おちまさと『企画火山!』



 職場の会議とか、サヨ仲間のあつまりとかで、会議がつまらないと、ノートに落書きをしてしまう。いや、つまらなくない会議でも落書きをする。
 だから、年甲斐もなく、ぼくのノートをみると落書きだらけである。
 つれあいなどは、「みせてみせて」と定期的に見て、うれしそうに呆れている。

 ちょっと前は「手」を描くのに凝っていたのだが、最近は「サル」を描くのに凝っている。しかも、まったく意味のないセリフとかをつけると、物語の一場面を切り取ったような奇妙なキャラクター性が発生し、前後の物語をつけたい衝動に駆られ、おもわず会議そっちのけで続きの絵とセリフを描いてしまう。
 最近の「収穫」は右のとおりである。

 1コマ目のサルの顔を描いて、タバコをもたせたら、妙にほっこりしてしまい、最初のセリフとなった。2コマ目をつくったら暴走してしまったのである。

 ぼくの同僚でも落書きが好きなやつがいて、つまらない報告がつづいている会議なのに、いやに熱心に報告者をみてノートにペンを走らせているなと思ってそいつを見ていたら、体をよじるようにしてもう夢中である。どうみても報告をメモっているというノリではないな、といぶかしく思い、会議後「お前何やっていたの」とノートをみると、報告者の似顔絵を必死で描いていた。「似てるだろ? な? な?」。大馬鹿である。すごくよく似てたけど。

 会議を面白くしたい、というのは万人の願いである。

 本書は企画をする人間のための方法論で、『企画の教科書』の続編だ。その中には会議改革についてもふれられている。しかし、書名からしてふざけていて、しかも挿絵が五月女ケイ子なので、およそまともな教科書のようには見えない。中をみても、ガンガンにフォントいじりがしてあり、一瞬お笑いの本かとさえ思える。
 しかし、発行元がNHK出版であることで、正気をとりもどす。
 内容を読んでいっても、企画のためのれっきとした方法論である。

 本書の中心思想は、企画とはひねりだしたりつくったりするものではなく、「勝手に湧き出すモノ」ということ、これである。筆者・おちまさとは、これを火山にたとえ、(1)マグマとして蓄積させること、(2)噴火までをスムーズにみちびくこと、を順に説いていく。

おちまさとプロデュース企画の教科書2 企画火山! (1)がアイデアの取材や蓄積についての方法論で、(2)が案へのまとめ方やプレゼンなどをふくめた、広い意味での「会議」論になっている。

 (1)で一番そうだと思えるのは、最初に出てくるテーゼ、「人と強制的に会う」である。
 
「企画が湧き出る『きっかけ』をつかめるのは、なんといっても、人と会っているときです。文字通り対面して、その相手との会話に集中する状況があなたを刺激します。
 その人が使った言葉、その人に伝えようとしてあなたが選んだ言葉、それらがキーワードとなって、
忘れていた何かを揺り動かして
くれるのです。……中略……

 『思い出す』より少しだけ小さな、気を抜くと取り逃がしてしまうかもしれないくらいの『揺らぎ』です。
 気の利いた友人と会話をしていて『そうそう、痩せたドラドラ塚地! その例え、まさにピッタリ!』と、思わず膝を打った瞬間に、何かが揺り動くのです」

 これは、相手からの刺激という要素だけでなく、自分の漠然としていた感覚を、話すことで先鋭にまとめるという効果をも指している。
 おちの方法論がユニークなのは、その会う機会を強制的に設定しろというところまで言っていることだ。
 これはたしかにひどく納得する。
 とくにぼくの場合、同じサヨ仲間でもいいけど、むしろ違う政治スタンスの連中と政治の話をしているときにいろんなことがインスパイアされる。むこうからの刺激の角度もまったく違うし、自分も相手に説明しようとして少しだけ自分を客観視するからであろう。

 本当はこれは本を読むことでも代えることができる。読書を作者との「対話」だと考える姿勢があればそうなる。しかし、読書をたんなる情報のインプットだけだと思ってしまうと、撹拌作用がなくなるので、こういう効果は得られないだろう。

 (2)で面白かったのは「会議で勝つ究極の姿『普通』」という章だった。

 「会議において、どんな姿でいるのがベストなのでしょうか?」と筆者は問いかけ、お利口そうとかそういう姿を見せる必要はなく、「家にいる姿」のようにせよと指示する。

 サヨのリーダーが小さな地域のあつまりで政治報告をしたりするけど、政治的な遺漏をなくそうと、ガチガチな言葉で固められてしまっていることがある。どこからもツッコまれないよう全面的だけど、のっぺりしすぎていて感性に訴えない(すぐれた人だと、全面的なのに、その中の一面が特化していて、聞く人に訴求するのだが)。
 そういう政治報告のあと、会議が休憩になって、突然雑談がはじまると、みんなの目や言葉が急にイキイキしだすというのはよくあることである。しかも必ずしも、会議テーマと全然関係のない話をしているのではなく、うっすらと関係することや、あるいはズバリそのことにかかわる話をしていて、報告でふれたことなんてそっちのけで、口角泡をとばししゃべっている人がいる。

「さらに『普通』を掘り下げてみましょう。
 普通とはビジネスシーンにあまり必要のない状態のようなイメージがあります。しかし『ビジネスなんだから不要だよね』と無意識に切り捨てた事柄の中にこそ、大事なモノが隠されているのです。
 それが『雑談』です」

「雑談は、あなたを普通にするだけではなく、次の企画(きっと違うクライアントに対するモノになると思いますが)のネタが隠されている宝庫としても使えます。
 よく自分のことをクールで有能なビジネスマンだと勘違いしている人が『ま、関係ない話はオシマイにして本題ですが』とか言ってしまいがちですが、関係ないことはないんです。それは、関係を自ら捨ててしまっているのです」

 コミュニストのなかでもこのことをよく心得ている人は、会議などでは吠えない。むしろ雑談中にアジったりする。雑談こそ主戦場と心得て。けっきょく、つまらんホーコクの会議の中身などは忘れても、「そうそう、あのとき山田さんがバカな例え話でいってたけど、あのことが大事だよね」とかいうふうに残るのである。

「気の利いたことは言おうとせずに、そのときの自分の意見を普通に述べてしまいましょう。あるいは、妙案がなければ『今はないですねぇ。んー、もうちょっと話してみてもらえますか?』とか、『今、イイ感じで出てきそうなんで、少し待ってみてください』とか、ナチュラルに切り返してみましょう」

 ぼくは、シゴトでも、この「気の利いたこと」と「ナチュラル」の間で揺れてしまう。仕事の会議でも、相手のいうことをじっと聞いていて、自分にも発言する機会がめぐってくるが、「気の利いたこと」をいおうとした瞬間に敗北する。
 ナチュラルかつ短く平易な言葉がだいたいは勝利する。


 本書には「お気に入りの服で会議を乗り切る」なんていうアドバイスまで出てくるが、これはリラックス=普通・平常心を条件づけよ、ということであろう。

 あと、「奇をてらうな」という章がある。これは企画において、難しいが本質的な問題である。おちは、「天才の仕事は、一見、オーソドックスなのに奇抜な部分が含まれています」「(奇抜なだけな企画は)背骨がなく、短命」とのべる。これは正しい。

 これは、真の飛躍というものが、これまでの蓄積の上におきるという、事物のありようをよく示している。人間の思想史においてさえ、「とっぴ」な思想が突然うまれるというわけではなく、それまでの思想のエキスを吸い切ったからこそ、とてつもない跳躍ができる。

 他にも、企画をするうえではヒントになるというか、ここに書かれたテーゼをもとに、自分を見つめ直して賛同するもよし、反発するもよし、いずれにせよいろんな意味で自分と筆者との対話をしやすい本である。左翼の本もかくあるべし。

 最後に、「会議クラッシャー」について。
 本書では、会議において「倍返し」を提唱する。相手が投げたボールを、より膨らましたり掘り下げたアイデアとして返すということである。

 これにたいし、会議クラッシャーは、すでに出た発言を「単に要約したり輪郭をなぞるような発言をしてしまいます」。「オウムがまねるように、同じ言葉でわざわざ発言をします。『今提出された意見を支持してます、ボク』『ワタシはきちんと内容を理解しているんです』 この手の発言は、そういうアピールでしかないのです」と筆者は言う。

 たしかに、これは「不要」である。
 ぼくも、「いったいこの人はなぜこんなさっきの人と同じ趣旨のことをえんえん話しているのだろう」などと思うことがある。
 「倍返し」でぽんぽんすすんでいったら、さぞ効率的であろう。

 しかし、おち自身がのべているように、雑談のような要素、普段着的な言葉で「あ、いまの発言いいね」ということをみんなで確認するということは非常に重要なことである。この作用があって、はじめて「みんなで話し合ったことのなかで何が大事なことだということで一致したか」ということが確認できるからだ。これを切り取った会議というのは「理想」かもしれないが、非常に痩せ細った会議にしかならない。

 だから、仮に企画ということに問題をしぼるにせよ、こうした「オウム返し」をあまり忌諱すべきではないとぼくは思う。

 もっとも、こういう「同意→確認→意識強化」という流れは、参加者が「そうだそうだ」と言い合うことで会議に熱気をおびさせるが、一歩間違うと会議参加者が全員トランス状態になり、誰もとめるものがなく、会議の熱にうかされたようなムードのままとんでもない結論に達し、みな上気したまま会議を終え、「深夜に書いたラブレター状態」になることがある。一方向に狂ったように走って海に落ちるネズミの大群だ。

 ぼくが会議を休んだあと、他日、出てきた案を見て、とんでもないものになっていたことがある。そのあたりは気をつけたいものである。





おちまさとプロデュース 企画の教科書2
企画火山!
日本放送出版協会
2005.12.26感想記
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