カラスヤサトシ『カラスヤサトシ』



 ジャイアンがフロに入ってオナラのあぶくの大きさを測り、ひそかに自己記録をつけていたとわかったときは誰もが衝撃だっただろう。いや、最高度の衝撃は、のび太の友人(名無しのキャラクター)がハナクソをひそかにためて巨大なボールをつくっていたことだろう。

「ひそかにためたハナクソが こんなボールになった」

 トーンで処理された「ハナクソボール」をみて妙に興奮したぼく。それは、ぼく自身が巨大な耳垢をためていたことがあるからだ!(1回分の巨大なもの、という意味であって、ためた耳垢が巨大だったのではない) 抜けた乳歯とかもな!
 つまり自分だけのだれにも曝せない思っていた性癖が、『ドラえもん』という最メジャー漫画のなかで共有されていることに衝撃を受けたのである。しかも、そこで描かれたものは、自分の秘史をさらにこえて徹底的なものだった。藤子・F・不二雄が描いた「ハナクソ・ボール」は子どもの座高の半分もあるから直径40〜50センチはあっただろうか。

 てんとうむしコミックス15巻「こっそりカメラ」に登場するこのエピソードを読んで、われわれ幼い読者は、従来の藤子的世界観とは別の世界をのぞいた。

 誰にも明かせない自分の秘史――しかも超瑣末な日常――をこじあけてしまった瞬間だった。そこにはまだ未着手の「リアル」があった。

 日常の社会生活のなかで「なかった」ことにされてきた瑣末をとりあげることは、けらえいこが大鉱脈として掘り当てたコミックエッセイというジャンルだ。いまこの分野はゴールドラッシュともいうべき活況を呈している。
 しかし、「ハナクソ・ボール」的瑣末は、さらにそれを超え、いわば日常的瑣末の最深奥に位置している。

カラスヤサトシ カラスヤサトシ『カラスヤサトシ』は、この「ハナクソ・ボール」的瑣末のリアリズムを掘り進めようとしている。編集部に御題を出してもらい、それにちなんだカラスヤ本人の自分史や体験、聞いた話などを4コマ漫画にしたものである。よくこれだけネタがあるなと感心する。 

〈昔一人暮しを始めたころ
 ふざけて紙ねんどで神様をこしらえた〉(p.5)

 作家の山崎ナオコーラが自分の新作(『浮世でランチ』)に言及して〈私も小さいころ、勝手に神様を想像してお祈りをしてました〉(「ダ・ヴィンチ」06年11月号)とのべているし、酒鬼薔薇事件の少年Aも「バモイドオキ神」を「創造」していたことは有名な話。

 ぼくは「神様」という設定はなかったけど、小学校低学年から中学にあがってからくらいまで、長い長い物語をつくっていて、その空想にたわむれていた時間が1日のなかでもけっこう長かった。歴史ものだったので、領土図なども熱心に書いたし、系図に凝った(笑)。とくに源氏系の家系になるのが好きで、名前に「義」とか「頼」を冠するのが個人的にはむちゃくちゃかっこいいと思っていた。
 空想に出てくるキャラクターは当然人格化されているので、それを相手にして戦闘したり対話したりしていた。ゆえに、校庭で「踊っている」姿(実は格闘している)がしばしば目撃され、「紙屋が踊っていた」などと笑いものにされたこともある。(ちなみに「一人暮し」を始めるころには、さすがにそういう性癖はなかったがw)

 こういう秘話というものは、もはや誰にも話すことなく墓場に持って行くんだろうなと思っていた。しかし、カラスヤサトシはそれを暴いてしまったのである。

〈子供のころ 一時期毎日やっていた遊び
 二階の窓をあけて ヘリにしがみつき
 床がないフリをして助けを求める
 (声は出さない)

 今思うと何がおもしろいのか
 全くわからないが
 学校がおわるとすぐさま帰宅し
 一人でもうえんえんとやっていた
 楽しくてしかたがなかったことだけは
 おぼえている〉(p.21)

 右の絵(本書の裏表紙から引用)を見てもらえばわかるが、カラスヤの絵は、率直に言ってヘタである(自覚的にこうしているのだとすればものすごい高技術)。線が迷いまくりで、小学生のラクガキのようだ。しかし、そのラクガキ感が、自分の瑣末な秘史を明らかにするのに最適なのである。


〈2年ほど前から私の左の手のひらは
 阪神タイガースの元監督の
 星野仙一に似ている
 と思っているのだが
 人に言うと困惑されたり
 なぜか心配されたり
 するので黙っている

 それ以外にも例を出すと

 右手の薬指を少し曲げ
 横から光をあてると田辺誠一に
 左手の中指をピンとそらし爪のあるほうから
 見れば松嶋菜々子に似ていることを発見

 そして最新 そっくり情報
 私の右足の人指し指は
 小池栄子によく似ている
 (カツラをつけると多分そっくり)〉(p.22)

 指や手に「表情」があるな、というのは、ぼくもちょっと思ったことがある。じっと見ていると「顔」のように見えてくることが確かにあるのだ。しかし、カラスヤの面白さの一つは、その瑣末さを「それってあるある!」の域にとどめずに、デフォルメしてしまうことである。「星野仙一に似ている」ってwwwおまwww
 
 さっき「神様」の話をカラスヤが描いているのは紹介したが、顔ほどの大きさの、壊れた「モノ」を使って「つくも神」(古いモノにやどる精霊)をつくってしまうエピソードがある。
 カラスヤは、こわれた電話やとれた自転車のサドル、柄の折れたフライパンなどが捨てられないという。

〈そこで いいリサイクルを思いついた
 それらのものに実際に顔を描き
 ハンガー等で体を作り
 不用になった服やタオルを着せるのだ〉(p.16)

 照明器具の本体をつかって作ったものが、〈とんでもなく不気味〉に仕上がってしまい、〈ソッコーでバラして捨てた〉。
 この〈ジェイソンそっくり〉になった「つくも神」にも笑ってしまうのだが、そこまで徹底して暴走しているカラスヤ自身が可笑しい。この本のタイトルが『カラスヤサトシ』なのもわかるというものだ。

 エピソードのなかで、カラスヤが中学生のころ聖飢魔IIが好きで好きで好きすぎて、〈自分がなぜ聖飢魔IIの構成員ではないのかわからなくなるまでに追い込まれていた〉(p.105)とある。虚構にたいして自分がその一員ではないことを気が狂いそうなまでに感じることがあるというのは、ものすごくよくわかる
 しかし、カラスヤの徹底ぶりは、そこから〈ふろしきのマント スキー用のタイツ 保温シューズ 親父のチョッキ等〉で聖飢魔IIになりすまして(つか杜撰なコスプレ)、〈家に誰もいない日をみはからって このかっこうで一日を過ごすのを何よりの楽しみにしていた〉らしい。(髪はさとう水でかためていたw) しかも、別に歌うマネをするわけでもなく、その格好で漫画読んでいるってw

 面白いのは、この漫画にたいする反応が単行本には載っていて、本人は〈あるあるネタ〉のつもりで描いたが、読者は「ねえよ!」「きもい!」「一線こえてます」「お前だけじゃ」「大丈夫か? カラスヤ」などの引いた反応が続出だったという。
 もちろん、これ自体もネタかもしれないのだが、この、〈あるあるネタ〉を企図してそこをこえて暴走している、という関係が、このカラスヤ作品を本質的に表していると思ったのだ。


 
 つれあいがこれを読んで「風貌も感じもあんたそっくり」だと失礼なことを言っていたが(どっちに失礼かは不明)、その会話のなかで、おそらくカラスヤは、そうは言っても自分自身のことが好きなんだろうな、ということで盛り上がった。底辺に明るい自己肯定感がある、というわけだ。
 一見自己憐憫にみせかけたペーソスのように感じてしまうのだが、実は「こんな自分が大好き」だという、ぼくにそっくりなやつなんだよ!

 今年一番笑った漫画。





講談社 アフタヌーンKC
※画像は著作権法上の引用原則をふまえています
2006.12.10感想記
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