黒丸・夏原武『クロサギ』


※3巻までしか読んでいないという、超失礼な状態で感想を書いています。


クロサギ 6 (6)  蘊蓄漫画といわれるものは、構造的に一つの問題をかかえている。
 それは蘊蓄たる情報を持ちそれを送る側が、情報を受ける側にたいして圧倒的優位にたっているということである。そのために、膨大な情報が一方的に垂れ流される。「教える側」と「教えられる側」が生まれ、どんなに教える側を謙虚に描いても、高みにたっているような傲岸不遜な構図になってしまう。

 そのうえ、主人公がクールときていたらもういけない。
 なんかこう、あったかみのあるボケキャラみたいな人でも、いったん蘊蓄をかたり出すシーンになると、いやに整然と話し出したりして、その瞬間は、キャラが崩れて(ととのって?)いる。いわんや主人公がクールになると、もう鼻についてしょうがない。おまえ何様状態

 ちなみに、蘊蓄漫画に限らず、一般的にいって、描く側からすると「クールな主人公」というのは、描きやすいと思う。
 漫画家がわりと軽く「憑依」できるうえに、キャラも単相なので描きすすめやすい。
 蘊蓄漫画の場合は、その「描きやすさ」が極大化する。もともと先述のような構造を内包しているから、教えてやるという構図にクールなキャラは親和的である。
 作者が主人公に憑依して漫画を描いている場合、カッコいいことを言っているような気分に作者が酔いしれることができる。安いコストで。しかし、そのわりには、読者はなかなか共感がもてない、入り込めない。高みに立たれているからだ。
 書き手の手軽さと、受け手の受け入れにくさ――このギャップがあまりに激しいということが、蘊蓄漫画における「クールな主人公」、という存在のもつうらみなのだ。

 残念ながら本作『クロサギ』の主人公は、この危惧を地で行く。
 主人公の設定温度を下げ過ぎた。

 本作は「詐欺サスペンス」と銘打たれている。
 オビには定番の作品要約が毎巻ついているので、そのまま引用しよう。

「世に詐欺師、3種あり。人を騙し金銭を毟り取る白詐欺(シロサギ)、異性の心と体を弄ぶ赤鷺(アカサギ)、そして、人は喰らわず、白鷺と赤鷺のみを喰らう史上最凶の詐欺師――黒鷺(クロサギ)。父親が詐欺師に嵌められて起した無理心中で唯一生き残った黒崎は、この世の白鷺を食い尽くすため、家族を破滅させた詐欺の計画を立てた張本人であるフィクサーと呼ばれる男から情報を買う、黒鷺となった」

 なるほど、主人公の黒崎は、ただクールなだけではない。
 自分の家族を心中においこんだ、いわば“敵”のふところのなかで活動をするという矛盾をかかえる。ごくわずかな利害の一致だけで契約をかわしあうという「スリリング」だとされているドライな人間関係の設定(ここでも「万人の万人に対する闘争」という説教だ!)に主人公をおく。また、ときには詐欺を見破られて窮地に追い込まれたりもする。
 そうやって、書き手は主人公のクロサギ・黒崎の人物および物語に複雑な陰影をつけようとしている。

 だが、ダメだ。
 どうにも黒崎がクールすぎる

 黒崎に、というよりも、黒崎をメガフォンにしている作者たちに、高みから説教もしくは教えられているような屈辱感をぼくは味わう。
 たとえば1巻第3話「美容品詐欺」で、詐欺に遭った女子大生の友人にたいして、法学部生の吉川氷柱(つらら)は「生活センターや弁護士さんに相談すれば、たぶんきっと――」といいかけて、黒崎に後ろから声をかけられる。

「ムダだよ。そんなことしたって――
 あいつら、最初(ハナ)からマトモに商売やる気なんかないんだぜ」
「だ…誰?」
「どういうこと?」

 壁にもたれ薄笑いを浮かべつつ、口にロリポップをくわえたまま、黒崎はクールに言い放つ。
 「壁にもたれる」「薄笑い」「口にひょうきんな記号としてのロリポップ」というベタさが、もうイヤ。それに驚いている女子大生たちという存在に、「ほうら驚きなさいよ」といわれているような自分がかぶってしまってもっとイヤ。

 1巻の1話の終わりで、黒詐欺を働く過程で黒崎が莫大な預金をもっていることを依頼人の女性が知り、「一体このコ―― どういう人間なの!?」と心の叫びを叫ぶところも、ぼくは嫌悪感をもった。「はい、それではここで謎めいた人物であることに驚いてください」と作者から命令されているようで。

 こうした主人公の描きかたのまずさは、たとえば『ナニワ金融道』と比較するときわだつ。
 『ナニ金』ではマチ金について何も知らない主人公・灰原を設定する。もうこれでかなり読者と同じ目線で入っていける。灰原は普通の人間だったのに、次第しだいにマチ金の論理を身につける中でそれを捨てていく。しかしそこに過剰な味付けはいっさいない。読者は灰原とともにマチ金の非情さを一つひとつ身につけていける。


 詐欺に騙された人間が、直後に別の詐欺師(クロサギ)をすぐ信用して仕事を依頼するというパターンも、蘊蓄漫画としてのリアリティを大きく損ねている。(ただし第1話の被害女性だけは、自殺する気だったので、死ぬよりはダメもとで賭けてみようか、という気持ちになるのは自然だといえるが)
 『ドラゴン桜』のように、そういうドラマとしてのリアリティなどはもうどうでもよくて(すぐに生徒が変化・成長するなど)、ひたすら受験テクニックや教育論を読むのが楽しいという漫画であることを割り切るというテもあるが、先ほどのべたように『クロサギ』は、複雑な設定(親の仇のフトコロに飛び込んで詐欺活動をする、対照となる検事志望の法学部生を配置する、など)をしかけすぎて、ドラマとしてもマジで勝負しようとしているために、その部分での欠陥が気になって仕方がない。
 コミックの巻末に詐欺ケースごとの解説を付しているが、もう詐欺の手口だけをケースごとに解説するだけの漫画にしたほうが、よほど気持ちよく読めたと思う。

 とくに検事志望の法学部生・吉川は、ぼくのこの作品へのイラだちの一源泉となっている。
 吉川の友人が詐欺に遭い、それを黒崎に依頼することで「解決」してしまったので、法による正義の実現をめざす吉川は複雑な思いを抱く。そのエピソードの終わりに吉川は、ページ全体を使ってこういう疑問をいだいておわる。

「自分の顔を傷つけてまで、
 詐欺師に対して詐欺をはたらくヤツ…か。

 詐欺師って……
 一体なんなんだろう――」

 先ほど述べたように作者の「はい、ここで複雑な構図に思いをいたしてください」と命令されているような前半のセリフ(「詐欺師に対して詐欺をはたらくヤツ…か」)もぼくの神経を逆撫でするのだが、それ以上に後半の「詐欺師って……一体なんなんだろう――」って一体なんなんだろう? 意味不明の自問である。「詐欺師に対して詐欺をはたらく」という奇妙な存在に奇妙な思いをいだくまではわかるのだが、そこからどうして「詐欺師って……一体なんなんだろう――」という問いが出てくるのかさっぱりわからない。詐欺師は詐欺師じゃねーか。詐欺の手口だけを無邪気に紹介するのは、やはりヤヴァイという編集部的事情以外にはこのセリフのもつ意味がわからんのである。

 加えて、吉川だけでなく、ここに出てくる女性の描き方も、少年漫画の「添え物的女性」の伝統が息づいてしまっていて、とぉってもイヤなんですぅ。

 もしこの漫画が最小限の軌道修正をはかるとすれば、ワンエピソードをもっと長く、十分に描くことだ。詐欺にどのような心理のなかでひっかかっていくかということを、もっと丁寧にえがけば、ドラマとしてのリアリティは多少回復できるかもしれない。そして、詐欺にあった被害者が、すぐまたクロサギに「ひっかかる」のも、けっきょくクロサギは詐欺にひっかかる人間の騙されやすさにつけこんでいるのだ、という血も涙もない設定にすれば、いいんじゃないかと思う。
 その道がいやなら、あとは『ドラゴン桜』コースである。ドラマのリアリティなどは完全に放棄し、「詐欺の手口」だけを垂れ流すように披露する「絵解き漫画」になることだ。

 漫画家は、主人公をクールに設定することの安易さ、危険性をよく理解すべきである。などとクールに説教してみる。



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黒丸 原案:夏原武
小学館 ヤングサンデーコミックス
1〜6巻(以後続刊)
2005.8.9感想記
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