藤井みつる『官能小説』



官能小説 4 (4)  大江健三郎は小さい頃、『ハックルベリー・フィンの冒険』をはじめ、本に書かれている言葉が「自分にあててかかれているものだ」とよく思い込んでいたそうである。

 しかしそれは大作家の特権ではない。

「すぐれた作品がつねにそうであるように、『これは自分のために書かれた』という無理もない錯覚からよってきたる独占欲のあらわれである」

と、関川夏央も書いている。


 『官能小説』はぼくのために描かれた漫画である。
 正確にいうと、ぼくの欲望のために描かれた漫画である。
 これほど極小のストライクゾーンにタマを投げてくるなんて、絶対そうとしか考えられないではないか!


 『官能小説』は、27歳の経理のOL藤森彩を主人公とする物語で、藤森は堅物・小うるさい・クールすぎる性格ゆえに「小局(こつぼね)」と陰口をたたかれている。
 それが、6つ年下の椎野太一という営業の男性社員に好意をもたれてしまう。
 椎野は会社に隠れて小説を書くという副業をやっており、そのジャンルは「官能」すなわちエロ小説なのである。

 椎野は髪サラサラ、童顔、美「少年」という造形をされている。
 藤森は「小局」などといわれているのに、よくよく作品のなかで勘定をしていみると、辣腕営業部員とか、敏腕公認会計士とか(いずれも美形)に大もてなのである。

 ぐわ。

と、ここで血反吐を吐かれた読者諸兄も少なくなかろうと察する。

 そうなのだ。これは完全に女性の欲望のための漫画である。いま手元にある相原実貴『先生のお気に入り!』(フラワーコミックス)も、美形の兄の恋人(主人公)を美形の弟が奪おうとする話なのだが、美形兄弟や美形男性社員にモテてモテて困っちゃう、などと、あられもない欲望を並べ立てる女性漫画は、いまや隆盛をきわめている。そのうち「此の世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」とか詠み出すんじゃねの。もちろん、男性漫画はそれを笑う資格などは1ミリもないのであるが。

 女性の欲望漫画であるにもかかわらず、なぜこれほどまでに、ある30代のヲタ男性のツボにハマるのか。

 これは、主人公の藤森彩の造形が、まったくあらぬ方角から、わがハートに衝突してしまったからである。一種の事故としかいいようがない。

 セミロング、楕円眼鏡が藤森の基本パターン。作品中でも、藤森がしている服装は、色気やコケティッシュさではなく、20代後半から30代前半にかけての「堅実さ」を前面に押し出したものばかり。
 おまけに、眼鏡を白く描いたり(右図、小学館、第2巻p.140より)、瞼を半分おろした表情をさせたりと、つとめて内面を隠そうとする形象とされている。

「(男からの評価の言葉に浮かれていると)
 調子こいて勘違いしてるって
 笑われるだけ
 妙な期待したら傷つくって
 学んだばかりじゃないの!」

「他人に振り回されるよーなことは
 もうめんどくさいのよ」

とは藤森のモノローグ。藤森は社の忘年会や椎野の友人たちの飲み会を心の底から「めんどうくさい」「疲れる……」とウザがる。


 この硬度。この殻。
 つよい「既視感」があるのだ
 このとおりの人物をみたというわけではなく、藤森という造形からたちのぼってくる「におい」は、まさにどこかで嗅いだことがあるのである。

 おそらく男性誌で主人公格の女性をここまでは描けないだろう(たとえば安野モヨコ『働きマン』の主人公・松方弘子でさえ、男性読者は「無性化」されたものとして眺めているのではないかと思う)。女性誌のなかでも、寡聞にしてあまり見たことがない。

 1巻で椎野と藤森、椎野の友人とその彼女ら数人で飲む話が出てくるが、藤森はいちいちこの彼女の対応に疲れるのである。そして、藤森はタバコをふかしながら、冷徹にその彼女を観察する。「シャネルのピアス エルメスのリング ブルガリの(以下略) 要は彼氏自慢したかったワケね」――ここではOLの主流派の女性を、藤森は敵に回してさえいるのである。

 しかし、こういう疲れ方をするひとは、たしかに実在する。いる。

 それゆえに、本作の主人公・藤森彩は希有なリアリティ――しかも生活感に近い方向のリアリティで――をもった存在としてぼくに迫って来るのだ。
 そしてそれが確実にぼくの萌えツボ女性像なのである。
 藤森が椎野とプライヴェートな場でくりひろげているイチャつき、ケンカ、セックスにいたるまで、ぼくは椎野になったつもりで読んでしまう。別に椎野そのものにあまり共感はしないのだが、藤森を受け止める身体は椎野しかないのだから仕方がない。しかも、たいへん幸せそうなイチャつきかた、セックスの描写で、それがし大興奮したでござる。

 心的に武装された日常との対照で、セックスが解放された瞬間としてきちんと描かれている。
 いわば「きもちのよさそうなセックスだ」と思えるのである。
 『官能小説』において、セックスは、切り離された快楽ではなく、日常や生活と地続きになっており、藤森彩にとって欠きがたい人生の一部である。トータルな人間のなかに、セックスも快楽も仕事も恋もある。
 
 
 ただし、冒頭に「これはぼくのために書かれた物語」ではないかという錯覚の話を書いたように、とくに男性陣はそもそもご自分のツボでなければ、まったく理解できない可能性がある。
 くわえて、作品世界の設定もそのユルさに満足できない人は少なくないかもしれない。「社内恋愛はこんな大っぴらにできねーよ」とか「椎野がエロ小説家っていう設定はあまり生きててねーよ」とか「椎野って作家の感性じゃねーよ」とか。
 だから、ぼく以外の男性が読んで果して面白いと思えるかどうかは、微妙である。



※5巻の短評はこちら

全5巻
小学館 プチコミフラワーコミックス
2005.7.25感想記(10.19補足)
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