山川直人『口笛小曲集』



 ぼくの部屋には、分類不能な小物を入れる小さな段ボール箱がいくつかある。
 スナック菓子などが入っていたもので、それがむきだしだとあまりに殺風景になるからと、自分で既存の漫画を真似た、超ヘタクソな絵を描いてはりつけ、なぐさめとした(右写真参照)。
 いまから約10年前のことである。

 その模写した漫画が、山川直人の絵による『マンガ 法律の抜け穴 男と女のバトル編』(自由国民社、原作:小早川浩)だった。題名のごとく、民法にかんする知識を漫画で解説したシリーズもので、この本を手にしたのはまったく偶然だった。

 もちろん、山川直人なんてまったく知らない。

 ところが、絵や構成がやたらと抒情にあふれていて、解説漫画ではなかなかお目にかかれない不思議な気持ちをもってしまったのである。
 しかも、描かれている女性がどれもかわいい。健気さ、はかなさ、弱さがどこかしらに漂う、いわゆる「女の子」という要素を根底にもった女性像で、ぼくの中にある、ほの暗い女性への欲望の一部を刺激してくる。切り絵のような抒情を引きずるくせに、寝物語やピロウトークをしているシーンがあって、エロティックというより生々しいことを避けないのが印象に残った理由の一つだ。
 あと、「これなら自分でも描けそうだ」という描線、タッチだと思ったのである(とんでもない勘違いなのだが)。サインペンで描けそうな絵柄だと思ったわけだ。

 それでなぜだが、たくさん模写し、あるいは自己流にアレンジして、大量の「山川直人もどき」の絵を描いて段ボールに貼付けたのである。
 そして約10年のあいだ、ぼくは「山川もどき」の絵をみつめながら、山川が描き出すような薄暗い電球とボロい畳、空調もない暑くて寒い部屋で暮らしてきた。逆に言えば、10年間、「山川もどき」の絵がぼくを見つめてきた。

口笛小曲集  ところが、先日本屋を散策していて、この絵柄が平積みされているのに驚いた。それまで山川直人などという名前はまったく気にもしていなかったのだ。驚きのあまり買ってしまった。

 本書は同人誌、自費出版物、商業誌に載ったものをまとめた短編集で、西岸良平を思わせる画風である。しかし西岸が物語に起承転結をつけてわかりやすくしようとしているのにたいして、山川はもっと「スナップショット」的である。
 ぼくらの日常は「直線」のように「はじまり」もなく「終わり」もないものだが、その直線を「線分」のようにどこかで切り取ってみる。できるだけそのまま。そうすると、写真というものが日常を写しただけのはずなのに何かしらの意味をもってくるように、山川の物語はその「切り取り」によって、けれん味のない物語を紡ぐ。

 冒頭にある「モノクローム」という短編は、カメラのことなど何もしらなかった「彼女」にカメラを選び、簡単な操作を教え、彼女がそれに夢中になっていくうちに、あれよあれよという間に専門の世界へのめりこんでいってしまう話だ。
 次第しだいに二人の距離が広がり、理解できなくなった主人公は彼女に別れをつげ、やがて下宿でコンビニ弁当を食べながら、テレビのむこうに、ちょっとした「写真家」になった彼女をみかけるのである。ただこれだけの、正味14ページの小品で、筋や設定そのものはありふれたものである。

 思い出や懐古のような題材のはずなのに、1ミリのあいまいさも許さない、目にくいこむような描線が、二人の世界が離れていくという一点だけを、ぎりぎりと照準をあわせて浮き上がらせてくる。

 懐かしいことをきっぱり鮮やかに言われているような気がして、おかしな気持ちになるのだ。

 あるいは本当はまったく懐かしくないからだろうか。テレビのむこうに昔の彼女を見つけたときの主人公の部屋は、小さなテーブル、だらしなく壁のハンガーにかかった衣類の数々、畳の上におかれた電話や新聞、扇風機、コンビニ弁当、テレビのあかりで顔が明るくなる程度のほの暗さ――まるっきりぼくの部屋だ。部屋の設定にとどまらず、そこに描かれた感情や人間関係は、ぼくにとっては何ら過去のものではなく、いま現在のものである。

 懐かしいという演出をしているはずなのに、描かれている世界や感情は何もぼくにとって過去になっていない。そういうアンバランスが、この短編に奇妙な魅力を与えている。





エンターブレイン ビームコミックス
2005.8.5感想記
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