木尾士目『げんしけん』



 きょう本屋をまわって、平積みされていたうち、その変貌ぶりに目を見張った漫画家が二人。
 一人は、小田扉。『マル被 警察24時』。かなりわかりやすいギャグ漫画になっていた。

 もう一人は、この木尾士目。もともと一昔前の大学や高校の漫研そのままの荒削りの絵柄だったのに、そうだなあ、窪之内英策あたりを15%、江川達也5%くらいブレンドし、「洗練」したものに大きく変貌していた。私は「アフタヌーン」誌そのものを読んでいないので、とにかくびっくりした。

 木尾士目は、「ビデオ盗み撮り」の世界である。
 たとえば安野モヨコの『ハッピー・マニア』は、笑いを武器にして、恋愛というものを客観視し、批判する。
 これにたいして、木尾士目は、まったく別の方法で客観力を獲得しようとする。

 『四年生』『五年生』をみるとわかるが、まるで、部屋の隅でビデオをまわし、それをそのまま起こして作品として提示しているような感覚をうける。
 ベッドでの会話、飲み屋や友人の家での会話を、そのまま載せる。よく、飲んだとき私たちはしばしば意味のないコトバや思考の絡み合いを体験する。あるいは回りくどい絡み方をされる。醒めた時にはあまり意味のないコトバのやり取りだったりする。そういうものを、なにも引かずに作品にしてしまうのだ。

 だから、出来上がった作品は「死ぬほど恥ずかしい」ものになる。
 下手だから恥ずかしいという意味ではなく、シラフに戻った時とか、おおやけの場(友人の前など)とかでは「あれ、ナシね」といいたくなるようなことが、切り捨てられずにぜんぶオモテに出されるのだ。たとえばベッドでの会話を作品にするときでも、ふつうの作家は、そこから筋に意味のあるところだけを抜き出して、しかも、それを多少洗練されたコトバややり取りにして提示するのだが、木尾士目の漫画にはそういう作業をすっとばして、材料をナマのままごろりと転がしてあるようなリアルさがあった。

 友人の彼女に誘惑されるシーンでは、主人公本人は「いかんいかん」とか「それ、そういうテでしょ」とか、プライドや相手の戦略を見通しているような思考やコトバを使うのだけど、どんどん相手の術中にハマっていって、ついに落ちてしまう。その衒いとか、カッコつけとか、自己演出とか、マヌケぶりがなんとも恥ずかしく、「あちゃー」と思いながら読んでしまう。
 ただ、それが万人にとって快楽ではないだろう。人によってはこういうのを露悪趣味とか、露出狂のように思う人もいるだろう。

 ちなみに、私は、この木尾士目とこいずみまりの漫画で、女性がベッドで「ねえ、ギュッとして」という要求をすることが普遍的なものであることを知った。どうでもいいことだけど。

 この手法は、そのまま『げんしけん』にもちこまれている。
 大学のアニメや漫画、フィギアといったものを研究する、というか堪能するサークルが「現代視覚文化研究会」、「げんしけん」で、新入生がその種のサークルに入りたいけど入れないという羞恥を描くところから物語がはじまる。この「げんしけん」が物語の舞台である。

(以下、一部ネタバレあり。ご了承の上、お読み下さい)

 新入生の一人、笹原完士が、「げんしけん」の例会をたずね、一人っきりにされる。笹原は、「エッチ」な同人誌やフィギアを求めてつい部屋を探してしまうのだが、実は、その一部始終は、他の部員たちに観察されているというエピソードが冒頭にある。まさに「ビデオ盗み撮り」の世界。

 「くじびきアンバランス」という架空のアニメを設定し、アニメへの「萌え」ぶりを語り合うさまをそのまま漫画にしているたり(私にはさっぱりわからんが)、笹原が恥ずかしがりながら同人誌を買って、その意識を事細かにあげつらっているのも、まったく同じ。
 
 「見たくない、見せたくない」という恥ずかしい行動や意識をそのまますくいあげて提示するという手法は、ここでいっそう開花している。

 「アフタヌーン」は、商業漫画のなかでは、一つの極北をしめしている。そして、アニメや漫画の「オタク」がその購買層をになっているが、大半はその予備軍、ヌルい領域にいるようなタイプの読者が多かろうと思う。つまりこの作品の主人公の、笹原とか「げんしけん」メンバーのような。
 この本の後半に出てくる、江川達也マンガふうの「大野加奈子」というキャラは、まさにそういう読者層をねらった「萌えキャラ」だろうが。
 しかし、さっき述べたように、そういう階層の行動や意識を、ビデオテープにとって垂れ流すように客観視させる行為は、一種の挑戦・挑発でもある。
 「げんしけん」と対立する「漫研」の会員が、「げんしけん」メンバーを批判し、「集まっているのも半端な奴ばっかだよな」といって、「ラクガキだけで原稿にしないし」「軍事オタクっぽい口振だけど実はたただのジオン軍かぶれで知識なんか無えし」などと罵る姿は、読者層への挑発そのものではなかろうか。

 こういう客観性の提示という方法もアリなのかと思う。

 いやな人にはたまらなくイヤなんだろうけど。

(講談社 アフタヌーンKC)
げんしけん (1)アフタヌーンKC (1144)



※ 『げんしけん』3巻の短評はこちら  
※ 『げんしけん』4巻の短評はこちら  

採点70点/100
年配者でも楽しめる度★☆☆☆☆

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