渡辺多恵子『風光る』



「私の地元、日野市では、大河ドラマ『新選組!』の放映と軌を一にして、熱い郷土愛のもと、行政と市民が一体となり、都の支援も受けながら観光まちづくりを行っており、大勢の人が当地を訪れています。特に若い女性の姿が目立ちます。『誠』の旗のもと、勤王、佐幕、攘夷に命をかけた男らしい男の群れ、新選組は、多くの日本女性を魅了しているのです。ジェンダーフリーなどに浮かれた、男らしくない新選組など考えられません

 前後の脈絡なく、唐突に「ジェンダーフリー」が出てくる。
 この都議会の議事録を読んでいて、苦笑してしまった。

 発言者は古賀俊昭都議会議員(自民党)で、今年(2004年)の6月8日の本会議代表質問で述べたものだ。
 古賀は「ジェンダーフリー」を「革命思想」として忌み嫌い、その行政からの追放に執念を燃やす政治家だ。学校教育のなかでジェンダーフリーの考えがあるとつるしあげ、教育委員会にただちに排除するよう議会で堂々と要求する。また、性教育を障害児におこなった教師百人余を「処分」させる先頭にたった。
 最近では、インターセックス(いわゆる「ふたなり」)やトランスジェンダー(いわゆる「男装/女装」)を教えた民間人校長性教育を議会で激しく糾弾し、その追放を叫んだ。また、伊能忠敬の妻の「内助の功」について議会でとうとうとぶちあげ、「美しい日本女性」を大声でわめくのである。
 この男は行政が西暦を使うと「住宅局長、あなたはキリスト教徒か」といってかみつき、はては警察の楯に「POLICE」と横文字で書いてあることまで是正を求めている。
 ただの名物議員かと思いきや、同僚の自民党議員からも「格調高い質問」ともちあげられ、代表質問を実にしばしばおこなっている、東京の自民党の代表格の一人である。


風光る (1)  古賀がのべている日野を訪れる「若い女性」のなかには、古賀がいうような大河ドラマを見てきた人だけではないだろう。ロングセラー漫画『風光る』(渡辺多恵子)のファンだという人も少なくないのではないかと、ぼくは推察する(※1)。

 『風光る』は新撰組を扱った作品で、現在16巻まで出ている長寿作品である。小学館漫画賞を受賞しており、多くの女性ファンがこれを支えているのが見て取れる。その影響力からいって、日野市を訪れる「若い女性」の中には、大河ドラマ視聴者のみならず、『風光る』ファンがいるだろうことは想像に難くない。

 この作品は、隊士のひとり、神谷清三郎が実は女性という設定で、沖田総司に密かに恋心をいだいている物語である。はっきりとこれは「トランスジェンダー」を題材にしており、物語の中には同性愛やインターセックスも登場する。

 古賀が読めば卒倒するであろう。


 古賀は新撰組といえば、「男のなかの男」「男らしい男」しか出てこない物語だと思っているらしい。しかし、つかこうへい『幕末純情伝』をもちだすまでもなく(沖田が女という設定)、新撰組を「ボーイズラブ」の題材として扱ったり、さまざまな性のありようの舞台として使うという手法は、女性同人誌系の漫画ではそう珍しいことではない。一般的に、新撰組に「若い女性ファン」がいるのは(香取慎吾の分をさしひいたとしても)、このようなサブカル世界での扱われ方、まさに「男は男らしく」「女は女らしく」という日常の性を越境したところに成立する世界によるところが大きい。

 『風光る』もそうした「男らしさ」「女らしさ」の常識枠を、いったん解体させたところに成立した漫画である。
 

 たしかにぼくらは『風光る』のなかに「男らしさ」「武士らしさ」のダンディズムを見る。作品の中では、しばしば「武士」に「おとこ」とカナがふられている。そのストイックな仕事ぶりをぼくらは楽しんでみている。
 しかし、それは活劇として、虚構として眺めているのである。『風光る』のなかで新撰組の「男らしさ」をいわば劇場にすわっている観客として楽しんでいるのだ。
 ぼくらが〈リアル〉を感じる表情は、そこではない。
 ネットで『風光る』の感想をひろうと、「あたたかさ」「人間味」がひとつのキーワードになっているように、この作品の魅力は、そうした「男らしさ」「武士らしさ」という公的な仮面がはずれて、その下に「人間らしさ」が現れる瞬間なのである。とくに「性愛」がかかわるまさにそのとき、社会がかぶせた意識の鎧がぬげる

 たとえば、最新刊16巻をみてみよう。
 隊士のひとり、斎藤一は、神谷の“女”がどうしても頭から離れず、夜ごとうなされる。生真面目な隊士だけに、しばしば夜中におきあがってその熱をさますために頭から冷水を浴びるほどである。
 その斎藤が蔭間(男娼)の雪弥にキスされる瞬間、あるいは抱かれる瞬間、神谷の“女”を思い出して上気してしまうのである。
 あるいは清三郎の父親のエピソードもそうである。
 ふだんは、仕事の鬼として、住民に奉仕する医者としての仕事をまっとうするが、実は心中は妻子への愛でいっぱいなのだ。
 そこにむしろジェンダーや公的な仮面に疲れた現代のぼくたちを見ることは、そんなに大きな飛躍ではない。
 沖田が妻をめとらず「武士」に生きるダンディズムもまた悲壮で、「活劇のなかの美学」として眺めていられるが、だれもその生き方を自分で貫こうとは思うまい。だからこそ、神谷との愛を、読者一同じれったく待っているのである。

 すなわち多くのエピソードが、「男らしさ」「女らしさ」あるいは「武士らしさ」というものを、いったんうちこわしている物語であるといえる。その拘束から解放されたときに、「人間らしさ」や「あたたかみ」がこの物語からは、たちのぼってくる。

 ぼくは、清三郎が顔を崩した瞬間の絵柄がかわいくてたまらない。
 この作家は、清三郎に限らず、顔を崩したときが実にかわいく描けている。「武装」が解除された瞬間の表情をとらえることがとても上手い作家なのだ。


 いまのべたように、『風光る』は主にトランスジェンダーという素材を使った作品といえるのであるが、世の中にある女性同人誌系の漫画は、トランスジェンダーに限らず、さまざまな性愛を様式として使用する。
 トランスジェンダーやボーイズラブ――いわゆる「倒錯した性」だと世間でいわれることのある(実際はそうではない)世界を、女性が漫画世界の舞台にしたがるのは、なぜか。原因を単純に求めることは禁物であるが、少しだけそのことを考えてみたい。

 以下は、ボーイズラブ(男性同性愛もの)を描き続ける女性同人誌の作家たちにとったアンケートからの抜粋である(『COMIC美少年 小説ジュネ10月増刊』1997.10.5、マガジン・マガジン)。※2

「乳描いても嬉しくないとか……。私によって女性は現実そのものなのでつまらないのです」
「私にとって『異性』同士だから(女の子を描くのも好き)」
「男性同士というフィクションの場をかりて、重くなりがちの愛の形、孤独、欲望、その他の人間の劇場を書きやすくも読みやすくもなるからではないでしょうか」
「身近な日常の中でも、男同士なら女の私にとってそこだけファンタジーになるからではないでしょうか。対等な立場の上での支配や愛情。現実の男の子は、女にしたら『ワケワカラン』言動をとったりするのですが……、男キャラは、そう、そうなのよお!! とちゃんと感情移入できるのが魅力です」
「精神的外傷。女には出来ないことをさせられる
「男同士って、優位の差がないことじゃないでしょうか。エロいのに傷つかない恋愛」
「男女の間にはない余計な葛藤、もしくは余計なハードルがあるトコロに魅力」
「“イケナイことをやっている”感覚」

 また、心理学者の白井利明は『大人へのなりかた』のなかで、ある女性同人作家にインタビューを試み、次のような回答を得ている。
「先日、友人と盛り上がってしまって、女の子のロリータHを描いてみた。そっちの方がずっとストレートに性欲が表現できた。私自身が男性の感覚よりも女性の方がよくわかるからだろう。このとき、性が傷つくという感覚はなかった。……同人誌では、押さえつけられてたことを出している。幸せラブラブが多い」

 白井は、さっきの『ジュネ』のアンケートとあわせ、「やおい」の魅力について、次のような特徴づけをおこなう。
「第一に、関心事としての異性、理想の男性を描ける。第二に、男性の行動の情報は多いが、わからない部分が残るので、空想の余地がある。第三に、男性同士の恋愛には、異性関係にある出産などの生々しい現実がない。第四に、対等な関係における愛や支配、競争を描ける。第五に、タブーをとりあげることで、リアリティーと深まりが与えられる。第六に、自分の性ではないので、自分の性にはできない攻撃性などをぶつけられる」

 精神科医・斎藤環も白井も共通して指摘しているように、彼女たちの現実の性行動や性嗜好は、同性愛やトランスジェンダーとは重ならないことがほとんどである(この本全体で書いてある白井の分析や発言は、斎藤の発言に重なる点が多くてなかなか興味深いのだが、それはとりあえず今日はおいておこう)。

 ここから見えてくるのは、女性が、社会行動の場でも、あるいは性行動の場でも、性別の役割分業や固定観念、すなわちジェンダーにとりまかれ、息苦しさを感じている様子である。
 そのことを相対化し、まるで箱庭療法のように、性を越境したり、自由にとりかえてみることを虚構でおこなうことによって、自らを癒していくのである。
 白井はこうまとめている。「……それは『大いなるものから愛されたい』『自立したい』『女性であることを受け入れたい』を両立させるという、少女が大人になるうえで、直面する葛藤である。それは、少女期をすぎても、対人関係における愛と悪の苦しみ(愛されたいが、自分が傷ついたり相手を傷つけたりもしたくない)としてあらわれる。『やおい』は、少女期を過ぎた彼女たちが、内なる少女期と折り合いをつけようとする試みのように思える」。

 古賀にはそれがわからない。

 古賀は、女性たちのなかでどんな葛藤が起きているのかを見ようとしない。
 まずイデオロギーありき、である。
 その発想は抜き難い。
 古賀は実に熱心に「国旗・国歌」の掲揚と斉唱を教育現場に強制し、拒否する教師を処分させ、なおかつ、「将軍様、もとい天皇ヘーカの世の中が末永く続きますように」という歌を歌えないという教師を“思想矯正”させる「研修」をやらせようとする。もはや北朝鮮まであと一歩である。
 古賀がそんなことに「教育的情熱」を燃やしているあいだに、子どもたちの間におきている矛盾は深刻に広がっていく。子どもたちの実態を見てそこから解決の方策をさぐらないから、しぜん、上からのイデオロギー強制だけがこの男の関心事となるのだ。

 古賀にはまず、『風光る』を虚心に読んでみてほしい。






※1 日野市議会の議事録を読んでいたら公明党市議(馬場賢司)の一般質問に次のようなものがあった。「今回の事業によって、新選組のふるさと日野市を引き続き定着できるような体制づくりを視野に入れながら進めていただきたいと思います。……京都東山で、坂本竜馬など幕末維新関係の資料を展示している霊山歴史館では、減り続けてきた入館者数が、ことし初めから増加に転じたということであります。現在は、月、約4,300 人と、1年前に比べて約1,000 人ふえているそうであります。また、来館者の従来は、五、六十代の男性が中心であったのが、最近は若いカップルが多いとのことです。幕末ブームの中で、今、10代、20代のファンがふえております。これは、特に少年、少女コミックスの影響が強いということで、小学館の月間(ママ)フラワーズに連載中の『風光る』は、かわいい新選組隊士が活躍する少女漫画で、単行本も150 万部を超え、かなりの人気があるということであります」(2002年12月6日 第4回定例会)

参考文献:白井利明『大人へのなりかた 青年心理学の視点から』(新日本出版社)
※2ジュネのアンケートも本書から孫引きさせてもらいました。

小学館 フラワーコミックス1〜16巻(以後続刊)
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2004.8.4感想記
2005.12.1追加
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