榎本ナリコ『歌集』



 尾崎豊といえば「15の夜」や「卒業」を思い出す。
 つか今聴いてる。

 中学時代、プチファシストで、管理教育の尖兵となり、田舎の優等生だったぼくは、「不良」と呼ばれる人間を憎んでいて、いま手元に残っている当時のノートには「不良撲滅論」などというものを真剣に書いていた。この年頃はどこまでも思考が一面的だ。

 だから、オザキの「15の夜」や「卒業」的な世界には、激しい憎しみを抱いた。
 このような連中こそ消えてなくなれ、と。


 オザキの詞と歌を愛好しているひとたちは、「15の夜」や「卒業」で歌われている世界の住人ではないと友人に聞いた。
 むしろそれになりきれなかった憧れを託して聞くような人種が多いと。
 有名な話なのか、まったくのデタラメなのか知らないが、印象に残る仮説であった。

 榎本ナリコ『歌集』は、「歌」にまつわる物語をあつめた短編集だ。
 いちばん新しいところで宇多田ヒカル、多くは榎本が青春時代をすごした80年代の歌謡曲、かわったところでは釈迢空の歌がとりあげられる。

 榎本はあとがきで「ガリ勉タイプと不良タイプの子の奇妙な友情のようなものが私は好きで、それは中学時代に前者であった私がふしぎなコンプレックスとともに後者の女の子にあこがれていたという思い出に起因しているのでしょう」と書いていて、たしかに8つの話しかないこの短編集のうち2つにそういう構図が顔を出す。

 榎本がオザキが好きかどうか知らないが、オザキファンが「不良世界」をながめるあこがれの構図が、ここに再現されている。
 このあこがれの神話を、榎本なりに解剖したのが、第6話「リンダリンダ」(ブルーハーツ)だ。
 優等生でガリ勉の男子高校生である桜井。同じクラスには万年成績最下位の男子高校生杉田がいる。桜井は杉田のことを心のなかで軽蔑し「ドブネズミ」と記憶する。まったく悪意なく桜井になつく杉田。桜井が教師に意地悪されたとみるや、杉田はまったく無思慮に、いきなりその教師になぐりかかる。

 そんな短編を、榎本は惜し気もなく「あとがき」で自己言及する。

「頭でっかちな自分に歪んだプライドをもっていながら、そんな自分に自信のなさや臆病さ、自分の考えは机上の空論であって現実には何の力もないのではないかという恐れを抱いていた中学時代の私は、頭で考えるより先に感覚で感じ、行動してしまうような人が実は、自分の知らない自分にはわからない何かをあらかじめ持っていたりわかっていたりするのではないか…そんな風に思っていたのです。多分今も。だからドブネズミみたいに美しくはなれない。と、実感として強く思います」

 管理教育が全盛だった80年代には、受験競争とあいまって、学校には陰鬱な抑圧の空気が垂れ込めていた。
 バイクを盗んで走り出したり、校舎の窓ガラスをこわしてまわったりと、展望のない絶望的な暴力や衝動をちりばめながら、抑圧された空気とその解放へのエネルギーの存在(あくまで「存在」。そのエネルギーは解放されずに屈折して封じ込められていく)をうたいあげたオザキの歌は、自分にはとうていそんなことができそうにもないけども陰鬱さをもっともセンシティブに感じとっていた層に支持された。
 榎本の「ガリ勉と不良」という物語は、その空気のヴァリアントであろう。


 ただし、オザキとブルーハーツは、その歌っている地点がまるでちがう。
 オザキの歌が幾重にも屈折しているのは、尾崎自身が窓ガラスを壊してまわる視点にいたのではなく、それに憧憬をいだく階層を代表していたからである。
 これにたいしてブルーハーツにはその屈折がない。榎本がのべているように「感覚的なまっすぐさ」が特徴的だ。ぼくの別の友人が「あれは現代の革命歌だ」と規定したけども、そういうストレートな解放歌であるというのは、言い得て妙である。

 榎本がこの歌をつかってこの短編を創作した悲劇の原因は、ここにある。

 率直に言って、榎本のこの「リンダリンダ」の話にでてくる杉田は、あまりに類型化された薄っぺらい造形だ。その種のキャラがもつ猥雑なエネルギーが、きれいに漂白されてしまっている。杉田の描き方がボーイズラブに出てくるキャラのように衛生化されそれに若干の頬骨のコケをしめす記号的な線を入れているだけなのだ。
 大人になって出会う杉田にも、杉田自身が語る経歴の野太さがぜんぜん表現されていない。

 それは榎本が絵がヘタとかそういう話ではなく、榎本自身はオザキ的な屈折をかかえているのに、榎本が選んだのはまっすぐなブルーハーツだった、というところからうまれる齟齬である。榎本がかかえているのは、オザキ的な、幻想化された「不良」であり、そこで描かれる「不良」や「出来損ない」は必然的に幻想的なものになってしまうのだ。

 いや、榎本自身の告白に照らすなら、杉田という形象は、榎本の「不良へのあこがれ」をある意味で見事にあらわしているのかもしれない。漫画としては失敗しているが。





榎本ナリコ『歌集』
小学館 ビッグコミックススペシャル
2005.5.10感想記
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