「学び」の一瞬をみごとにとらえきった映像

 羽田空港のゲートの前でまっているとモニタにコマーシャルが流れる。
 空港独自のものが多いが、テレビでながれているようなコマーシャルも流れる。

 「くもん」のCMが流れていたが、やっぱりひきつけられる。
 

 子どもの学ぶ喜びということが映像として伝わってくる。
 学ぶ喜び、というのは言葉を使ったり頭のなかを割って見ないと、可視化できないだろうと思っていた。
 山田洋次の映画「学校」がその最高の表現だとおもっているけど(ま、いまでもそう思っているが)、そこではやはり、言葉やドラマをからめることが必須条件だった。

 だが、「くもん」は、それを短い時間の映像だけでやってのけた。

 とくに、ずっと考えていた子がひらめいたように書きはじめるという映像は圧巻だ。

 以前、ある市を教育先進都市にするという選挙公約のチラシづくりにたずさわったことがあるが、このとき、著作権フリーのあるCD-ROM写真集を使った。子どもの写真ばかり集めたものであったが、「学び」にかんするものはほとんどなく、ランドセルをしょったものばかりで、およそ「学び」の喜びとは縁遠い、親の見栄みたいな写真を使うハメになってしまったのである。そのとき「くもん」のような写真があればいかばかりかと思う。

 自民党政権は、新学習指導要領の名のもとに「1割の子どもがわかればよい」とばかりに、「全員が基礎学力をつける」ということをおろそかにしてきた。これは支配層からでさえ危機感をよびおこし、基礎学力の習得はいまや党派をこえた叫びであり、何より親の側から強い呼び声となってわきおこっている。

 「くもん」はここをターゲットにすることを一貫して戦略をおき、前回も「私は今、何を勉強すればいいんですか?」と子どもが真剣なまなざしでといかける広告は大きな反響を呼び起こした。広告の出た1日だけで170本の電話があったという。
 かの社は、文部科学省のうたう「生きる力」をつぎの3つに解釈している。(1)高い基礎学力、(2)自ら学ぶ力、(3)自己肯定感、だ。実にきっぱりしていて、この方針だけみれば賛成しないわけにはいかない。

 2chではこのCMのスレッドがたっているが、「あのCMは宗教のようでキモい」というものばかりだった。おそらく、投稿したのは中高生などの層だろうが、高度な集中を味わったことのない不幸の自己暴露としか見えなかった。

 いや、別に、ぼくは「くもん」の回し者じゃないし、「くもん」にお世話になったことはないですが。