『教科書の詩をよみかえす』/70点



 ぼくは、韻文を楽しむという力がない。だから、ほとんど詩は読まない。
 歌詞なんかでも、いいなと思うのは、散文的なわかりやすさのものだ。

 でも、教科書の詩とというのは、なぜだか、いつまでも心に残ったり、もう一度、いまになってあの詩を、じっくり読んでみたいなと思うときがある。
 だれでもそう思うんだろうけど、この本と同じような企画を文芸春秋がやって、ネスコという出版社から出していた。そのあと、斎藤孝の『声に出して読みたい日本語』が大ヒットしたけど、ぼくは、この系譜の感性に属するもんじゃないかなあと思っている。

 ぼくは、室生犀星の「小景異情」(ふるさとは遠きにありて思ふもの…)がもう一度はっきり全部よみたくて買った。

 しかし、この本のなかでいちばん面白かったのは、「きりん」にかんする詩だった。

きりん   まど・みちお

きりん
きりん
だれがつけたの?
すずがなるような
ほしがふるような
日曜の朝があけたような名まえを

ふるさとの草原をかけたとき
一気に一〇〇キロかけたとき
一ぞくみんなでかけたとき
くびのたてがみが鳴ったの?
もえる風になりひびいたの?

きりん
きりん
きりりりん

 もう一つは、おなじ「きりん」にかんする、谷川俊太郎の詩。

かみさま
あなたは
きりんを
ほんとに
あんなふうに
つくりたかったの?
それとも
あれは
なにかの
まちがいですか?

 どうしてもぼくは、文字から「意味」をとろうとする。
 恥ずかしい話だけど、詩というものは、そんな「意味」から解放されてコトバで自由自在に遊ぶこともできるものだということを、このまど・みちおの詩をよんで、ようやくわかったのだ。
 谷川の詩の方は、とっても散文的だと思う。コトバに、しっかり意味を乗せている。しかし、その乗せ方はこれまた自由自在である。

 こういうものを書けたらなあと、ただただ思うばかりである。


(川崎洋/筑摩書房)
採点70点
2003年 1月 8日 (水)

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