小池清彦・竹岡勝美・箕輪登
『我、自衛隊を愛す 故に、憲法9条を守る』



 またしても憲法9条についてのビラまきをしている最中に、あるオヤジ、つうか老人につかまる。どうもぼくは老人受けのする顔らしい。
 言語が少し不明瞭。大意はくみとれる。ボケているのかと最初思ったが、知識は驚くほど深い。決してボケてなどいない。

「集団的自衛権は国連でも認めているはずだ」
「湾岸戦争のときなぜ日本は兵をださなかったのか」
「自民党の改憲案では1項はそのままのはずだ」

 いろいろ話す。いまの憲法をあんた方はなぜ守ろうとするのか、とか、憲法はどうやってできたと思うか、とか。
 この老人は、アメリカの占領下でおしつけられた憲法だというお馴染みの議論を言いたかったのだった。相当の「ナショナリスト」である。なので、憲法を変えてアメリカの犬になって海外にいくなんていうのは、相当の売国奴ぶりですね、などと挑発するとものすごい大声で叫びはじめた。ワロス。

 年寄りの血圧をあまり上げてはいかんので、接点を探す。
 それでようやく落ち着いたのが、「国防のために実力組織が必要だというなら現行憲法下で自衛隊を使えばいいじゃないですか」「あんたは自衛隊を認めるのか」「ええ。最終的にはなくせばいいですけど、それまでは現行どおり軍隊にせず専守防衛で使えばいいと思いますよ」というところだった。

「あんたがたは認めるんだ! そうか。昔は認めんかったのにな……」


 で、憲法9条の改定のねらいは、集団的自衛権問題の突破であり、アメリカとともに戦争する国にすることですよ、とか、アメリカの利権のために日本人の血を流すことはないですよね、などと話す。このあたりはどこまで共有できたかはわからないが、「9条のもとでの自衛隊」ということでは手を結び合えた。それからその老人は創価学会の悪口をぼくにひとしきりしゃべり、満足げに帰っていった。


 ぼくは地域にある「九条の会」(大江健三郎や井上ひさしなどが呼びかけた、憲法9条を守ることだけを一致点した集まり)に顔を出すけども、ひとつ気になることがあるのだ。
 それは、おこなわれている企画や宣伝の内容が、あまりに「武力なき平和」ということにのみアクセントがおかれているということである。

 憲法9条をその文言通り「完全実施」すればそれはまさに、国家としてあらゆる軍隊・実力組織を持たず、自衛をふくめていっさいの戦争と武力行使をおこなわないことを意味する。そして、しばしば平和運動を担ってきた人々は、この立場から憲法9条の擁護を主張する。

 もちろん、憲法9条の厳密な解釈をする立場でいえば、この通りであることはぼくも同意する。

 しかし、そして戦後の日本では9条は「紛争を解決する手段としての戦争を放棄」し、「そのための軍隊はもたない」、言い換えれば、自衛のための必要最小限度の実力は憲法が禁じる軍隊ではないので持ってもよいし自衛戦争はやってもよい、という解釈のもとで運用されてきた。

 たびたびぼくが言ってきたことだが、憲法9条を、その完全実施の立場だけからではなく、このような「専守防衛の最小限の実力組織」を運用する根拠として考えることもまた戦後60年間にわたって国民に支持され続けてきた「9条」の理念である。

 だとすれば、なぜ地域にある「九条の会」でも、もっとこの側面に光をあて、自衛隊を支持している人にも訴えかけないのかなあと思うのだ。
 07年5月1日に朝日新聞が公表した世論調査では、〈憲法第9条が日本の平和に「役立ってきた」と評価する人が78%を占めた〉という。それはこうした自衛隊の存在のもとでの9条理念にたいする国民の支持を意味するではないか。


 この世論調査には世論の複雑さと積極性が反映している。

〈9条を「変える方がよい」は33%で、「変えない方がよい」の49%を下回る。自衛隊の存在を憲法の中に書く必要が「ある」は56%。しかし、「自衛隊を自衛軍に変える」ことへの支持は18%で、「自衛隊のままでよい」が70%にのぼった。9条を「変える方がよい」人でも、「自衛隊のままでよい」が52%と過半数だった〉(朝日同日付)

 きたるべき憲法決戦を考えた時、この「自衛隊の存在のもとでの9条」を支持する層と組めるかどうかが焦点になってくるとぼくは考える。

 2007年5月現在の時点で共産と社民に「投票する人」、さらに広げて、「支持している人」だけをとりこんでももちろん展望はない。選挙の時に、共産・社民支持層、そして旧社会党支持層の一部から、確実に票を集める意味で「憲法9条を守ります」とビラに書いたり演説したりすることことは、効果があるし必要だとは思う。しかし、それだけではまったく足りない。「憲法9条を守ります」とだけ書いていればすむような事態ではないのだ。
 かといって、「だから民主党をとりこもう」とか「平和のための統一の候補をたてよう」というふうにしてしまうのは、問題の根幹をまったくとりちがえている。

 たしかに憲法改正の発議は国会での議席状況がモノをいう。
 しかし、最終的に憲法を変えるかどうかをきめるのは、国民の世論状況すなわち国民投票の結果次第である。

 そのとき、肝心カナメの「九条の会」が「武力なき平和」ということを支持する人だけを相手にしていていいのか、と思うのだ。

 おっと失礼。

 ぼくは各地に広がっている「九条の会」のレポートを読んだことがあるが、そこでは単純に「武力なき平和」=9条の完全実施を支持する人たちだけを相手にしているのではないという多様な姿があった。
 たとえば高知県では、「九条の会」には元自民党議員や、元首長、自治体の元幹部など保守層や無党派層なども参加して広がっている(下記URL参照)。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-12-20/04_01.html

 こうした広がりがもっと必要になってくるのだろうが、そのポイントの一つが、「自衛隊を認める人」の存在じゃなかろうか、とぼくは思うのだ。


我、自衛隊を愛す故に、憲法9条を守る―防衛省元幹部3人の志 で、ようやく本書なのだが、この本はタイトルが示すように「自衛隊を愛する」自衛隊の元幹部3人が登場する。うち一人は故人であるが。
 そしてその3人は、いずれも「憲法9条下での専守防衛部隊」としての自衛隊というあり方を主張し、小泉・安倍政権がハンドルを切ろうとしている「9条改定で、海外で戦争をする自衛軍となること」に反対しているのだ。

 その3人とは、一人は小池清彦で防衛研究所長、教育訓練局長をつとめ、現在は賀茂市長である。二人目は竹岡勝美で、防衛庁人事教育局長、官房長となった。そして三人目は、箕輪登で、自民党衆院議員8期、防衛政務次官、郵政大臣などを務めた。
 箕輪は06年に死去したが、04年にイラク派兵差し止め訴訟をおこしている。

 本書はこの3人の主張とともに、自民党幹事長で防衛庁長官だった加藤紘一が「推薦」を寄せている。


 この本の面白さは、保守の憲法9条擁護のロジックをその「肉声」において聞くことができる点にある。
 サヨのぼくなどからすれば、途中で「おいおい! 待て待て待て!!」とつい口を差し挟みたくなるようなムズがゆい言説もいっぱいあるのだが、それでもこの人たちと手を組んでいくことはできるのであるなあと、その「距離の遠さ」とその逆の「共同の可能性」にあらためて感動してしまう。

 たとえば、冒頭の小池清彦の次の言葉を聞こう。

〈安保条約は、平和憲法と両立する形の日米の同盟条約であり、アメリカもこれに同意している条約であります。安保条約からは、日本のみならず、アメリカも絶大な恩恵をうけているのであります。日本が毅然としてアメリカに対してこそ、真の友好同盟条約が生まれるのであります。/日本は極力、独力で国を守ることができる防衛力を整備すべきであります。しかし、海外派兵は厳に慎むべきであります〉(p.18)

〈日米安保条約があるわけですが、これは平和憲法がありますから、アメリカもそれでいいと。……中略……その結果、日本だけがいい目をしてきたか。そんなことはございませんね。この日米安保条約があるために、アメリカは日本を基地として、全アジアあるいは世界にまで防衛網、安全保障網を広げることができているわけです〉(p..28)

〈一方において、私は独力で精一杯自国を守れるだけの防衛力はしっかり整備すべきであるという考え方ですが、それはそれとして、とにかく平和憲法をいろんな経緯があって持ったんですから。現在の憲法の第九条第二項には、「前項の目的を達するため」という一句が挿入されております。これがいわゆる「芦田修正」ですが、この一句が入っているので、現行憲法の下で、しっかりした防衛力を持つことは、十分可能なのです。改正の必要性は全くない〉(p.41)

 日本人のことを〈優秀な民族〉(p.26)と形容したりと、ぼくからすれば「たはーっ」と言いたくなるツッコミどころ満載な言説ではあるのだが、それでもこの生々しさはすばらしい。
 このような人が「憲法9条を守る」という点で、一致しうるのだ。
 げに政治とは、そして一致点にもとづく統一戦線とは、このようなものでなくてはならない。
 馴れ合ったり、仲間うちであったりする人々が多数になって社会を変えていくのではない。

 価値観や世界観の違う、いわば「うろんな他者」同士が、一致点にもとづいてのみ手をむすびあう――このドライさが、民主政治のもとでの統一戦線のはずである。この本には、その生々しさがあるのだ。

 ウィットに富んでいるのは竹岡だろう。

 改憲論の急先鋒にたつ中曽根元首相の言葉を使って、現行憲法のもとでの専守防衛の理念を説いているのだ。


〈国連創設四〇周年総会で中曽根首相は、「日本国民は、祖国再建に取り組むに当たって、人類にとっての普遍的な基本的価値、すなわち、平和と自由、民主主義と人道主義を至高の価値とする国是を定め、そのための憲法を制定しました」と自主憲法を世界に誇り、「わが国は、平和国家を目指して『専守防衛』に徹し、二度と再び軍事大国とならないことを内外に宣言したのであります」と結び、「来世紀に再びハレー彗星が地球に近づく時、我々の子孫が核兵器の廃絶全面軍縮を成し遂げたことを誇れるように」との名文句で日本国憲法九条を引用しています〉(p.69〜70、原文は下線部分は傍点)

 そして、「自衛隊を日陰者でない正式な軍隊に」という言い分を撃つ。

〈戦後六〇年、歴代政権が一貫して語り継いできた専守防衛の国策は世界に恥ずべき詭弁と謝罪すべきものなのか。自衛隊員は「日陰者」と恥じてきたのか。練習艦隊は世界各地で歓迎されています。イラクに派遣された自衛隊は武力行使が禁じられていることを理解されて、オランダ軍や英国軍は心温かく庇護してくれました〉。改憲勢力が現在の憲法では米国や多国籍軍に十分な支援ができないと改憲をほのめかすのは、自衛隊発足後五〇年、歴代政権が一貫して国是としてきた「専守防衛」の枠を外そうとするからです〉(p.70)


 なお、この本はあくまでこうした「保守の護憲論」の生々しさを知るためのものであって、あまりトータルな、あるいは体系的な憲法論を期待してはいけない類のものである。

 それをふまえたうえでなら十分読む価値があるだろう。


 ゴールデンウィーク後、郷里に法事で帰った時、九条の話を、田舎の保守である父としたのだが、やはり彼も「国防のために自衛隊は必要」「海外に出ていくのは駄目」「自衛隊を正式に憲法に書くくらいはいいのでは」という議論だった。
 そのような人と対話をしていくさいに、本書のような一致点こそがつねに念頭におかれるべきなのである。







小池清彦・竹岡勝美・箕輪登
『我、自衛隊を愛す 故に、憲法9条を守る 
防衛省元幹部3人の志』
かもがわ出版
2007.5.21感想記
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