| 新井葉月『薬屋りかちゃん』 自分のために食うものや使うものを生産しているだけだった封建時代には、「自分がこの世にいる理由」とか考えなかっただろーなーとしみじみ。 ウラを返せば、他人のための生産である商品生産が最高度に発達したこの資本主義という社会では、ぼくらはいつも「他の誰かを喜ばせる」ために働いている。それでお金が稼げるんだ。なんて素敵なことじゃないか! 「みんながよろこんでくれて、ぼくはもうかって、こんないいことあるかしら」(by のび太)。 薬剤師の職業的喜びとは さて、じゃあ薬剤師というのは、一体どんな社会的=職業的喜びをもっているものであろうか。 薬剤師法を見ると、第4章が「業務」となっており、19条から28条までにその仕事について書かれているのだが、その基本は19条にあるとおり「調剤」、つまりお薬をある比率でまぜあわせることである。薬剤師は別名「調合師」といわれるとおり、まさにメインの仕事は薬のまぜあわせにあるのだ。 しかも23条にあるように、医者の処方せんどおりに正確にまぜあわせることが必要である(ただし医者の言いなりではなく、24条でその処方せんに疑義がはさめるようになっている)。 医者のいいつけどおり、まちがいなく薬をまぜあわせること――これが薬剤師の主任務だということになる。 医者の指示どおりでなければ大変なことになるわけだから、この「言われたことを正確にやる」という「当たり前」のことを間違えずに成し遂げることによってはじめて、薬剤師法1条で定める「公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もつて国民の健康な生活を確保するものとする」ということが達せられるのだ。そして、それがまさに薬剤師の本質的な「社会的=職業的喜び」だというわけである。 が……。 それじゃああまりに味気ねーだろ、と思ってしまう。 いや、社会的に絶対に必要な仕事だし、第一なにかロマンや味気を求めて調合を間違えてもらっても困るのだが。 「味気ねー」というのは、漫画にするに際しては、という意味である。ひょっとしたら、調合をするためには幾多の困難があって、正確な調合というのは一つの奇跡なのかもしれないのだが、まさかそんなことはないだろう。 だから、たぶんこの薬剤師の「主任務」たる調合は、あまりドラマにはならないはずである。 実は薬剤師には、さらに別の任務がある。 それが第25条2「情報の提供」だ。「薬剤師は、販売又は授与の目的で調剤したときは、患者又は現にその看護に当たつている者に対し、調剤した薬剤の適正な使用のために必要な情報を提供しなければならない」とある。 おそらく、われわれ一般市民が薬剤師という職業にたいして一番感情的なアプローチをするのは、この仕事についてであろう。 ぼくが薬局で薬剤師に期待していることは ぼくは花粉症であるが、薬局にいくとズラリと花粉症の薬が並んでいるのを見る。東京にいるときは医者のところにいって、毎回毎回メキタミンとアレルオフを処方されていたのだが、福岡に引っ越してからは高速で診てくれる診療所が近くになくなったので、いちいち仕事を休んで医者にいくわけにもいかず、ドラッグストアに出かけるハメになった。 薬局の棚をみるとどれも効きそうなことばかり書いてあるし、じゃあ値段の安いのを買えばいいのかというと入っている成分も違うみたいだし、どうしたらいいのかわからなくなってくる。 そこで薬剤師に、この薬とこの薬はどっちがいいのか、なぜそれがいいのか、というのを聞くのである。 そのとき、的確な答が返ってくるかどうか。 「この薬は鼻に効きます」――当たり前ダロ! パッケージに書いてあるよ! そうじゃなくて、どんなしくみで鼻水を止めるのか説明してほしいと要求すると怪訝な顔をする薬剤師がいる。 超専門的な説明を聞きたがっているように思われるのだ。 たとえばシベロンだの受容体だの。 しかし、こっちはシロートでそんな専門用語を並べられてもわかりはしないのだ。 「つまり、アレルギーというのはこの穴にアレルギーのもとになるものが入りこむことで起きるんですけど、それを先回りしてふさいでしまうということなんです」(※この説明は喩えであって、本当のことではありません)とかそういうレベルの説明がほしいのである。そう、薬のCMのイメージ図のレベルの説明なのだ。 この説明のレベルを説明するのが一苦労なので、「たとえば〜ということですか」と一回例え話を言わないといけない。 それ以外にも、なんでこっちのは価格が安いのか、それにもかかわらずアンタがそれをすすめてくれるのはなぜなのか、などということが聞きたいのである。 薬を買う人間からすれば切実な問題である。 こういうことを薬剤師がどれくらい的確に答えてくれるのか――ここに実は薬剤師としての職業的醍醐味があるはずじゃないのかと思う。 じっさい、下記の、たとえば「人は彼をカリスマ薬剤師と呼ぶ・・・か?」というサイトを見てみると、「調剤薬局や病院に勤めた人は、やはり毎日毎日調剤をしているだけというのが飽きてしまうみたいですね」と書いている。 そして、薬剤師が勤める先として製薬メーカー営業や調剤薬局などがあるけども、ドラッグストアが一番人気がないとある。にもかかわらず、このサイトの管理人がドラッグストアを選んだ理由を書いていてその一つとして「ドラッグストアの薬剤師こそ、薬剤師らしい仕事が出来る職場なのではないかと考えた為です。 というのは、ドラッグストアでは薬剤師以外クスリの専門家はいません。となれば、クスリの相談から健康相談まで、すべて薬剤師に聞かれることになるわけです。OTCのクスリの選び方から飲み方など、患者さん(お客さん)の症状を聞き、適切な判断をしていくのは薬剤師らしい仕事と言えるのではないでしょうか」ということを挙げている。 あるいは、「医薬業界就職情報」というモロなタイトルのサイトでは、「職業人の中には『仕事が忙しくて病院で半日もつぶすわけにいかない』という人がいる。そんな人から『ドラッグストアの薬剤師さんは、体調などを説明して相談すれば、最適な薬を示してくれる。ドラッグストアの薬剤師さんには助けられている』という声が聞かれる。休日でも、夜でも利用できるドラッグストアは、体調をくずした人にとってありがたい存在。健康食品や介護の知識をもった業務にあたるドラッグストアなど、患者さんを主体に考えた活動は評価される」と書いてある。 そうそう、それなんだよ。 まさに長時間過密労働の日本のプロレタリアートを支えているのがドラッグストアの薬剤師というわけだ! そこにこそ、薬剤師ドラマの醍醐味もあるというものではないのかね? 調剤薬局のドラマは成立するのか?
さてようやく『薬屋りかちゃん』である。こんなタイトルづけをするアナタは確実に「○○屋ケンちゃん」シリーズを欠かさず見ていた世代とお見受けした(○○には職業につながる言葉が入りますが、決して「洗濯」は入りません)。 主人公の塩乃樹りか(しおのぎ・りか)は、上記の区分でいえば「調剤薬局」で働いている。 だが、「調剤」そのものにやはりドラマはない。少なくとも1巻では。 ドラマは「接客」、つまり患者のなかにあるドラマにふれることで初めて自身の職業もドラマになるのである。 ところが、「調剤薬局」の場合、処方せんにしたがって薬を調合して正確に出すのが仕事だから、ドラッグストアのように「客」を見て薬をすすめたり説明したりするという幅がない。基本的に薬を「説明」することだけが任務になる(本巻でドラッグストアのエピソードは出てくるが、それはりかの新人時代の思い出としてである)。 ただし、調剤薬局の方が、すでに医者にかかっている患者がやってくるので、「客」が複雑なドラマをかかえているのは、こちらのほうなので、まあこれはこれでドラマになりそうな気もする。しかしそれでもやっぱり処方せんにしたがって薬を調合して出すことが主任務なんだから、比率的にはどうしても受動的な部分が多く、いったいこれでドラマなんかできるのかと不思議に思うのである。 さらに。 第5話では、大学時代の同級生が「派遣薬剤師」をしているという設定が出てくる。りかの同級生(田辺)は、 「――この仕事ってさ “井の中の蛙”になりがちじゃん? まいンち同じ顔みて まいンち同じ仕事して だったらせめて 場所くらい変えてみたいと思わん?」 とつぶやく。りかはそれを悲しそうな顔で聞く。 「――でもその井戸って 意外と深かったりしないか な…?」 と思っているからだ。そして、昔の彼氏だった田辺とそれほどまでに思いが遠く離れてしまったことに、りかが一抹の淋しさを覚えたからである。 いやしかしだね。 少なくとも1巻を読む限りにおいて、りかの勤める「ひよこ薬局」という調剤薬局にりかがとどまり続けることの「深さ」は見えてこないのであるよ。 一体、作者新井はなぜりかを調剤薬局にしばりつけたのか。ドラッグストアや派遣、もしくは調剤薬局とドラッグストアを兼ねているようなところで働かせりゃあもっと幅ができたんじゃないのか、と思ってしまうのである。 この漫画の1巻には「『感動』『涙』『笑い』『恋愛』ありの、ドジっ子薬剤師の心温まる成長物語」というオビがついているのだが、よくいえば非常に安定した物語で、多くの人が読んでそれなりに「感動」できるつくりになっていて、今すぐテレビドラマのソフトになれるといってもいい「わかりやすさ」である。いや、うん、コレ、なれるよ。ほんと。 しかし、悪く言えば、ベタなのだ。 一例をあげれば子どもは非常に無垢な存在として描かれていて、多少の複雑さをもっている程度で、瞳はその純真さに比例しているかのように大きい。そして事実、ここでは比例している(笑)。 トゲや毒がなく、万人が善人で平和な世界。 『働きマン』と比べてみる たとえば、職業モノの比較として、安野モヨコ『働きマン』3巻をみてみる。「vol.22 帰ってきた働きマン」。同時期に同じように失恋した他誌の女性編集者が、主人公の女性編集者・松方を「だまし討ち」のように合コンに誘う。「やめてくれ……ノーメイクで仕事帰りだっつーのに 自分はネイルもファッションもキメキメで」。 そして疲れ切った体と心をひきずって合コンに出るのだが、一切のコケティッシュさがない態度を逆にからかわれ、「あ オレダメ こういう自分を抑圧するタイプ 息苦しくなるんだよ」と合コン相手の男に言われた一言で、自分の別れた彼氏が自分をフッた理由を連想してしまい、傷ついて帰ってしまうのである。 「『明日早いから帰ります』だって――…… あーあかわいそうに」 「へー…… 案外ナイーブなんだね…… あの子」 この、見透かされ様と、まわりの人の無神経なトゲっぷりはリアルすぎる。いつでもトゲや毒を入れりゃあいいってもんじゃないんだけど、こういう悶えるような毒やトゲがここでは明らかにリアルさを生んでいる。 『りかちゃん』の本巻で最大に「毒」があると思われるのは、同級生だった女性・「いずみん」が子どもを生んで薬をもらいにきたときに、未婚のりかがその気持ちをわからない「薬の説明」をしてしまい、逆に経験者であるりかの先輩にすっかりいずみんの相談役という役どころを奪われてしまう話だろう。 しかし、ここでも描写はヌルく、ただちにあわてて「ドジっ子薬剤師の心温まる成長物語」としての救済を行ってしまう。およそ「毒」たりえない。 他方で、『働きマン』的リアルさではない職業モノ漫画の方向として、たとえば雁須磨子の『ファミリーレストラン』のような方向があるだろうけど、これはある意味で安野よりもはるかに難しい漫画だといえる。雁の作風は努力して到達できる境地ではない。むしろ安野や佐々木倫子の漫画の方が、取材を深めたり研ぎすませたりするなどの努力次第では到達できる領域なのだといえよう。 「ドジっ子薬剤師の心温まる成長物語」。 王道というかパターンというか。 しかしヌルい。 そういう物語がいいのだ、という読者もいる。うん、確かにいるよ。 たとえば、ぼくはまったく評価できなかった逢坂みえこの『火消し屋小町』は大ヒットしたし、矢島正雄・若狭たけし『どんまい!』もまったく評価できなかったがドラマになった。 むしろ平和で安定した「『感動』『涙』『笑い』『恋愛』ありの、ドジっ子薬剤師の心温まる成長物語」こそが、万人の受け入れられる条件なのかもしれないのだ。たぶん、薬剤師をめざす高校生とかに読ませる啓蒙書としては最適ではなかろうか。 事実、アマゾンのカスタマーズレビューなどをみると、同じ職業の人間が読んでいるようで、相当にウケがいい。出産・育児モノ漫画などでも、当事者とそうでない人には受け止めが天地ほどの開きがあるというから、このあたりぼくが職業的にニブいだけかもしれないのだ。 そういうわけで。 ぼくは、この平和路線のまま、調剤薬局の薬剤師という方向性で果たして2巻も続くのかどうか、ある意味興味をもっている。この分野は取材すればするほど面白いものがあると思うし(新井自身は現役薬剤師だというが、おそらく調剤薬局勤務であろう)、新井的穏健路線を、自ら破壊すれば新しい地平ができるんじゃないかと思うからである。しかしそんな転換をせずとも見事続いていくなら、ぼくの予想は心地よく裏切られるはずなのだが、さて見ものである。 |
|