浅尾大輔「家畜の朝」

 第35回新潮新人賞を受賞した小説(「新潮」2003年11月号に掲載)。こういう人

 言葉というものを、貧しいながら、多少は武器にできるおかげで、ぼく自身が救われた、ということは少なくない。言葉によって、世界というものを再構成できるからだ。
 もう少しいえば「概念」だといってもいい。
 あるいは世界を認識する道具、というか。

 悲しみとか、いらだちとか、怒りというものを、モメントの一つに落とす、つまりこの世界の中で、自分がもっているこの感情がどんな位置をしめるものなのか、ということを把握しなおして、チンケながらも世界と歴史の見取り図や系列図のなかにハメることができる(逆に、それを「解釈によって世界を貧しくする」浅薄な思想的営為と批判する人はいるだろうけど)。

 浅尾の「家畜の朝」は、やりきれないほどみじめなセックス、「後朝」のシーンからはじまって、中卒で道路工事などのアルバイトによって日銭を稼ぐ主人公たちの、うだつのあがらない日々を最初から最後まで描きつづける。

 主人公の一人称でつづられ、独特のユーモラスな文体によって世界が叙述されていき、大半は、日々の労働、競艇、救いのない自分と友人たちの「愚行」、中途半端でやめた入れ墨のこと、さびしいセックスなどがしめている。
 そのなかに、ふっと、経営にゆきづまって「国民信用金庫」の前で火だるまになって自殺した父親のこと、学習障害とおぼしき理由で成績が悪かったこと、友人の堕胎、自分を救おうと懸命になってくれたがガンで死ぬ友人のおばちゃんのこと、シンナーのやりすぎで奥歯のない友人のこと、博打で何もかもスってしまう人々のことなどが、一瞬だけさしはさまれる。

 それは、「貧困」である。

 おいおい、またそれか、とうんざりする人もいるかもしれないが、これは「よしながふみ」や「つげ義春」のときとちがって、浅尾自身がかなり意識的にそれを主題にしているからしょうがない。文句があるやつは、浅尾に言え。

 前にものべたように、現代では、貧困は、もとの形をとどめぬような転倒や複雑さをもって、個人を、家族を、地域共同体を強襲する。この小説は〈俺〉の目をとおしてその〈貧困〉が、あるいは、〈世界〉がどのようにみえているのかを描こうとした。

 浅尾自身は、直接はその貧困の直中にはいない。
 この小説の中で、何を考えているのかわからない道路工事のバイトをやる女、名古屋大学の学生が出てくるが、これが浅尾的なものと、この小説世界をつないでいる存在である。
 浅尾は受賞の言葉のなかで、「小説を書き始めて考えてきたのは、果たして僕はあなたを理解し手を携えていけるかということです」とのべているように、いったい彼らにとって世界はどう見えており、そこにどんなふうに政治や社会が映じているのかということが強烈な問題意識にあるはずである。
 それはただ、貴族が下層の階級の悩みを推し量る、というものではなく、むしろ〈左翼である私〉と〈世界〉というシェーマであろうと思う。
 国民の圧倒的多数が「負け組」に身を落とし、貧困の淵へとずり落ちていくなかで、世界はどんなふうに映じているのか、そこに「手を携えていけるのか」光はあるのかどうかを探ろうとしたにちがいない。「僕はあなたを裏切り、あなたに裏切られて今ここにいて、この先は絶望かもしれません。でも、人間が必死で生きる姿を描くことがあなたとつながることだと信じたい」という浅尾の受賞の言葉のうちには、その必死さが感じられる。

 たんに運動上の生半可な、あるいは実務の意味での、左翼と大衆、ということではなく、運動というものが、つねに〈私〉と〈世界〉、あるいは〈私〉と〈大状況〉とのあいだをつなぐ言葉をもっているか、という根源にかかわっている。

 ただし、選者たちがちらほらと「でも、ダメな男である高雄の語りが、ときどき聡明すぎる。辻褄があいすぎる、と言いなおしてもいいか」(川上弘美)、「不用意に人生論的、知的な判断の言葉を混入させているのが、弱点」(沼野充義)とのべているように、浅尾は、主人公にあまりに「武器」をわたしすぎてしまっている。

 選者の一人である川上は、この聡明さが作品を息苦しくしてしまっている、とのべているが、それはむしろ逆であって、浅尾はあまりの「世界」の息苦しさに、ついつい主人公にたくさんの武器をあたえすぎてしまったのだ。
 もし、世界と格闘するための「言葉」という武器が豊富にあれば、いらだちも悲しみも「希望」や「連帯」に変換していける。世界はよほどちがって見えるにちがいない。

 だが、その聡明さを埋め込む欲望にあらがえなかったというのも、逆にこの作品の荒削りな魅力であって、もしそれがなければ、あまりに突き放した作品になっていただろう。実験動物を観察する学者のように。

 
 舞台がぼくの実家である三河地方であることも手伝って、非常に愛着のもてる一作である。


新潮2003年11月号
メニューへもどる