのであるが、はじめは、石原はマッチョぶっていても実は戦争成金のぼんぼんである、という凄みのある評伝を書きたかった。しかし、取材していても、斎藤自身はまったくノレないというのである。

「彼という人間個人に何の魅力も感じない、軽蔑しか覚えられなかったからです。やはり取材のエネルギーというのは、仮に悪党が相手だとしても、魅力があって、この人のことを知りたいと思わないと出てこないのですよ。……本当にただただ空っぽなだけの人なのではないか、三歳ぐらいの子どもが何かの拍子にそのまま七〇歳の老人に育ってしまったという希有な例ではないか」

 対象への愛憎を隠さずに紙面に放つ斎藤の手法は、『機会不平等』で自身の虚弱だった体験をベースにしたときも、『梶原一騎伝』で梶原への愛を描いたときも、完璧に機能した。
 ところが、石原にはそのような思い入れが一切できないというのが、斎藤の吐露である。『空疎な小皇帝』が評伝スタイルにならずに結局「新聞記者が毎日普通に報道さえしていればこんな本はいらないというような性格のもの」になってしまったのは、そのせいである、と斎藤はいう。

 
石原慎太郎というのは単なる子どもなんです。今人気が高まってきたののは、子どもだからではないか。つまり、この人は三歳の子がそのまま大きくなってしまったにすぎない。子どもっていうのは残酷だから、たとえば虫の足をちぎってしまったり、カエルに水を入れて膨らまして破裂させたりということをしますよね。それとまったく同じで、それを人間社会で実践しようとしているだけではないかと思います」


 この座談会で注目したことの一つに、石原という、いったんは「捨てられた」どうしようもないコマが、なぜ90年代末に再び支配層によってリサイクルされはじめたのか、ということについての分析である。これは進藤がいろいろと分析している。
 彼によれば、記事検索などの件数からみて、「運輸大臣であった一九八八年前後を含めて、九八年まではほとんど注目に値しない政治家だった」という。しかし、99年の都知事選で注目され復活するというのである。
 そのカナメになっているのは、衆院議員を辞めた後に1995年につくった「一橋総合研究所」で、そのブレーンからいろいろと知恵をつけられたことが大きかったという。ここで、石原はただの青嵐会系アホ右翼から、新自由主義の身振りを身につけた政治家へと変貌する。

「グローバル化する知識集約型経済のもとで、『日本経済』――その内実は、国民経済というよりは多国籍企業中心経済なのですが――が合衆国と中国に国際競争力の点で打ち勝つべく、日本国民を経済強壮に駆り立てていくような国家戦略を推進する政治家だというかたちで自分を打ち出したことが、彼の復活の大きな要因だったと思います」

「さらに、安保外交問題については、彼を『新しい極右』と言うかどうかは別として、これまでの自民党の安保外交・自衛隊・憲法九条にかかわる政策の限界を突破する『テコ』、右派的『改革派』を結集する“要”役として担がれるかたちで、石原が浮上してきたのではないかというのが、今の私の見方です」

 このほか、支配層の路線を、日朝国交正常化をすすめ東アジアの安定という現実路線をとる派(たとえば中曽根や小沢のようなライン)と、石原に代表されるようにそれに反発をして出口に見えない迷路にハマりこんでしまっている派との対立として描いているのも、この座談会の面白さである。
 もちろん、座談会の中身はそれにとどまることなく、各種の問題を縦横に論じていて興味がつきない。それに同意するかどうかは別にして、石原の経済的・イデオロギー的基盤を研究する際には出発点にするために押さえておきたいものばかりである。




世界都市としての東京

 もうひとつぼくが注目した武居秀樹(都留文科大学)の「石原都政と多国籍企業の拠点都市づくり 『世界都市=東京』の矛盾」は、最初にのべたとおり、70年代以降の「世界都市=東京」をめぐる財界戦略の変遷をまとめたもので、大変に興味深いものである。

 世界都市仮説とは、J・フリードマンが理論化し、S・サッセンが体系的理論にしあげたものである。

「S・サッセンによれば、先進国の多国籍企業による途上国への対外直接投資の拡大は、途上国から先進国への移民の拡大を生み出し、資本と労働の国際移動を飛躍的に拡大し、その影響下で先進国の巨大都市においては、中枢管理機能の集積を促すだけでなく、さらに中枢管理機能を支える大量のサービス部門の集積をつくりだすとした。こうした都市の機能の変化は、少数の専門技術職などの高賃金労働者を生み出す一方で、サービス業に従事する低賃金労働者を大量に生み出すとした」(武居秀樹「財界戦略と多国籍企業の拠点都市づくり」より)

「国際金融を中心とする企業サービス(サッセンのいうproduce service)は大都市に集中・集積している。/この企業サービスというのは、国際・国内的に超国籍企業が取得する利潤(剰余価値)を管理運営する産業部門である。すなわち、この部門の構成者は金融家、法律家、会計士、証券ブローカー、恒久公務員、研究者などのエリート専門家集団である。彼らはインナーシティに住み、24時間フェイス・トゥ・フェイスで接触することを条件に働いている。このことによってコンプレックス・メリット(複合利益)を享受している。フリードマンも、これを資本蓄積の法人構造とよんで、世界都市の第1の特徴としている。/こうして世界都市は生産や貿易の拠点としてよりも、財務=利潤の集中管理の司令部としての性格をもつようになったとされる。/とりわけ重要なのは瞬時に貨幣を移動させ、巨大な投資をおこなって利潤をあげる国際金融組織である。……『世界都市』に全世界から集中・集積した利潤の一部は、芸術・文化に投資される。……他方、戦術の『世界都市』の企業サービス・コンプレックスをになう高所得のエリートは芸術文化の消費者でもある。また観光のグローバリゼーションの進行によって、美術・文化産業の集積地としての『世界都市』は国際観光の拠点となってゆく」(宮本憲一『都市政策の思想と現実』)

 武居によれば、70年代までは日本の産業構造全体が輸出主導、キャッチアップ型の経済構造で、東京は輸出に適合的なフルセット型産業構造であった。

 この転換のモデルとなったのはニューヨークで、ニューヨークは多国籍企業化によって製造業などが衰退・縮小し深刻な財政危機に見舞われるのだが、1980年に20世紀財団がだした政策提言は、金融・保険・法律・広告・会計といった世界都市機能は強化されているので、それをいっそう強めることで都市を再生すべきだというものだった。

 東京も鈴木自民党都政が登場し、「マイタウン東京」構想の名のもとに世界都市化がはかられるが、80年代の日本では(1)他の国際金融センターの都市とくらべてのコストの高さ、(2)情報公開のおくれ、(3)市場規制、さらに短期資金市場の弱さなどから限界にぶちあたり、頓挫してしまうのである。
 そして、東京は依然として「フルセット型産業構造」すなわち輸出を軸に全産業がバランスよく配置されている都市構造のままだった。

 このため、90年代は、東京は世界都市として地盤沈下していったと、支配層に認識された。

 石原都政になって編まれた『都市白書』には、こうした国際ビジネスセンターとして都市間競争に遅れまくっているという危機感が如実に反映されている。空港や道路の遅れ、オフィス賃料の高さ、都心から分散したオフィス立地などである。
 90年代は青島都政があったが、彼は「生活都市」構想をかかげ、世界都市博を中止するなど、「世界都市」化からむしろ逆行していた。国政では橋本内閣のもとで「金融ビッグバン」をすすめる準備などが進展していたのとは明らかにズレる方向であり、それを大胆に「修正」したのが石原都政だった。

こうしたズレを解消する客観的な役割を担って一九九九年に登場したのが石原都政だったのである。……石原都政の『世界都市間競争への勝利』は、多国籍企業間におけるメガ・コンペティションに勝利するインフラなど諸条件を東京につくりあげることを意味していた」

 武居はここで石原都政の構想を4分類して、その概要をとらえる。(1)『東京構想2000』で輪郭がしめされ、(2)東京ベイエリア21と臨海副都心開発で臨海部の開発方針がしめされ、(3)秋葉原・シリコンアレー構想でIT関連産業での世界的な接点を形成することをめざし、(4)首都圏メガロポリス構想で、首都圏全体にこれを拡大することをうちだしたとされる。

 つづいて武居は、そうした構想が実際にはどうなったかを、7点にわたって詳述する。

(1)「本社機能・本社雇用の変化」では、総務・人事・生産管理などが縮小し、企画や経営法務などが増えていると指摘する。多国籍企業化のもとでの管理中枢機能の強化が着実に進行している。
(2)「小泉政権と一体となった都市再生プロジェクトの推進」では、都市再生特措法・都市再開発法改正などの要点がしめされる。興味深いのは「ハイテクビル」の説明で、IT機能をそなえるためにどのようなビルが林立したのかを紹介している。
(3)「国際物流・国内物流の拠点の構築」では、東京港や羽田空港の変化がのべられる。
(4)「観光都市として再生=集客都市構想」では、ラスベガスを念頭においた石原の東京改造の進ちょくがしめされる。石原がカジノカジノとさわぎ、自民党や民主党の都議が税金を使ってラスベガスやモンテカルロに「視察」にいくのは、ここに原因がある。
(5)「治安対策の強化」は、観光都市化や新自由主義的政策と表裏一体のもので、各種の条例や対策が紹介される。
(6)「新しい産業政策の展開」では、アニメ、環境ビジネス、ベンチャー育成、保育ビジネスなどについて指摘される。
(7)「首都圏改造計画=首都圏メガロポリス構想の展開」は、「国土の均衡ある発展」を放棄し、東京一極集中を是認した五全総の方向について説明。

 石原都政は、石原という強烈なキャラクターによって語られることが多いけども、一連の論文を読めば、彼がまさしく日本の支配層が追求する戦略の忠実な尖兵であるというイメージが非常に明瞭に浮かび上がってくる。石原は独作アニメ「ほしのこえ」を天までもちあげて絶賛し、アニメを「日本の文化のコメ」だとのたまわったというけども、それは彼個人の感慨にとどまるものではなく、こうした戦略に裏打ちされての発言なのである。



石原的世界都市にぼくらは住めるのか?

 石原=財界がめざす東京の姿は、「国際金融センター」あるいは「多国籍企業の中枢機能センター」としての世界都市である。そこには、ナノテク以外の「ものづくり」の拠点としての東京は姿を消し、世界から金融詐術によって富を吸い上げる機能と、それを支える低賃金の膨大なサービス労働だけが残ることになる。
 たとえば、東京都がすすめるウォーターフロントの再開発地域に住める人間というのは、やはり「上層ホワイトカラー」であり、あるいはそこを退職して「ゆたかな老後」をすごす人たちである。「東京構想2000」の冊子には、ところどころ再開発地域の「挿絵」があるけども、そこで生活しているのはやはり、そのような人々ばかりである。


 たとえば、東京の下町にいるような独居老人、これまで革新都政が「老人福祉手当」(寝たきりのお年よりへの手当)を支給してきたような老人、あるいは介護保険の利用料の減免を必要としているような老人はここで生活しているという想像がぼくにはつかない。
 あるいは、サービス業を低賃金でささえる不安定雇用すなわち「フリーター」たちが、そこで生活しているイメージもまた困難である。
 彼らは、この石原的東京のどこに住むのか。

 東京構想2000において示された「2015年の新東京人」とは次のようにメタモルフォーゼした「東京人」である。


2015年の東京を担う人びとを「新東京人」として位置付ける。

・自らが選んだ分野において、高い使命感を持って行動し、社会に貢献できる人
・公共の福祉と個人の利益との調和を常に考え、個人の義務や責任を自覚して行動できる人
・どんな生き方をしたいかという「ライフビジョン」と、どんな働き方をしたいかという「キャリアビジョン」を持ち、自ら望む生き方を実現させている人
・我が国や外国の文化・伝統を尊重し、日本人としてのアイデンティティを持って、国際的視野に立ち行動できる人


 このような立派な人こそ、石原的東京に住む資格のある人である。

 何の使命感もなく、義務や責任という言葉のもつ危険性をたえず疑い、自分の生き方を迷い続け、狭い日本人としてのアイデンティティなどまったくもたない人は、石原によって、新宿西口あたりで公開処刑されるのであろうか。

 自らは実体的な富を生み出すことなく、世界から紡ぎだされる富を、金融詐術によって巨大ポンプのように吸い上げるのが「世界都市」である。それをローマ帝国に重ねてしまうのは、あまりストイックな行為ではないかもしれない。

「ローマ帝国の地理的範囲外のいわゆる『蛮族世界』なしに地中海世界の再生産は不可能であった。地中海世界の基本的生産である農業の労働力を担う奴隷も、後にしだいに重要性を増すコロヌスも、しだいに大きな部分を『蛮族世界』にその供給を仰がざるをえなくなってゆく。……地中海世界の『中心』たるギリシア・ローマ文明世界は、周辺蛮族世界の上にその存在が可能となった、と(従属理論家たちは)捉えるのである。……ローマ帝国の衰退とは、ローマによって現実的な歴史的世界たらしめられた『地中海世界』が、世界史の舞台での『中心』(大中心)の位置から降り、『周辺』たる『蛮族』世界(今やこれを第三世界と比喩的に言っても理解されるであろう)が中心の中に入り込み、拡がり、やがて新たな『中心』がかつての『周辺』の中に生まれ、かつての中心が『周辺』となる、という世界史的な過程なのである」(弓削達『ローマはなぜ滅んだか』)





 


労働法律旬報別冊「ポリティーク」vol.8
旬報社 2005.3.31感想記
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