神坂智子『カラモランの大空』



 引っ越しのときに、古い漫画と対面してしまい、読みふけることに……となると思いきや、意外にそうはならなかった。作業に追われていたせいもあるだろう。分別に必死で、おかげで新居に残った漫画は自分でもなかなか惚れ惚れするほどのラインナップとなった。

 しかし、唯一読みふけってしまったのが、この『カラモランの大空』だった。
 ときどき思い出して読める、長くつきあうのに最適の本だ。
 「カラモラン」とは中国の大河・「黄河」のことである。

 マルコ=ポーロの生涯をわずか6巻にまとめた漫画なのだが、1巻ごとに濃厚(しかも詰め込みすぎという印象がない)で、再読している最中、2巻を読み終えた段階でもうずいぶん長い物語を読んだような気がした。
 もちろん史実にもとづく話ではあるが、マルコ=ポーロはその伝記上に謎の部分も多く、その部分を神坂の豊かな空想でおぎなっている。神坂はマルコを驚くほど聡明な冒険家としてフビライ(モンゴル帝国=「元」の皇帝)の寵愛をえた人物と描き、物語の主軸にペルシア人の娘・アゼルとの徹底した純愛をおく。

 だが、この漫画を傑作にしあげているのは、そうしたドラマツルギーだけではない

 アジア各地をめぐるのが趣味である神坂の卓抜な観察眼が漫画の随所に生きているのだ。
 だから、読み返すたびにマルコが体験する旅のエピソードを味わうのが、読者にとっては快楽になるのだ。マルコの話を飽かずに聞いたというフビライの気持ちになって、ぼくらは神坂のつむぎだす不思議な旅行譚に身を浸していたくなる。

 じっさい、巻末についている神坂の小さい旅行エッセイ漫画は、「おまけ」とは思えぬほどに面白い。こんな建物がよかったとかあんな食べ物がおいしかったとかというたぐいの、テレビの旅番組的な雰囲気は極力排除され、かわりに現地の気象や慣習を無視した行為を(善意の日本人旅行者が)おこなうと「死にます」「殺されます」という話ばかりが登場する。それがまた、そのエッセイにクールな客観主義的観察眼の印象を与えているのだ。
 たとえば、2巻の巻末には旅先での「水」への注意がある。生水は絶対に飲まないというのはよく知られた原則だが、売っているビールやジュースの危険や、「ボイルドウォーター」と「ボイリングウォーター」の違いの話などがエピソードをまじえて紹介される。
 また、旅先での「まぬけ」な日本人の話の紹介もある。強盗に遭ったから銭を貸してくれとか、いっしょにホテルをとってくれないかと頼み込む日本人の姿が紹介され、いずれも徹底的にクールに突き放す神坂の姿勢が印象に残る。
 他にも、犬にさわるときの危険性や、旅先の善意の人を信用して腎臓を失う話、アジアの公衆トイレ事情など、衝撃的な内容が「少女漫画風エッセイ」のタッチで紹介され、『失踪日記』を読む時のような壮絶感に襲われる(こうしたエッセイが評価されたのだろうが、後年神坂は『ちょっと危ない世界旅』というエッセイ漫画を出している)。

 最初にのべたように、『カラモランの大空』にも、こうした神坂の体験がおそらく反映している。3巻でようやくマルコはフビライのもとにたどりつくのだが、それまで西アジアと中央アジアの気象や風俗についての描写がつづく。
 気象の峻厳さ、地域の偏頗さ、生活の貧しさと豊かさ、そうしたものを、神坂はおそらく中央アジアや西アジアの旅情のなかで感じとったにちがいない。
 たとえば、谷間に落ちたマルコが快感のなかで目を醒ますとそこには裸の若い女がいる。その女性に介抱がてらセックスをされていたのだ。これがマルコの「初体験」となる。後でマルコが事情を聞くと、その村の四方には住民がおらず、血を濃くしようと、外部の人間の「血」を入れるということだった。いや、これが神坂の体験だったとは全然思わないけどな!

 こうした因習めいた、しかしある意味で合理的な習俗が読む者の心に強く刻みつけられる。

 神坂の絵はいわゆる「リアリスティック」というにはそこからはほど遠い絵柄だ。たとえば谷口ジローなどと比較すれば、あまりに「ひどい」絵だと思うだろう。にもかかわらず、ぼくらは読みながら中央アジアを旅したような、高揚感、疲労感、恐怖感を抱くことができるだろう。
 その感情を生み出すために、神坂が用意したエピソードは十全に作用している。

 それは単に雑学で武装されているというだけではない。
 豊かに味つけされた一つひとつのエピソードは、世界観や歴史観の懐深さを感じさせる。
 マルコと途中で行程を共にするラムバという仏教の高僧は、平気でイスラム教の教えの中身も口にしたりする。ローマ教会やネストリウス派などのかたくなさと比べても、ラムバの態度には自由さがある。宗教は派閥の争いをかかえると途端に不自由なものへと転化するが、ラムバのような態度をとれば、どの宗教も、同じ「普遍性」へたどりつく一つのルートになりうる。マルコは後年、宗教とは宗教ごとの「教え」が大事なのではなく、それを受け入れる「器」が大事だと気づくのである。

 最初にものべたとおり、わずか6巻というのに、読後はものすごい旅行と人生を踏破したような達成感に襲われるだろう。重量感のある佳作だ。





『カラモランの大空』全6巻 潮出版社 希望コミックス
2006.4.16感想記
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