小熊英二+上野陽子『〈癒し〉のナショナリズム』

わたしの参加しているMLに次のような投稿をされたかたがいました。

件  名 :弱い人の味方
差出人 :worldaction0701
http://www.freeml.com/message/chance-forum@freeml.com/0014795

この意見にたいして、わたしが投稿したのが以下の文章です。
そのまま小熊英二+上野陽子『〈癒し〉のナショナリズム 草の根保守主義の実証研究』
(慶應義塾大学出版会)の紹介と感想にもなっているので、ここで掲載します。

************ わたしの投稿はここから *********************


件名 :worldactionさんの「どくさいスイッチ」 または「フツーの市民」の危険な使い方


「ドラえもん」15巻の「どくさいスイッチ」は幼少のわたしの心を興奮させました。
だれもいない世界というのが出現するからです。
「お店に勝手に入って、なんでも好きなもん、食べほうだいだ」とか、
「ガンプラ、並ばなくてもいいんだ」とか。

気に入らぬものをつぎつぎと「のぞいて」いったとき、
そこには自分だけがのこるという、独裁者の不安をあざやかな寓意をこめて
批判した秀作です(子どものわたしは、とんちんかんな受け取りをしたのですが)。

     *

「『史の会』(新しい歴史教科書をつくる会神奈川県支部有志団体)参加者たちは、
 『サヨク』を『病人』『グロテスク』『気色悪い』などと嫌悪する。
 しかし……彼らは実際の『左翼』をほとんど知らない。
 すなわち彼らのいう『サヨク』とは、実体ではない。
 それは彼ら自身の影、彼らの内面にある
 〈否定したい自分〉〈認めたくない自分〉の投影にほかならないのではないか」

(小熊英二+上野陽子『〈癒し〉のナショナリズム』)


この本には新しい歴史教科書をつくる会神奈川県支部有志団体「史の会」の
エスノグラフィー(ある文化集団をフィールドワークによってしらべたもの)が
のせてあります。
会員のメンタリティーが、飲み会などのインタビューによって、くわしく出ています。

●肯定的にひんぱんにつかわれる言葉
……「良識的」「普通の感覚」「健全なナショナリズム」「庶民」
  「日本人としての誇り」「伝統」「産経」「石原慎太郎」

●否定的にひんぱんにつかわれる言葉
……「サヨク」「市民運動家」「人権主義」「朝日」「共産党」「社民党」「北朝鮮」
  「韓国」「中国」「マスコミ」「官僚」「一部の政治家」

●自らを表象する言葉……「良識ある普通の市民」


くわしいインタビューをした上野陽子(当時学生)は、こうしるしています。

「この語群から『自らを表象することば』が意外と少ないということがわかる。
 攻撃対象として『左翼』なり『サヨク』に対する自らの立場は
 『普通の感覚を持った庶民』である。」……

「そうした彼らが行うのは、自分たちが忌み嫌う『左翼』や『官僚』や『朝日』を、
 非難することだけである。あたかも、否定的な他者を〈普通でないもの〉として
 排除するという消去法以外に、自分たちが『普通』であることを立証し、
 アイデンティティを保つ方法がないかのように。
 そして彼ら自身もまた、積極的にみずからを定義する言葉をもたないことに、
 不安を感じているようである。…彼らは、自分を『普通』であると立証してもらう
 ことに、飢えているのである。」……

「それら(『うす甘いサヨク』)に対するアンチとして自らを置くだけであり、
 『右派』『右翼』『民族派』という言葉で積極的に自ら位置づけしない」

わたしは、2chの一部でみられる、攻撃的な「朝鮮/韓国たたき」「サヨク攻撃」を、
「ほこりをもつべき〈自分自身〉というものが空洞化したナショナリズム、
他者を攻撃し差別することによってのみその空洞部分がうかびあがる、
ドーナツのようなナショナリズム」だと、あるMLでいったことがあります。

「フツー」でないことをおそれるあまり、たとえば、自分たちの支持した教科書が
採択率がほとんどゼロだったという事実に動揺し、
「自分たちはフツーではないのか」というアイデンティティ・クライシスにみまわれます。

そこから、「フツーでないもの」=「朝日」「サヨク」「北朝鮮」などを
つぎつぎ排除していくことによって、そのアイデンティティをたもうとする、
と小熊は分析しています。しかし、それが自分のなかにある不安の影である以上、
どれだけ排除をかさねていっても、不安は解消されない、と小熊はいいます。

「たとえ彼らが、自分たちの攻撃によって、
 首尾よく『サヨク』を滅ぼすことができたとしても、事態は変わらない。……
 彼らの不安が解消されないかぎり、〈普通でないもの〉の発見は永遠に続く」

それはまるで「どくさいスイッチ」のようなものだとわたしはおもうのです。


worldactionさん、わたしは、あなたが異常だとか、おかしいとか、
そういうことをいいたいんじゃないんです。(小熊は「史の会」の人たちを、
むしろ量的にみれば「ありふれた」「普通の市民」だといっています)
ここは、意見のちがいをこえて、平和を創造していくMLです。
サヨクへのルサンチマンだけぶつけていてもあまりにも不毛ではなかろうか、
わたしのようなサヨクにもつうじるコトバで、積極的に「こういう平和策がある」と
いうことをゆったりとした気持ちでかけばそのほうがよほど生産的ではないか、と。
(サヨク批判はそのなかでいろいろしてくれていいとおもうのです)
空洞化した中心部分を積極的に展開する、あらたなナショナリズムをつくる
意気込みで投稿してほしいとおもうのです。


「サヨク」や従来の市民運動家もこの問題は「ひとごと」ではないようにおもいます。
小熊によれば、「新しい歴史教科書をつくる会」の運動じたいが、
従来の市民運動の質の悪い「パロディ」になっているし
(草の根、地方議会採択、署名、集会、教科書統制批判)、
なにより「フツー」をナイーブに渇望し、
結果第一主義(集会に人が来ないと絶望する、結果がでないと運動から離れる)
という点がめだつというのです。

デモで「ぼくは『ふつうの会社員』ですが」と声をかけられた小田実が、
「ぼくも『ふつうの作家』ですが」と返事をしたように、小田の標榜した
「普通の市民」には、異常なものを排除する構造はなく、
あらゆる党派や立場、肩書きのわくぐみをとっぱらっての「雑多なもの」の
あつまりとして「ふつう」の意味がこめられていました。

わたし自身も反省をしつつ、おたがいにほんとうの「フツー」の市民として、
それぞれの立場から、リスペクトしあえるような平和文化の創造をしていきませんか。

******** わたしの投稿 ここまで ****************************