呉智英『マンガ狂につける薬 下学上達篇』



ぼくの理想に近いスタイル――下学上達
マンガ狂につける薬 下学上達編

「『下学上達』とは、論語憲問篇に出てくる言葉である。卑近なことを学び、高尚なことに達するという意味である」

「私は日本マンガ学会の中核メンバーでもある。いくつかのシンポジウムやセミナーの司会もつとめたことがある。講師や報告者は、心理学や人類学や政治史などの研究者である。この人たちは、自分たちが今まで研究してきたテーマがマンガの中に現れていることに興味が湧くのだ。ここでは、心理学や人類学や政治史が下学で、マンガが上達なのかもしれない」

「いずれが下学で、いずれが上達か。いずれも下学で、いずれも上達なのだろう」

「マンガの海の中に活字が現れ、活字の彼方にマンガが見えてくる。こんな読書を楽しんでいただきたい」(本書p.4〜5)


 これはぼくの理想とする漫画の論じ方に近い。
 何のことをいっているかわからない人もいると思うので、一例をあげてみると、とがしやすたか『青春くん』という漫画とあわせて、加藤尚武『現代論理学入門』を評する、というようなスタイルである。あるいは、真鍋昌平『闇金ウシジマくん』を論じつつ、三浦展『下流社会』を重ねる。
 非常に親和性の高い漫画と活字本を紹介するときもあれば、一見どういうつながりがあるかわからない2冊を論じることもある。いずれにせよ、漫画と活字本という組み合わせだ。

 以前、ぼくはマルクスとのインタビュー企画の中で、「漫画読者」というサイトを評して、

「昔、ぼくが鎌田慧の『自動車絶望工場』を読んだときのことですが、鎌田はトヨタの工場に労働者として潜入しそのライン労働をルポするわけです。で、鎌田自身が、まわりの労働者の様子や会話を淡々と描きながら、突然文章のなかに、あなたの『資本論』の章句をはさんだりするんですね。それがもうすごくかっこいいなあと思ったことがあります。そんなふうに日常と学問概念が融通無碍に往来できるっていうのは、すばらしいことだ、と。で、このサイトのユニークな構成は日記形式になっていて、自分が日々感じていることと、読んだ書籍とそれと漫画の感想が、自由自在に行き来しているんです。しかももっと大事なことは、それが簡潔で本質的な言葉にきりっとまとまっている。とうていこういう文章はかけないなと思いながら、いつかそんなふうになりたいと精進している次第でして」

と述べたことがあるのは、この理想を言い表わしたものである。

 著者の呉は、本書の前にやはり『マンガ狂につける薬』というタイトルの書評集を出しており、そのときも似たことを感じたのだが、今回はいっそう強く感じた。ネタが新しいせいで、ヨリ迫ってくるのであろう。

 たとえば、小田扉『団地ともお』を、呉はどう論じるか。

「初単行本『こさめちゃん』(講談社)も読んでみたが、これもなかなかよかった。しかし、ややマニア向けで、一般受けはちょっと難しいかなとも思った。『マル被 警察24時』は、それよりもう少し熟成されていたので、実業之日本社から単行本が出た時には期待したのだが、意外と話題にならなかった」(p.110)

 それで『団地ともお』のブレイクとなるわけだが、このあたりの小田評はぼくもまったく納得する。小田がくり出す初期のギャグの先鋭さが、その核心を保持したまま、『団地ともお』という万人に開かれた形態へと発展したことに喜んだものである。

 呉は『団地ともお』のエピソードをいくつか紹介し、単身赴任中の父の部屋を姉弟でとりあって姉が「一生恨んでやる!!」と弟に吐き捨てて号泣する話を書いたうえで、こうまとめている。

「本当に、どうでもいい日常生活の瑣事だ。そんなに泣くほどのことではない。まして一生恨むようなことではない。それでも、中学生の少女にとって、天が崩落してきたかのように悲しいのである。/子供たちの日常を切り取る目の鋭さが出色である」(p.111)

 これに対比して呉が紹介した「活字本」は、坪田譲治『お化けの世界』という本だった。呉は、

「このところ、児童文学が不振だ。児童文学志望の若いお母さんたちはカルチャーセンターに押しかけているのにだ。彼女たちは、児童文学を読まない。読まないけれど、自分は作家になって、他人に読ませたいと思っている。おかげで、シロートの書いた児童文学もどきが自費出版社から次々に出され、古典的名著が書店の棚から消えて行く」(p.111)

などと皮肉りながら、日本の代表的児童文学者たる坪田譲治の『お化けの世界』を評するのだ。

「子供の目に映った大人の社会の現実を、子供が理解したままの心象風景として、暗く悲痛に描き出した傑作として名高い」(p.112)

 呉は、『団地ともお』と『お化けの世界』の共通性を、子どもの心象風景の見事な描出だと感じたのである。ゆえに彼は子どもをめぐる事件がおきるたびに子ども像の変化を論じる識者を批判して「しかし、根源的と言えるほどの変動は生じていないだろうにと、坪田譲治や小田扉を読んで、私は思う」(p.112)とその一文を閉じているのである。
 呉が論じている調子がわかっていただけただろうか。



関川夏央とくらべたときの「平板」さ


 ぼくは、呉のこうした漫画の論じ方について、冒頭で「理想的」とのべたのだが、彼の論じている中身自身は実はそれほど好きというわけではない。
 イデオロギー的立場がまったく異なるという事情をさしおいても、たとえば関川夏央の漫画の論じ方と比べてもぼくの心にいま一つ届かないのだ。

 梶原一騎の自伝漫画『男の星座』(漫画は原田久仁信)について書いた文章を比較してみよう。

 呉は「戦後史の逆説、梶原一騎」というタイトルで、『男の星座』と、斎藤貴男の名著『梶原一騎伝』を論評している。

「梶原一騎原作のマンガは数多いが、やはり今言った『巨人の星』(川崎のぼる/画)、高森朝雄名義の『あしたのジョー』(ちばてつや/画)の二作だろう。この二作が戦後民主主義の最高揚期である一九七〇年をはさむ時期にマンガ文化の強力な推進エンジンとなった。ド根性、家父長的、体育会系……、およそ戦後民主主義とは相容れないはずのものが、戦後民主主義を体現した全共闘の学生たちに愛読されたのである」(p.90)

「『男の星座』は、斎藤貴男による評伝とはちがい、梶原一騎流に脚色された自伝である。……梶原の目で見た梶原、こう歩んできたはずの梶原像である。普通なら、鼻白んで読むこともできない。/ところが、これが一読巻をおく能わざる面白さなのだ。最も梶原節らしい梶原節が聞こえてくる」(p.92)

 これにたいして、関川の『男の星座』評をみてみよう。

「梶原一騎は戦後民主主義とはまったく縁のない希有なひとだった。そして、生来の過剰なまでの正直さゆえに、自ら気づかぬうちにその存在自体が戦後民主主義へのあからさまな批評となった。世の中は金と力だ、女を自由にすることだと公然と語り、人生は畢竟情熱と哀愁であると古典的な折り目正しい演歌を野太く歌った。その両方ともたしかに世の中を支配する原理であるのに、同時にいわゆる知識人のもっともにくむところだったから、彼は評判が悪かったのである」(関川『知識的大衆諸君、これもマンガだ』p.76)

「いくらその物語がおもしろくとも彼は独立峰であり、受けつぐひとはいない。梶原の前に多くの梶原があって、梶原のあとにひとりの梶原もいないのは、日本社会においては近代化と上昇志向とが一致しなくなって久しいからであり、正直を徳と考える気配がいまや完全に退潮してしまったからである」(同)

 同じ「戦後民主主義の反対物」としての把握をしながら、関川の文章は、するどく、かつ深い。そして文章として実に達者である。単に技巧にとどまらず、関川の言葉のうちに、梶原が生き生きとした姿をもってよみがえってくる。比喩であるにせよ、梶原が「野太い演歌」をうたっている様が目にうかぶではないか。

 これにたいして、呉の『男の星座』、ひいては梶原評は、「戦後民主主義の反対物」という平面的な把握を出ない。呉には大学紛争などの全共闘運動を「戦後民主主義の体現」「最高揚」だとする理解があって、その単純なシェーマのなかで梶原をとらえようとするために、いきおい梶原像が平板になってしまっているのだ。

 1970年前後は戦後民主主義の「最高揚期」どころか、むしろその形骸化がいよいよあからさまになった時期であり、小熊英二がこの時期について「『戦後民主主義』は、『凡庸』な大衆社会と同列視されるようになっていった」(小熊『〈民主〉と〈愛国〉』p.567)とのべているとおりである。全共闘運動は戦後民主主義の攻撃手として登場した。おそらく呉などに言わせれば結局全共闘運動も戦後民主主義の一翼だったのだといいたいかもしれないのだが、結果はともかく、全共闘運動がこうした形骸化の空気に乗って登場したことは否定できないことであろう。


 『団地ともお』の評をみてもわかるけども、呉は『団地ともお』について「子供たちの日常を切り取る目の鋭さが出色である」という把握にとどまっている。それは字数がかなり制限されているからだという反論もありそうだが、そのあとの呉と小田扉の対談を読んでも印象はかわらない。いやむしろ小田に「結構いい加減に描いてるかなあ」みたいにボケ返されていて、ここでもぼくは呉の評価の平板さが気になってしまうのである。

知識的大衆諸君、これもマンガだ  このサイトをみてもらえばわかるけども、いたるところに関川夏央の『知識的大衆諸君、これもマンガだ』が参照されている。
 つまりぼくは関川のこの一冊にイカレてしまってこのサイトをやっているといっても、過言ではない。ひたすら関川のような漫画評が書きたいと。そのエピゴーネンといわれてもいい、いやむしろ言われるくらい少なくとも精進したい――そう思うくらい大きなインパクトをうけた。
 しかし、文芸批評やある種の社会反映論的な方法を利用した文体は似ていても、呉の文章には早くから接してきたものの、あまり心を動かされなかった。呉の文章には少なくないファンがいるようで、ネットで検索してもけっこう出てくるのだが、ぼくはその列に加わることがどうしてもできなかった。



呉の面白さの中核――深さではなくオタク知識


 呉の面白さの中核は、ペダンティックな雰囲気を凝らしながらも、やはりそのオタク的な知識量にある。たとえば、本書の冒頭で紹介される『マルクスに凭れて六十年 自嘲生涯記』の著者・岡崎次郎は、『資本論』読みなら誰でも一度は耳にする名前であるが、彼が1984年以来消息不明になっていることをぼくは呉のこの本で初めて知った(ウィキペディアにも似た記述があるが、同サイトで岡崎の項目が書かれたのはようやく06年12月であり、呉のこの記述はその数年前である)。
 あちこちから自在にとりだしてくる知識や古典の量の豊富さが、呉の文章の面白さの基軸をなしている。

 言い方を変えると、一つひとつの問題の掘りさげは、実はそれほど深くはない。それはいま漫画評論を比較してみせたとおりである。
 呉に不利にならぬよう、文字数がもうすこし多い、呉の『現代マンガの全体像』での近藤ようこ論と、関川の近藤ようこ論(『遠くにありて』論)を比較してみても、やはり呉の雑駁さは覆うべくもない。



「戦後民主主義的な良識」への批判者としての輝き


 呉のロジックの平板さは、呉のデビューの仕方にその起源があるように思う。
封建主義者かく語りき  呉が「私の思想が現在の“良識”なる通念と拠って立つ基盤をあまりにも大きく異にしていた」「現在の良識や通念と大きくちがう思想的立場に拠る私」(呉『封建主義者かく語りき』双葉文庫版p.256〜257)とのべたように、呉は「最もラディカルな現代批判」(同前)を企図してデビューをかざった。

 だが、それは「現代」「良識」というよりも、まさに戦後民主主義批判であった。さらにその核心は左翼批判であり、もっといえば「日共」(日本共産党)批判であった。「日共」的良識を頂点とする左翼・戦後民主主義文化という仮想敵をもち、たしかにある部分で形骸化や硬直化を生んでいた戦後民主主義を厳しく批判する呉の言説は痛快なものがあった。

 ぼくが呉の本にはじめて接したのは、80年代中葉、高校生のころ古本屋で『封建主義、その論理と情熱』(文庫版でタイトル改訂)を見つけて読んだときだった。すでにぼくは左傾化をはじめていたときで、呉の名前はまったく知らなかったが、憤激まじりに小一時間、面白く読んでしまった記憶がある。

 左翼的なるものがまだ政治と社会の多くを覆っていながらその影響力を瓦解させていく時代、それは社共共闘が解体した80年代全体、そしてソ連が崩壊し旧社会党が凋落する90年代初頭までつづく時代であるが、この時代にこそ呉の言説はもっとも輝いていた。
 新左翼であった経歴をもち、かつ、その後封建主義者を自称する呉であるが、良識という名の「日共」的左翼文化や戦後民主主義批判をするという点において、呉の行動は首尾一貫している。



2007年のいま、「いない敵」にむかって


 そして形骸化してしまった戦後民主主義を向こうにまわして、市井の情念や保守的心情のリアルさを対置していくという、ある意味で単純な構図を用いた呉の手法は、90年代初頭までは強い光彩を放っていた。
 2007年の現在、それらの知的権威は崩壊して久しい。
 なのに、本書『マンガ狂につける薬 下学上達篇』では、随所に戦後民主主義・左翼・「日共」批判が飛び出し、むしろ奇異に感じる。石子順まで持ち出して凱歌をあげている呉の姿は何だか哀愁すらただよっている。すでにいなくなった敵にむかってぶんぶんと槍をふるっている騎士のようでさえある。単純な対決構図の中での輝きという特性が、事物を掘り下げることへの怠りを生んだのではないかと。

 いま石子順をかばう人もいない。白土三平を「唯物史観」だと騒ぐ人もいない。マルクス的な歴史主義を称揚する人もない。日本仏教を葬式仏教だと声高に批判する人も、まあ少ない。

 それらははっきり「ゴミ」だと現代では認識されている。
 呉の批判は、ゴミ捨て場でこれはゴミですと叫んでいるようなものである。

 むしろぼくはいまゴミ捨て場にいって「これはけっこう使えるんじゃないか」と物色している最中なんだけどな。できれば近々、「『カムイ伝』第一部は正真正銘、唯物史観の見事な具現であり、『カムイ伝』が白土にとっての『資本論』にあたるとすれば、『忍者武芸帳』は『経哲草稿』にすぎない。飽きもせず『忍者武芸帳』をもちあげている者は、初期マルクスにとびついた一部の学者と同じ、大馬鹿者である」と大々的にぶちあげたいのだがw

 2007年の都知事選挙に出てその政見放送の暴論ぶりで話題になった外山恒一は、呉の大ファンだという。
 外山が、管理教育に反対する高校生会議や『ぼくの高校退学宣言』など既存左翼とは違うスタンスから運動を出発させ、やがて高校生一般が加害者であるとする「DPクラブ」運動へ行き着いて、それこそ「日共」の雑誌(赤旗評論特集版)で大声で罵られ、最後には「ファシズム」信奉に到達したその遍歴は、ある意味で呉によく似ている。
 呉はソフィスティケイトされた外山恒一である。
 二人とも粘着的ともいえる「日共」・戦後民主主義へのコンプレックスをバネにしながら、それらを円の中心において回転運動を続けているのである。

 ただしこれらのことは、漫画批評とは別の次元で、呉の文章におかしみを生んでおり、それを読むことはこの人の精神構造をのぞく楽しさがある。

 本書で呉は、萩尾望都『イグアナの娘』を評したときに、活字側に原田純の『ねじれた家 帰りたくない家』を対置した。母子の相剋、和解をテーマにした前者に、革新的家庭の欺瞞、偽善、空虚、その中で育つ娘の悲哀にみちた滑稽さをつづった手記を重ねたのである。
 母子間の葛藤や確執をもっと現代的に把握することもできように、わざわざ「欺瞞に満ちた進歩的家庭」という、どちらかといえば古臭い構図に落としてしまっているあたりが、呉らしいというか何というか笑い出したくなってしまう。愉快愉快。
 そして、p.165にある原田の『ねじれた家 帰りたくない家』の書影が、なぜかアガサ・クリスティーの『ねじれた家』になっちゃっているあたりまでくると、もう途方もなく可笑しいのである。

※真鍋昌平『闇金ウシジマくん』――呉智英の「平板さ」にもふれて





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2007.6.7感想記
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