近藤孝弘『国際歴史教科書対話』




国際歴史教科書対話―ヨーロッパにおける「過去」の再編 本書は、ドイツと他国の歴史認識共有が決して平坦な道ではなかったことを教え、昨今日本で跋扈する「つくる会」教科書への批判の批判の批判(!)の視角を提供してくれる。ま、筆者はそんなふうに言われるのは少し迷惑なのだろうが。あまり有名でないのが不思議な本である。

 本書の全5章のうち、1〜3章まではドイツとフランス、ドイツとポーランドの間でおこなわれた歴史教科書をめぐる国際的な対話の経験が書かれている。

 すでに歴史教科書を自国一国の狭い枠組みから解放し相互理解の契機にしようという運動や声は19世紀から存在していたと近藤はのべる。二度の大戦がその動きを押しつぶしてしまうなか、このとりくみが本格的に実を結ぶのは二次大戦後のドイツであるという。


ドイツとフランスとの対話

 西ドイツ最初の首相・アデナウアーは、反共主義者であった。しかしそれゆえに、西側の結束を重視し、フランスとの和解に力をそそいだ。「単なるナショナリストではなかった」(p.33)。
 第二次大戦直後の独仏関係の難しさ、その国民感情について、ある人はこういっている。

「フランスとドイツは歴史的に宿敵同士で、パリは一八七〇年、一九一四年、一九三九年と、過去七十年ほどの間に三回もドイツ軍に占領された。人口がフランスよりも多く、勤勉で規律を守り、工業技術水準が高いドイツは、フランスにとって最大の脅威であった」(福島清彦『ヨーロッパ型資本主義』)

 その独仏が教科書で歴史対話を始め、一定の成功をおさめたこと自体が、この対話の可能性を感じさせるものである。


幾重にも障害があったポーランドとの対話

 興味深いのは2、3章で、これはポーランドとの間の教科書対話である。

 すでにソ連型社会として東側に組み込まれていたポーランドとの対話は、遅れに遅れた。西ドイツで社民党政権(ブラント政権)ができた70年代にようやく出発点につくのである。

 ポーランドとドイツの間には、第二次大戦でドイツがポーランドを占領し、ワルシャワ蜂起の弾圧やユダヤ人迫害をしたという歴史だけでなく、それ以前にもプロイセンがポーランド分割に加わり国を消滅させることに加担したという歴史がある。「東プロイセン」とよばれる地域が長らくドイツ人の植民に使われてきた。

 問題をさらに複雑にしているのは、二次大戦末期に、敗退するドイツ軍とともに、ポーランドにいたドイツ人が強制的に移住させられ、その過程で凄惨な暴力や大量の死者が出ているという問題である。それにからんで、ポツダム会議でオーダー・ナイセ川を国境線にするという暫定とりきめが行われ、この川以東の旧ドイツ領はポーランドの領土となった。
 この「追放」と領土問題が、ドイツでは保守ナショナリストや旧住民の憤激をよんでいた。

 そこへきて、東西冷戦の対立があったから、いかに対話の条件などない厳しいところから出発しなければならなかったかがわかるであろう。

 よく教科書をめぐる国際的対話についてドイツの例をひくと「あちらは文化が同じだから」と判で押したような、しかも無意味と思えるような「反論」に出会うことがあるが、そもそも独ポ間は民族が違う上に、複雑きわまる政治・歴史問題がからんだところから出発していたという事実を直視しなければならない。

 対話の契機は、ブラントがワルシャワ条約をむすんでオーダー・ナイセ線を国境として確定したことである(1970年)。こうして歴史教科書対話がはじまり、26項目にわたる「ドイツ・ポーランド勧告」ができたのである(1972年)。

 2章にはこの勧告の中身がていねいに紹介されているが、ドイツ・ポーランド間の細かい歴史事情もからんでくるので、興味がわかない人などはとばしてもいいだろう。


「民族的マゾヒスト」という対話への罵倒

 3章はその勧告への反響なのであるが、これがすさまじい。
 保守派から総攻撃にあうのである。
 そもそもブラントがワルシャワ条約でオーダー・ナイセ国境線を確定したこと自体が、激しい非難を呼び起こした。「一九七〇年の時点では、ブラントによる大きな一歩は、連邦議会で初めて野党となったキリスト教民主同盟・社会同盟の激しい反発を招いた。彼らによれば、この条約では、社会主義者のブラントが共産主義者と手を組んでドイツの国益を侵害したことになる」(p.57〜58)。(近藤は、この決定が契機となり、交流が増加し、それが東側の体制変容をもたらしたではないかと批判している。)
 勧告にたいしてはさらに激烈な批判がくわえられる。

 「パン・スラヴ主義アジテーションの共犯」「民族的マゾヒスト」などの非難がドイツの右派ジャーナリズムからあびせられた。ポーランドから強制移住をさせられた住民の団体である「追放民同盟」の副委員長(フブカ)からも、強く非難された。

「彼によれば、共同教科書委員会による韓国は、ポーランドの共産主義的・民族主義的観点を強調するあまり歴史の真実を軽んじており、歴史学的観点からはもちろん政治的にも完全に誤っているというものだった。とりわけオーダー・ナイセ国境を承認する姿勢はドイツの憲法に明確に違反し、国際法の観点からも許容しがたいと彼は主張した。フブカを支持する人々からは、『そもそも共産主義者の歴史家とのあいだで、党や国家の利益に拘束されない自由で学問的な議論ができるのか?』という問いが投げかけられた」(p.109〜110)

 見てわかるとおり、ここには、現在日中韓の間で、日本の右派(またはそれに同調しているネットのぷちナショのみなさん)が浴びせている非難の言葉の多くが、顔を出している。

 このような泥沼の地点から問題は出発しており、それがどのように克服されていったかを本書を読んで味わってほしい。


「ヨーロッパ史」をつむぐことの危険性

 4〜5章は、二国間対話をこえて、「ヨーロッパ」という単位で共通の歴史認識を築けないかという問題に入っていく。

 この2つの章のうち、近藤の注意深さは第5章でうかがえるだろう。
 すなわち「ヨーロッパの歴史」を安易に編纂しようとする立場への警戒である。
 近藤は『ヨーロッパの歴史』という本をプロジェクトしたドルーシュの試みをとりあげ、これを批判する。ドルーシュは「ヨーロッパ」という「単一世界」の歴史を「創設」せんがために、そのなかに一本の筋を無理矢理とおそうとしてしまうのだ。

「序章中の一節『ヨーロッパの精神』には、古代ギリシアに起源を持つ民主主義とローマに由来する法治主義にキリスト教思想が統合されたことによって初めて、知識人のあいだいにヨーロッパ人という自覚が生まれたとあり、また、そこでは、民主主義の理念、法治主義に基づく公正の理念、平等の理念、個人的自由の理念が一つに融合しているとされている。しかし、執筆者は、当然のことながら、自分たちが考えるヨーロッパ史においてこれらの理念が一貫して実現してきたと考えているわけではない。今日ではヨーロッパを越えて普遍的な価値となったこれらの理念が、発祥の地とされるヨーロッパにおいて繰り返し否定されてきたことは、誰の目にも明らかである」(p.207〜208)

 近藤は、このような無理な歴史と伝統の「偽造」(とまでは近藤は言っていないが)が生じる原因の一つは「いまでは世界的に広く認識されるに到った様々な基本的な価値について、それらを自分たちの作品であると主張したいという欲求であろう」(p.209)と指摘する。

日本の学校教育で提供される日本史が、日本という国家を古代以来の連綿たる永続性イメージで飾ろうとする結果、今日の日本国・日本人概念にあてはまらない時代を延々と描くという矛盾をおかしているように、『ヨーロッパの歴史』も、『自らが生み出した普遍的価値』の起源を古代ギリシアにまで追い求めることにより、明確にすべきヨーロッパの概念をかえって曖昧にしてしまっているのである」(p.209)


 近藤がこうした批判をしているのは、これが国民国家の障壁のなかでお互いの独自性と共通性について「対話」しようとする試みとは異質のものだからである。
 ドルーシュの方法は、各国が国民国家創成にさいして閉鎖的な民族の物語を編んでしまったのと同じ愚を、「ヨーロッパという国民国家の創成」という形で大規模に再現しかねないのだ。


 近藤がこの本の冒頭に書いたバートランド・ラッセルの一文が、深くくいこむ。

「(子どもたちは)自分たちの国家が行なった戦争はことごとく防衛のための戦争で、外国が戦った戦争は侵略戦争なのだと思うように導かれる。予期に反して、自国が外国を征服するときは、文明を広めるために、福音の光をともすために、高い道徳や禁制やその他の同じような高貴なことを広めるためにそうしたのだと信じるように教育される」(『教育と社会体制』1932年)

 まるで「つくる会」教科書にむらがる右派の言説をそのまま予見しているような言葉ではないか。「日本は朝鮮のインフラをつくった」「自存自衛の戦争だった」「欧米の植民地支配からの解放だった」……云々。

 教科書をめぐる対話、ひいては歴史認識をめぐる対話は、侵略や植民地支配の問題だけではなく、国家単位で歴史が編まれてきたという近代の制約をのりこえる試みである。冒頭で近藤は次のようにのべている。

「教科書対話の本質は『過去の克服』にあると考えてよいであろうか? 言い換えれば、『過去』とは、歴史における侵略の過去だけであろうか? …中略… 問題は、必ずしも加害―被害の関係だけではなく、歴史が国家単位で編成されてきたという現状にあるのである」(まえがきより)


 しばしば、「つくる会」教科書批判にたいする「批判」として、「では中韓の教科書はどうか」といって、その“ひどさ”をあげつらうやり方を目にする。しかし、問題は、日本の教科書にたいして中韓の教科書を称揚するかどうかではなく、一国の歴史認識の限界を見つめられるかどうかということなのである。
 そのとき、対案になるのは、相手国の歴史認識なのではなく、「歴史認識の共有」なのだ。

 本書は、その共有がすでに歴史上実在した経験になってしまっているということをリアルな形で教え、それが侵略の過去の反省にとどまらず、歴史を国家の独占物にとどめようとする狭い近代の制約をのりこえる視座を与えるものである。




『国際歴史教科書対話 ヨーロッパにおける過去の再編』
近藤孝弘 中公新書
2005.8.10感想記
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