ぼくの人生の転機



 まじめな話なんですが、いまぼくは人生上の重大な転機にあります。

 というのは、つれあいといっしょに暮らす決意をしたので、いまの職場をやめて、遠くに住んでいるつれあいのところへ引っ越しをするからです。ついに遠距離結婚7年、交際期間をふくめると遠距離生活16年に終止符がうたれることになります。いっしょに生活したとたんトラブル続出で別れたりしてw

 こう聞いたら驚くかもしれませんが、ぼくが働いてきた職場は、ぼくが来る前、「病人続出の苛酷な職場」だといわれてきました。一般的に「ぼくのいる業界全体が」、というより、「ぼくのいる職場が」、です。じっさい、その職場で働くことが決まったとき、別の部署の人から何人も「体をこわさないようにね」と心底いたわられたものです。

 ぼくが来たとき、ぼくだけでなく、上司や同僚もほぼいっしょにその職場にやってきて、古い人はほとんどいなくなって人的には一新され、スタートすることになりました。

 ところが、結果的に9年間、ぼくは精神的ストレスは、ほぼゼロで働き続けていました。これはぼくにとっても信じられないことです。
 周囲は今ではもう昔この職場がいかに「苛酷」であったのかなどすっかり忘れています。そう忠告してくれた人たちは、現在のその職場に入るやいなや独特の「ほげほげ」感がただよっているのを感じとるほどです。

 あまりくわしくその分析をここで書くつもりはないのですが、一番大きかったのは、上司と同僚に恵まれたことでした。言い方を変えると、人間関係や職場環境づくりに上司や同僚が非常に心を砕いてくれた、ということです。つれあいに言わせれば、「あんたが仕事をやったような顔をして威張って歩いている後ろを、上司や同僚があんたのお尻をふいて歩いたり、あんたがこぼしたものを拭いて歩いているのだ」ということになるわけですが。
 休暇にしても、つれあいに会う時間の保障にしても、そして仕事にしても、おそらく日本社会のなかでもありうべからざるほど良好な人間関係に恵まれたというべきかもしれません。
 しかも、同僚や上司からはさまざまな知的刺激をうけました。また、ぼくの漫画批評を書く行為そのものさえ暖かく見守ってくれていました。そこからは“人間の多面的発達は、仕事にも必ずプラスになる”という態度がうかがえたものです。

仕事のくだらなさとの戦い  哲学者の佐藤和夫が次のように指摘しているのは的を射ています。

「今日職場で働いている人々のたいていの話を聞くと、労働の苦痛の中心点は、自分とはとても気の合わない人とでも一緒に仕事をしなければならないということであり、それがどれほどのストレスを与えているかということだ」「大半の労働者は、マルクスの生きた時代にあまりの長時間労働として指摘されたイギリスの労働者を超えるほどの長時間労働をしている場合も珍しくない。しかし、それ以上にきびしい問題は、一日十数時間にものぼりかねない仕事のなかで営まれる人間関係が、時には耐え難いほどの緊密で連携の高いものとなり、そのようななかで同僚との相性が合わないとか、まったく意見が合わない上司に自分の納得のいかない仕事を命じられても、それを成し遂げなければならないといったストレスが今日の労働者を苦しめていることだ」(佐藤和夫『仕事のくだらなさとの戦い』大月書店p.58〜59)

 この本自体についてはまた別の機会に論じたいのですが、佐藤は宮本常一が『忘れられた日本人』のなかで田植えというつらい労働でさえも、仲間とのおしゃべりが自由にできるなかでは楽しみとして待たれていた事例をとりあげて、近代の労働を批判します。

「一般的に労働が苦痛なものか人間的なものかという問いは、それだけでは意味のないことになる。明らかなことは、苦痛は、労働が他の人から孤立した見捨てられた経験として存在するときにいっそう耐えがたい骨折りのシンボルとして巨大化するが、仲間とのコミュニケーションや連帯が成立しているときには、それが苦痛であることさえも意識されないことがあるという事実だ」(佐藤前掲書p.62)

 むろん日本の多くの職場では、上司などの才覚や裁量ではどうにもならない、競争や経営難を基礎として長時間過密労働が蔓延している、ということは押さえておかねばなりません。上司の采配やコミュニケーションの解決だけではどうにもならない経済の現状があるのです。
 ただ、ある範囲内では、この「良好な人間関係」が形成されるかどうかは、死活的ともいえるほど問題を左右することがあります。

 その点で、ぼくはあまりにも恵まれていた、あるいはあまりにもお世話になりすぎた、ということを感じています。何かの記念というわけではありませんが、その感謝の気持ちを、この機会にここに書き記して残しておきたいとおもいます。




2006.2.7記
メニューへ戻る