稲井雄人『京大M1物語』



京大M1物語 1 (1) (ビッグコミックス)  溺れる犬を叩くという言葉があるが、いまさらこの漫画を「叩く」のは忍びない。しかし、言わせてほしい。

 ものすごい失敗作だ、と。

 「ものすごい失敗作」というのは、これほど料理しがいのある素材を使いながら、ここまでモノにできなかった漫画というのは珍しいのではないか、という意味だ。とりあげる意欲も起きない駄作とはちがって、あまりにも惜しい。つい言及したくなる「ひどさ」なのだ。
 料理しがいのある素材とは「京大」と「M1」(大学院の修士課程1年の意味)である。

 「京大」という素材は、最近森見登美彦や万城目学の小説のようなフィーチャーのされ方、もしくは、ある種の「マッド」さと結びついている。いずれにせよ、「京大」ということでたちこめる臭いというものがある。
 「M1」という素材は、昨今話題の「高学歴ワーキングプア」というニュアンスと結びついている。大学院生が「増産」され、将来の見通せない暗さというか。

 それぞれつっこんで描けば面白くなりそうな要素なのに、この漫画はこの条件を驚くほど生かしきれなかった。すでに2chのスレで指摘されていることではあるが、休載して再開した前後の5話以降が格段にひどく、美人助手(現在は助教っていうんですか)、美人秘書を前面に出し、新キャラ(美人院生)をさらに投入。あげくに美人助手と教授の肉体関係という何とも陳腐な話に落とし込んでしまった。
http://anime3.2ch.net/test/read.cgi/comic/1185137478/

 いや、いいよ。そういう話も。しかし、このいかにも「路線変更しました」感満載のやる気のない描写では、誰も萌えないだろう。あるいは、現実にあるセクシュアルハラスメントとしての問題として描くには、もう1話目で美人助手の下着姿を妄想した時点でアウトだし、そもそも一貫した目線が助手の巨乳への視姦なのでとても問題を深刻に描けないのである。




「京大」的マッドさとは何か



 京大のマッドさについて今述べたが、作者の稲井としては「第3話:囚人番号D-10」で描いたつもりであろう。博士課程10年目をむかえる男を筆頭に研究室に巣食う院生を「妖怪」扱いし、戦前の軍部がからんだわけのわからない研究に没頭しているということになっている。
 だが、軍部だの京都の財界だの、マッドさをいかにも虚構で覆ってしまった段階でぼくはついていけなくなる。そして妖怪として湧いて出る院生たちも森見の小説に出てくるような個性的なキャラクターではなく、「群衆的記号」として描かれてしまう。
 つまり、「マッドな研究をしている妖怪たち」というのをものすごくありがちな理解、薄っぺらな描写でやってしまったのである。
 妖怪たちが夜通しの酒盛りに突入していき、その酒盛りの中身が「10分前まで哲学の話をしていると思ったら、今度はグラビアアイドルのIQに話が飛び… 現政権の批判にまで及んだ」という描写は京大的な酒盛りをうまく描写しているとは思うが、こんなふうにさらりと主人公のモノローグで終わらせてしまっては、この重大なリアリティを生み出す素材があまりにももったいないというべきである。

 京大のマッドさというのを一番端的に表しているのは、漫画でいえば『もやしもん』だろうと思う。いや、あれは京大の話じゃないけどね。
 あそこに出てくるヒゲとデブ(美里と川浜)の山師的なマッドさというのは、金儲けのために密造酒をつくってみたり、昆虫の卵嚢で酒をつくったりするというマッドさである。
 このマッドさというのは、研究的真摯さというよりも、研究にはならないような瑣末的好奇心、ちっぽけな自己の野心を満足させる知的興味をもち、それに「殉じる」ようなマッドさである。
 『もやしもん』の感想のところでぼくは書いたけども、ぼくが大学に入って出会った先輩の一人が「南朝鮮労働党壊滅史」という、自分の研究とは何の関係もないものを、しこしこと書き、ついに冊子にしてしまった。そのような壮大なムダな情熱こそ、京大的なものである。自分の研究さえもどうでもいいし、自分の瑣末な好奇心と戯れているうちに大学をドロップアウトもしくはフェードアウトしてしまっても、あまり頓着しない。まさにそのくだらなさに「殉じる」精神こそ京大の気違いじみたところだといえる。

太陽の塔 (新潮文庫) 非モテ、というか喪男の京大生を描いた森見登美彦『太陽の塔』に出てくる京大生描写はその一端を示している。

「長きに亘り、私は『水尾さん研究』を行なってきた。
 作成されたレポートは十四にのぼり、すべてを合わせると四百字詰め原稿用紙に換算して二百四十枚の大論文である。遺伝子工学そっちのけでこんな研究をしていたから、農学部の研究室から逃亡する羽目になったという事実からはひとまず目をそむけることにしよう。研究内容は多岐に亘り、そのどれもが緻密な観察と奔放な思索、および華麗な文章で記されており、文学的価値も高い」(文庫版p.10)

「ともあれ、飾磨のことである。
 彼は大阪の私立高校出身、孤高の法学部生であった。つねに法律書を抱えて百万遍界隈をうろうろし、知的鍛錬に余念がなく、『むささび・もま事件』など風変わりな名前の判例について滔々と語った。おそろくしく緻密な頭脳を持っていたが、その才能と知性の無駄遣いっぷりは余人の追随を許さなかった」(同p.41)

 『もやしもん』的なマッドさは、「専門学問」についての詳細な知識のうえに成り立つ。
 『京大M1物語』は動物民俗学という架空の専門学問分野をつくって話をすすめている。第4話でハサミムシとニワトリの観察についての描かれているが、それは架空の話である。
 これにたいして、『もやしもん』は、発酵についての実際の専門知識のうえに物語を展開している。酒の歴史や「アザラシの死体をつかった漬け物キビヤック」「エイを丸ごと発酵させたホンオフェ」など、現実の知識としての豊かさがそのマッドさを強靭に支えているのだ。



「M1的なもの」とは何か



 しかし、このような京大生的マッドさは、実は「M1」という素材と衝突する。
高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)  「M1」としての素材を料理するとすれば、水月昭道『高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院』のように、院生としての鬱屈、将来の展望のなさを描くことになるだろうからである。
 先述のとおり、京大的マッドさというのは、瑣末な知的好奇心やちっぽけな自己の知的野心のために、「殉じる」ことができるものであり、「院生となった自分の将来を案じる」などという世俗の悩みからは解放されていなければならないのである。
 断っておくが、もちろん現実の京大院生がそのような存在なのではない。京大院生は十二分に進路の閉塞感に悩むであろう。ぼくがのべているのは、「マッドというイメージとしての京大生」にすぎない。
 『高学歴ワーキングプア』では、文部科学省の大学院重点化政策によって大量の大学院生が生産され、他方で大学は少子化の影響でますます部門やポストを少なくし、その結果、不安定で低収入の非常勤やコンビニバイトでずっと食いつないでいくしかない研究者が山のように生まれていると指摘する。

 現実にはシビアな問題ではあるが、ここでは「漫画のネタ」として話題にしているので「面白い/つまらない」という扱いをすることを許してほしい。
 高学歴者であるにもかかわらず、進路に驚くほど希望が見いだせない現状は、さまざまな悲喜劇を生む。これが漫画のネタにならないわけはない。

http://anime3.2ch.net/test/read.cgi/comic/1185137478/

513 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2007/10/17(水) 17:16:46 ID:3cnfGwm70
舞台をわざわざ大学院にした意味が既になくなっているな。
とりあえず院生漫画を描くには以下の人間を出してほしいな。

1、無闇にはりきる学歴ロンダ。旧帝大学院院生という身分に対してのプライドと期待を露骨に出して、内部進学組の失笑を買い、学会では他所の大学の院生にうっとおしがられる。

2、院試に落ちた聴講生。精神的に追い詰められているのと劣等感がまざって、みんなの中ではやや卑屈気味。そのほとんどは2月から3月にかけてひっそりと消える。

3、先行研究の調査ができず、研究報告の参考文献に一般書・通俗書を並べる社会人院生。でも研究にかける情熱と夢〔だけ〕は若造には負けないぞ

4、人柄が良いために研究室の雑用を押し付けられて中々論文が書けないドクター。しかし優秀という評価を受ければ教授の覚えもめでたく、研究資金もゲットだぜ!それでも論文は一本も書か(け)ない。

5、あと、構内をウロウロして授業に出没する得体の知れないオッサンは京大を描く上で必須だと思う。

 これは先述の2chスレの書き込みである。『闇金ウシジマくん』ではないが、そういう腐りきった問題の捉え方が、ひりつくような痛みを(院生の)読者に与えるであろう。
 この2chのスレでは、「2chで取材したらいいのに」という提案を冷笑するむきが多かったが、非常に有益な示唆であるとぼくは思う。
 学問系の板などに行けば、そこでいかに腐りきった院生とおぼしき人々が自分の研究室の助手や助教授、教授の悪口を書き、あるいはいかに自分の将来に対する閉塞感にとらわれているか、その空気がわかるであろう。
 あるいは、ヒットをとばした著作を書いた若い学者へのねたみもすごい。たとえば萱野稔人のスレがあるが、ここでやっかみのようなケチつけをしている人を「院生」だと想定してみれば、その腐りよう、嫉妬心というものはすさまじいものがある。いや、本当に院生かどうか知らねーよ。そういうふうに思って読むんだよ。
 2chは事実関係を調べるところではない。「雰囲気」を味わうんだ。
 
 前述のとおり、『京大M1物語』の最悪の失敗は女性キャラクターの扱いだ。
 高学歴者の女性がもつ屈託とか矜持とかいうものがある。
 それはどうにでも料理のしがいのある素材なのに、ここでは何も生かされていない。「美人助手」も「美人院生」もおよそ京大に生きている人間、いや研究者らしくさえない。これでは単なるOLである(笑)。

 彼女たちは2chにはいない。「発言小町」などに行くといい。
 夫がポスドクだが、将来はあるのか、という質問がくり返し出たりする。一般人女性が出すこともあるし、研究者っぽい人が出すこともある。それに答えるまた研究者とおぼしき女性たちは、なかなかに厳しい。




「京大」と「M1」どちらかをそぎ落とせ



 第1部がたった8話で終わったものの、第2部が08年に再開されるという。
 では、この漫画はどういう方向を今後とるべきなのか。

 いずれにせよ、「M1」、院生としての展望の見えなさをリアルに描くことがこの作品がすすむべき一つの方向である。この作品が出た当初、ネットなどでそうした方向に期待する声がいくつかあった。
 そして、それは「京大」という要素と矛盾する。「M1」、院生生活の問題点を描くのなら、京大である必然性はおそらくなくなるし、京大性を強調すれば衝突するであろう。

 漫画家が京大出身でなければ、森見や万城目のような「京大」モノの感覚をつかむのはかなりハンディがある。
 それよりも、「M1」の物語とする方のが、取材もやりやすいし、普遍性がある。思い切って「京大」という要素は捨てることだ。
 幸いなことに、主人公の設定は「観察者」的なところがある。
 M1というのは、院生生活に入ったばかりであるし、大学も外から来ているということだから、すべてを新鮮な目で見られる、ということになる。
 だとすれば主人公を狂言まわしにし、『ウシジマくん』方式で、1話ないし数話を遣って、さまざまな院生やスタッフたちを「観察」する物語にしていくべきである。ギャグやお色気はとりあえず考えなくていい。シリアスにやってよろしい。
 あと、これまでの物語でやりにくい不都合な設定はどんどん消していけばよい。面白ければそんなことはどうでもいいからである。

 「ものすごい失敗作」がよみがえる瞬間というものをぜひ見たい。







小学館 ビッグコミックス
1巻(以後続刊…のハズ)
2008.1.13感想記
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