西村しのぶ『一緒に遭難したいひと』1巻


 西村しのぶは、実に惜しい作家だ。

 いや、単行本が出やしねえとかそういうことではなく。
 面白そうなくせに、作品の多くはぼくの気持ちには引っかからない、というほどの意味。


 率直に申し上げて、登場人物は、ワタクシと生活空間も思考様式も違いすぎてしまい、雑誌に載っていてもたいがいはスルーしてしまう。「おーい、読者であるおれを置いていかないでくれー」と叫びたくなるくらいに(ぼくと)ズレたテンションで話が進行していく。
 ついていけない。

 ところが、たま〜に、ひっかかる作品がある。
 それはどういう作品かというと、作中人物に、ぼくが「ひっかかる」ことができる人間が登場した場合にのみである。西村の作品の多くはものすごい勢いで流れ去っていくハズのものなのに、この種の作品だけは、なにかフックのようなものがあって、がちんと気持ちにひっかかる。
 そのひとつが、本作である。

 たいがい、さばけた美女二人組っぽいのがワイワイキャーキャーやっているというのがもうだめぽという感じで、この作品でも、まず小説家(あまりもうけていない)のキリエとバニーガールの絵衣子が登場する。キリエも絵衣子も27才で夕方に起きだしどちらかのBFに食事をごちそうになり夜の街にくり出していく。ああなんて設定。西村の漫画をみるとバブルを思い出すというのは、決して不当な頭のめぐり方ではあるまい(ちなみに最初にこの作品が描かれたのは1990年。「無職」「フリーター」がまさに「自由」という言葉と結びついて語られた時代)。ここに、いつもの通り、ロンゲの長身の男とか出てきてみな。イッパツでぼくは、もう本を閉じる。

 しかし、この作品では、そこに税務署公務員の三原マキオこと「マキちゃん」が加わることによって、ぼくの気持ちのフックに、キリエや絵衣子もふくめてきちんとひっかかるようになり、お気に入りの小品として愛でているのであるから、まったく世の中とは不思議なもんである。

 エピソード2話目で、キリエが税務署の確定申告にいって相談にのってもらうんだかナンパするんだかわからんようなシチュエーションで、まじめでかわいいマキちゃんと知り合う話が、ぼく的には好き。


 マキちゃんの描き方が、絶妙のバランスだと思う。

 マキちゃんは25で年下。
 女二人にくらべて身長も低く、目もくりくりした感じで、「かわいらしい」という外見的形容がどちらかといえばふさわしい。
 そう聞けば、なんだか「守ってあげたい」的存在のようだが、ちがうのだなあ。逆だ。
 まずマキちゃんは、「まじめ」である。
 確定申告にきた小説家キリエをみて、「きれいなひとだけど本当は貧乏なんだなあ」「なかなか小説や絵というのは食べていけるというものではないというし頑張ってるなあ」などという、きまじめな勘違いをする。別れ際にキリエが「今度食事に誘ってください」とにっこり笑うのに、メガネをずり落としながら「いいですよっ なにかおいしいもの いっぱい食べましょう!!」と前のめりになって叫ぶ。
 マキちゃんは、キリエをみて「貧乏であるがゆえに、食事がとれずスマートなのだ」と、その身を「あわれんだ」のである。

 この「まじめ」さは「おばあちゃんのまじめさ」である。

 オンナを保護したいがゆえにではなく、孫を「なんとかせにゃー」という老婆の心に似ている。
 マキちゃんがキリエに会えば「おなかへった?」などと口癖のようにいうの聞くと、大昔、先輩左翼が若い左翼に「ちゃんと食べてるか? うちで食っていけよ」と挨拶のように言った話を思い出す。これぞジジイ、ババアの、偉大なるあいさつである。
 このマキちゃんのアンバランスこそ、キリエをして「かわいい人ね」と言わしめるものであろう。

 かつ、マキちゃんはまじめ一徹の朴念仁ではない。
 直截で、多弁である。
 「クリスマスどうしてる? デートしようよ」
 くーっ。ちょっと赤くなりながら、こんなにストレートにすっと言えてしまうお前は、タダもんじゃねーな。

 ネットでの評をみると、キリエや絵衣子の「非現実感」について話している人がいるけども、いやいやそうじゃありやせん。
 マキちゃんこそ、オンナ二十代後半の欲望がつくりだすイリュージョンではありませぬか。
 「お金ないの知ってたら ぼくがごはん食べさせてあげられたのになあ」
 なーんてホホそめて目ェそらしがちにいってくれる年下ってどうよ。
 「いいなあ ぬるま湯 守ってくれる甘いぬるま湯 街の片すみで生きる女プーには禁断の実じゃなくて? これって」というキリエのモノローグは、西村の心の叫びであろう。

 女には権威的にふるまわぬ「かわいい」存在だけども、根底でとってもでっかい安心感を与えてくれる――まさに「一緒に遭難したいひと」だ。これぞ欲望の産物でなくってナニ。

 マキちゃんは、男のぼくからみても、なかなかにイイ。
 こういうバランスと距離感で、女性に接することができるというのは、アコガレだ。
 そして、およそ理解しあえぬはずのこの種のご婦人がたに気に入られたいものではあるのだが、ふりかえるに、ぼくには、庇護的なかわいさがあるかもしれないが(早い話、外見上のたよりなさ)、中身もそうだときているから始末に負えない。くわうるに、マキちゃんほど仕事もできずに収入も多くなく、上品なストレートさもない。「胎児の環境としての母体に気を使ってくれる男」(by絵衣子)でもさらさらない。全然だめじゃん

 そんなわけで、7年前にこの単行本を買って、ときどき思い出したように読んでいたのであるが、最近、再刊されて平積みされているのを見て思い出した次第。

 西村フォビアの方でも、安心してごらんになれます。




『一緒に遭難したいひと』1巻(講談社ワイドKC)
以後続刊(のはず)
※もともとは「主婦と生活社」から刊行
2005.2.18感想記
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