東京・町田市長選の政連ポスターを比較する



 東京・町田市長選の政連ポスターの比較をしてみよう。今回(2006年2月)町田市長選には6人が立候補した。

 市長候補者が告示後に選挙中に掲載できるポスターは、掲示板ポスターと政連ポスターがある。掲示板ポスターというのは板(公営掲示板)に全員貼ってあるアレだ(右図)。

 聞き慣れないのは政連ポスターのほうだろう。政連ポスターとは「政治活動連絡ポスター」の略である。ポスターに証紙をつければどこでも貼っていいことになっている(証紙は枚数制限がある)。ただし、一つだけ制約がある。候補者の名前と顔は書いてはいけないのだ。似顔絵もダメだし、名前が入ったホームページのアドレス(例えば山田花子ならwww.hanako〜)もアウト。それ以外は何でも書ける。

 日本の選挙運動制度というのは、徹底的に保守、しかも現職に有利にできている。
 たとえば告示後のハガキや電話にはまったく制約がない(電話は告示前も完全自由)。なのにポスターやビラなど不特定多数に訴えかけるものには「名前はダメ」という制約がある。だから、市長選の政連ポスターや法定ビラは実に奇妙だ。「凸凹党すいせんの市長候補に一票を」「唯一の女性市長候補を!」。これではよほど注意しないと誰だかわからない。知名度があり、町内会や商店街などの結びつきや名簿をもっている保守系現職にありがちな選挙のやり方のみを保護し、知名度も低く大量のビラやポスターで争点を訴え現職に挑むしかない革新系や無党派系、新人の活動スタイルを徹底して弾圧するしくみになっているのだ。

 町田は、長らく社会党系の革新市政だったが、10年ほど前に自民党も入ってきて、逆に共産党が与党から外された。それでこんど現職市長が高齢で引退することになり、自民党は自民党なりに、民主党は民主党なりに自前の市長を出したいと思い、大乱戦となったのである。市長選としてはまれにみる多数激戦だ(実は前回もそうだったのだがそのへんの細かい事情はおいておく)。

 多数激戦の中の政連ポスターというのは実に独特な技術を必要とする。そのあたりを6人がどう苦労しているかをみてみよう(ただし1人の政連ポスターはついに見つけられなかった)。

 政治的中身ではなく、純粋にポスターデザインとしてのみ。
 すでに投票の結果は出ているので票数はわかっていて(結果はこちら)、いちおう参考にはするけども、政連ポスターの出来と票数は必ずしも比例しない。票数が少なくても、ポスターの出来がいいことはある。もっと少ない得票だったのをポスターがいくぶん救ったとか。だから、単純な因果や相関は示さないことにする。



大西のぶや(1)大西候補
 まずこれ。政党推せんがない保守系の候補。
 政党推せんをもらっていない候補の場合、政連ポスターで一番苦労するのは「誰のポスターなのかわからん」ということである。この人の場合「5期20年のベテラン市議に」とある。うーむ、たぶん選挙マニアの人はこれでわかるかもしれないが、多くの人はこれでもキツいのではないかと思う。掲示板ポスターのほうにまったく同じ文句を入れることでなんとか関連性を出しているわけだ。
 おまけに、極太ゴシック(新ゴUか)でしかもオレンジの題字。見にくいことこのうえない。ポスターの文字を太くしようとしてやってしまう失敗である。画数が多い字は極太ゴシックでやると読めなくなる。
 あと、要素が多すぎる。いや、要素が多くても政連ポスターはアリなのだが、メリハリをつけないと何も印象に残らない。これはどれも要素がケンカしあっている。
 このポスターの最大の特長は、横田夫妻の写真であろう。「有名人の推せん」というだけでなく、ポスターに人の顔があると、文字だけポスターよりは目がいく。いや横田夫妻が市長選に出ているのかと誤解されるうらみはあるのだがw


真木茂 (2)真木候補
 その点、この民主党・ネット推せん候補のポスターは(1)の候補のはっきり上をいく。
 まず、色であるが紺は目立つか目立たないかといえばポスターの色としては絶対に目立つ。そこに白抜きで「市民の力」。たぶん極太ゴシックだろうが、画数が少ないので見やすく、迫力を生んでいる。「市民の力」という短いフレーズであることも利点になっている。
 政党推せんが大きいのも多数乱戦の場合は確実に利点となる(後でこのことについては述べる)。
 しかも、細かい政策は小さな文字に落としてメリハリをつけている。
 バスなどからみても、一番目立つのがこのポスターだった。
 「目立てばいいのか?」と思う人もいるかもしれないが、政連ポスター本来の機能はたしかに政策を訴えることなのだが、もう一つの要素は「勢い」をしめすことにある。それが正しいかどうか別にして、街のどこにいってもポスターが貼ってあるだけで「この陣営は勢いがある=託してみよう」という気持ちに無意識のうちになってしまうから、この効果はあなどれないのだ。そのさい、ポスターがたとえたくさん貼ってあっても、インパクトがないと効果が薄まってしまう。逆に、インパクトのあるポスターだと、枚数が少しくらい少なくてもこの効果を期待できるのである。


石阪丈一 (3)石阪候補
 一見(2)に似た構図をもつが、かなり問題の多いポスターがこれ。
 まず配色であるが、黄色は目立つんだけど、緑を配色したことで一気に目立たなくなった。菜の花みたいで春らしく優しい感じがするが、それがかえって風景に埋没させてしまっている。
 ゴシックのインパクトも(2)ほどない。
 明朝体を交えてしまったのもポスター的にはよくない。明朝はホントに遠くからは見えないのだ。
 最大の問題は、これがいったい誰のポスターなのかさっぱりわからないことである。実はこれは自民・公明推せんの候補。彼が当選した候補者だったのである。彼には市民運動の勝手連がついていたようだが、いわば「政党かくし」をこのポスターではやったわけだ。
 推せん政党を隠すことで無党派にウイングをのばそう、という意図が透けて見える。
 だが、多数乱立の選挙の時、これはむしろマイナスに作用するのではないか。だれが誰だかわからなくなってしまい、基礎票となる自公の組織票さえ固められない可能性がある。むしろ自公推せんであることをはっきり打ち出して票をもらったほうがうまいのかもしれないのだ。
 最終盤に彼の宣伝カーが市内をまわっていたが、「自民党・公明党推せん」と大声で訴えていた。訴えていたのは「勝手連」の連中だった。彼らがそう叫ぶのだから、最終盤は逆にその強調によほど力を入れたのだろう。


さみぞ裕子 (4)さみぞ候補

 共産推せんの候補。
 「政策を訴える」というポスターの機能の点では最もインパクトがある。
 もちろん他の候補も政策を訴えるポスターではあったのだが、どれも「公約箇条書き」タイプで政策そのものにはメリハリがない。
 そこへいくとこのポスターは、市庁舎建設は浪費であることにしぼりこみ、しかも文字ではなく視覚に訴える方式をとった。サヨのポスターやビラはロゴスの力を信じる(笑)ものが多いのだが、これは珍しく視覚に訴え、しかもインパクトがあるものだと思う。
 配色が大人しすぎるのと、候補者の記述が小さくて一見すると政連ポスターに見えないのがやや難。


藤田学 (5)藤田候補
 ちょwwwwwおまwwwww奇テライスwwwww
 これは今回の選挙戦で一番笑った政連ポスターだった。
 全体がオレンジで、真ん中に小さく次のように書いてある。

「犯罪の無いまちを
 安全で快適な生活基盤を
 生活者を起点としたまちづくりを
 子育て世代の大胆優遇を
 市民みんなの“生きがい”を
 夢と誇りあるまち 活力と元気あるまち
 栄光ある町田を創る会」

 ホントに小さい。18ポくらいなんだろうけど、体感的には9ポくらいに感じられる。
 このデザインに既視感がある。
 ぼくが中学の生徒会長に立候補したときのポスターそっくりなのだ
 その年の生徒会長選挙は実に久しぶりの対立選挙となり、ぼくは一騎討ちの選挙を戦うことになった。そして恐ろしいことに、相手方にはイラストのうまい女の子がついたのである。
 相手方のポスターはなんと「ラムちゃん」(うる星やつら)を描いてきた。非常にうまい。いま考えると萌え+水着女性というわけだから、ものすごい訴求力だと思う。著作権法違反だがw
 迎え撃つぼくは、なんか普通に文字で「明るい選挙」「清き一票」とかやっても全然インパクトねえなあと悩んだ(余談だが、中学生のぼくの選挙イメージというのは本当に貧困で、選管の使うスローガンをわけもわからず使っていた。「明るい」とか「清き」というのは、その裏に買収選挙が想定されていて、それをやっちゃいけませんよという意味とは露知らなかった。中学生が買収するかよw)。
 そこで、画面を真っ黒に塗り、真ん中に小さく白い窓をあけ、「●●中学に光を!」とやったのである。まったく構図がこの候補と同じだった。
 つまり中学生並みの発想だったわけである。
 うむ、ユニークなのはいいが、街角に貼られるとワケがわからない(右図)。ただのオレンジ色のシートや台紙にしか見えないのだ(笑)。公営掲示板のような、整然とした場所でこれをやったら多少のインパクトはあったかもしれないが、いろんなものが雑然とうごめいている街のど真ん中でやったのは失敗だった。
 





2006.3.3記
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