夏目房之介『マンガと「戦争」』


マンガと「戦争」

 大学時代、入ってきた新入生に「おまえもコミュニストになれ」とオルグしていたとき、その新入生が「どうせ人類なんて『北斗の拳』みたいにいったん核戦争がおきてみんな死んじゃうんですよ」とうそぶいていたのを思い出す。あいつ、どうしたかなあ。

 ぼくが彼の発言をよく覚えているのは、そのあと左翼の友だちと、彼の発言がけっこう話のタネになったから。『北斗の拳』をイメージのコアにおいているところ、そして「核戦争」や人類滅亡をひとつのリアリティとしてみているところが、ある種の典型のようでもあり、面白かったんだな。

 あるいは、榛野なな恵『Papa told me』を読んでいるとき、主人公の知世が怖いものとして「核戦争」があげていたのをみて、そこに恐怖についてのリアリティを覚えるんだあ、と妙に印象に残ったこともまた思い出した。



核戦争における終末というイメージ

 ものすごく大ざっぱにいって、ぼくらの世代、20代後半〜30代はたぶん、核戦争を軸にした「滅亡戦争」ということを一度はリアリティとして考えたことがある世代だと思う。第二次世界大戦のような国家戦争ではなく、敗者も勝者もいない戦争(したがって、「ガンダム」は戦争についての技術的なリアリティはあっても、ぼくらが体験するかもしれない戦争としてのリアリティは薄い)。

 ぼくが子ども時代に熱心に読んでいた『少年朝日年鑑』には、「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」誌の有名な「終末時計」の話が出ていた(核戦争で人類が破滅するのを0時として、その瞬間にどれだけ近づいたかが時計の針でしめされるようになっている)し、ABC放送がつくった「ザ・デイ・アフター」(核戦争後の世界についてのドキュメンタリー)を見て瞬間マックスに激しい危機感をもったものである。
 ぼくらが子ども時代をすごした70年代と80年代は、デタント後の、まさに米ソの冷戦のまっただ中で、それは核の恐怖の均衡のど真ん中であった。
 そうした現実の危機のさなかにあって、虚構がぼくらの意識をさらに極端に肥大させていった。「宇宙戦艦ヤマト」にしろ、『北斗の拳』にしろ、『ナウシカ』にしろ、世界がいったん絶滅や荒廃するという設定はそう珍しいものではなくなっていたという記憶がある。

 いわば、第二次世界大戦を経験した世代の戦争体験とはまったく比べ物にはならないけども、ぼくらの世代はやはりぼくらなりに現実の戦争の危機やリアルを「体感」しながら生活し、その現実意識に虚構がさまざまな介在をしてきたのだと思う。



70年代をひとつの画期とみなす

 くわえて、理想たる社会像が見えにくくなる時代でもあった。

 70年代、資本主義の側は、高度成長の終焉や、ベトナム戦争の敗北、ケインズ主義のゆきづまりが明瞭になって相対的に「革新色」が強まった時代でもあったし、80年代は「社会主義」(いやぼくはそれを社会主義とは思っていないが)の側がアフガン侵攻にはじまり、ポーランド弾圧、北朝鮮のテロなどに「彩られて」完全に威信を失墜させた時代でもあった。
 したがって、変革していく力や展望がどこにも見当たらないわけで、核戦争の危機という時代背景をうけても、人間がそれを打開するという楽観にはなりにくく、どこかしら滅亡や破滅の暗さをかかえた時代認識になっていった。

 これは、夏目房之介『マンガと「戦争』においては、第7章「終末としての『戦争』」が該当する。
 ただし、夏目はここでは核戦争とは結び付けずに、次のように語った。

「七〇年前後、先進諸国の青年たちをとらえた人間や文明に対する不信のなかで、最終戦争による破滅の描写は、より深く差し迫ったテンションをもち始めていた」(p.105)

 本書は、戦後漫画がどのように「戦争」イメージを伝えてきたかを手塚から歴史的に論じている。手塚治虫、水木しげる、ちばてつや、小沢さとる、白土三平、滝田ゆう、林静一、佐々木マキ、ダディ・グース、さいとうたかを、永井豪、松本零士、大友克洋、宮崎駿、かわぐちかいじ、山本直樹、貞本義行などがとりあげられる。それによって戦後日本人の戦争観の変遷にまで迫ろうという評論である。

 永井豪はその第7章でとりあげられる。
 夏目はここで永井豪『デビルマン』をとりあげ、「少年マンガに先天的に内包されていた勧善懲悪的な正義と悪の構図が、負の感情のリアリティのなかでひっくりかえったのだ」(p.105)と指摘し、「いわばデビルマンは、媒介者であることに絶望したアトムだった」(p.106)「戦争/革命の構図、つまり正義と悪の構図が死んだことの投影にも見えた」(p.107)とのべる。

「七〇年代、何度かの石油ショックがあり、日本経済は失速したものの、安定成長時代に入り、どんな田舎にいっても矮小な都会があるという風景の均質化が進んだ。/極端な工業化による公害の悲惨が報じられ、七三年には小松左京『日本沈没』が、七四年には五島勉『ノストラダムスの大予言』がベストセラーになり、終末論がはやったが、当時の私(夏目)は今さら何もおわるはずがないと思っていた。すでに何かがはっきりとおわってしまったのは、私にとってあまりにもあきらかなことだったのだ。ただ、何かがおわったはずなのに、目の前の都市風景にはどこにも廃墟がないという、不思議な錯覚のような印象が、終末イメージの根底なのだろうと感じていた」(p.108〜109)

 そして、彼は「宇宙戦艦ヤマト」を論じ、「高度成長期以降に生まれた人々にとっては、上の世代の『戦争』がおわったあとの普遍的『廃墟』こそが出発の地だったのだ。結果的にこの主題は、正義のおわった時代の要求する悲壮なロマンとして機能した。『廃墟』に可能なロマンは、破滅からの再生という一種の救済物語となった」(p.113)とのべた。

 夏目は「おわった」ものの実体を詳細には書いていない。

 だが、それはおそらく「正義と悪」の構図であり、ぼく的にいえば、資本主義と社会主義の構図、あるいは高度成長的な豊かさと貧困の構図、または戦後民主主義が規定した正義と悪の構図だったのだろうと思う。すなわち、近代の古典的なシェーマ、あるいは戦後日本の典型的な構図がそこでいったん終わったのだということだろうと思う(くり返すが夏目は必ずしもそう明示的には言っていない)。




「手塚的なるもの」とその退場

 夏目は本書のなかで、「戦後マンガの見取り図を提出」(p.124)している。

 それは大きくわけて、初期手塚治虫的ユートピアと、それをくつがえす逆ユートピアの廃墟、という二つだった。二つ、というより、くつがえされた70年代をひとつの画期とみたといっていいだろう。

 「宝塚モダニズムのユートピアと、『死』と向きあったニヒリズムを、逆説的に接合した」(p.125)初期手塚マンガ。それが七〇年代に「モダニズムのユートピアイメージに現実が追いつきつつ」(p.125)あるなかで「正義と悪の理念類型は少年マンガのなかで死に、逆ユートピアとしての廃墟が出発点になった」(p.125)。そして「以後ユートピアと廃墟をめぐる反復は、マンガの定番娯楽としてくりかえす」(p.125)というのだ。

 夏目は本書の中でさまざまな漫画を題材にして、そこにさまざまな戦争観をみているのだが、まったく雑駁に彼のつくった概念史の流れをしめすとしたら、上記のように「手塚的なもの」を巨大な潮流とし、それが70年代に力を失っていくというふうにみているのだとぼくは読んだ。

 それは戦争体験にささえられた戦後民主主義と、その効力の衰退という現実史に対応している


 現実には、日本では、70年代は革新の高揚期であり、公害や高度成長破たんのオルタナティブとして左翼が依然力をもっていた時代である。社共を与党とする革新自治体に日本の人口の半分が生活していたのが70年代だ。「社会主義」のマイナスイメージが破滅的なほどに浸透するのは80年以降で、そこに10年のタイムラグがあるのである。



 くり返すが、夏目は直截には手塚的なるものを戦後民主主義的なものとは述べていない。あくまでぼく、あるいは通俗的な解釈である。読売新聞記者だった吉弘幸介も次のようにのべている。

「手塚マンガは、作品の中にテーマ性や主張を打ち出した最初のものであったといっていい。それが『戦後民主主義』に影響された『人類愛』であり『平和主義』であり『理想主義』といった時に図式的になりがちなものであったとしても、大衆にそうした意識を定着させたのは手塚マンガであろう。/『鉄腕アトム』が人気をよんだのも、そうした『戦後民主主義』への期待と信頼がうかがえたからではないか。晩年の作の『アドルフに告ぐ』も、『ヒトラーユダヤ人説』をモチーフ歴史の激動に巻き込まれていく人間の運命を描いており、この作品では、その期待と信頼にいくらかの揺らぎが感じられるとしても、基本的には、平和主義や理想主義に対する作者の思いは変わっていない」(吉弘『マンガの現代史』丸善ライブラリー)



70年代以後――戦争イメージの個人への内向

 夏目は70年代を「作家の層が戦争世代から戦後世代へ交代していく漫画の世代移行期」(夏目p.173)だという認識をしめしつつ、70年代以降においては「戦争」イメージが「個人のたたかいというリアリティと、自己否定的な心情によって内向する」(p.173)ものへ変化していったとのべる。「身体の外側」の戦争が「身体の内側」と結びつく。

 夏目は『新世紀エヴァンゲリオン』をその一つの例にあげる。「エヴァは、おそらく主人公たちの身体感覚の拡張であり、その苛立ちを暴力にかえて叫ぶ装置なのだ。ここには、日本の戦後マンガとアニメが抱えてきた身体イメージの現在が表現されているようにみえる」(p.170)。
 ちなみに、『エヴァ』もやはり「セカンド・インパクト」という破滅のあとの物語である。

 たしかに高橋しん『最終兵器彼女』でも外側の戦争はあっさりと内面の葛藤へと変換されてしまうし、何よりも現在のヲタクの一部分が排外的なナショナリズムと親和的であり、自身の内面のアイデンティティと現実の国家の強さをあっさりとダブらせてしまうという、だらしない現実への越境をしているのをみれば、夏目のいうこともうなずけるというものである。

 そういえば、『マンガの道』(ロッキング・オン)のなかで漫画家の小池田マヤが「機動戦士ガンダム」を指して「人間ドラマにすごく惹かれたんです。ただのロボットアニメでカッコいいとかじゃなくって、その裏にある、血縁関係がもたらすものとか、男の美学がどうとか、あるじゃないですか。根本に復讐劇があって、でも話のメインはアムロの成長劇っていう」とのべていたが、「ガンダム」においてさえすでに「個人のたたかい」という内向ははじまっていたし、見た人たちにはそのように受容されていたのである。

 夏目は80年代以降をとくに次のようにまとめる。

「社会に侵食され、病んだ内向的身体イメージは、おそらく八〇年代マンガの中心読者層となった、六〇年以降に生まれた人たちに共通する内的感覚だと思う。この背後にあるだろう社会の閉塞感は、手塚的な生きてあることの倫理をすり減らし、戦争というテーマそのものを内向させてゆく」(夏目p.132)

 夏目は「社会の閉塞感」という言葉を使った。
 彼は、「個人への内向化」の背景にそれをみているのである。それは、先ほどのべたように、資本主義の未来にも「社会主義」の未来にも期待は持てずに、文明そのものへの懐疑の空気のなかで閉塞している社会状況に対応している。
 人間がつくった社会が人間には変えられないという悲観のうちに内向しているのだ。

 夏目自身、手塚的なるもの以後、すなわち70年代以降の漫画のおける戦争観を、これまた一様ではなくさまざまにあげるのであるが、「個人への内向」が結局大きな潮流であったと考えているのではないかとぼくは読んだ。


 かくして、夏目は手塚的なるものがメインストリームをしめた時代と、それが決定的に衰退していく70年代という転機、その後の「戦争イメージ」の個人内向化という歴史を描く。



おどろくほどにストレートな社会反映論

 夏目がのちに『マンガ学への挑戦』のなかで「マンガにおける『戦争』イメージによって戦後史をたどろうと試みた『マンガと「戦争」』で、私は表現論的な解析方法でとどかない主題を前に困惑し、自らが批判的な立場をとってきた〈マンガを時代・社会的変化の単純な鏡のように扱う、短脈[絡]的反映論〉…を、あえてとったと言明せざるをえなかった」(『挑戦』p.187)と告白したように、この描きようは、「漫画を社会のなかにおく」という方法をとるぼくがびっくりするくらいの、ストレートな議論である。

 ついでにいえば、夏目は『挑戦』のなかで「ほんの少し……違和感をも」った(『挑戦』p.184)という、もうひとつの手法である「私語り」(マンガを社会の中に置くのではなく、マンガ=自分として内在的に語る手法)の方法をも、この『マンガと「戦争」』のなかでは導入している。

 ところどころに、「私が戦記物に夢中になったのは……」(p.36)、「ダディ・グースのパロディは、私の内面でおこっていた混乱にとって、とても親しいものだった」(p.96)、「個人的な記憶を書く。七〇年代初期、森のようだった新宿西口公園が……」(p.108)などと、夏目の個人史が顔をだし、それとのかかわりで漫画が論じられる。


 すなわち、夏目の『マンガと「戦争」』とは、夏目自身の「戦争」観、もっといえば社会観の変遷でもあり、それが世の中全体の社会観の変遷とも重なっているという素朴な信頼に立って、その社会観の変遷を証明すべき漫画を――言い方をかえればその時代の「戦争」観を最もセンシティブに表していると夏目が感じた漫画のみをとりあげているのである。網羅的にとりあげずに「恣意的に作品を選んで直観の密度をあげる」(p.177)という夏目がとった方法は、つまるところそのようなものであるとぼくは読んだ。



漫画の独自性に光をあてるべきではないか――手塚と宮崎

 あくまで「戦争」という断面で切り取ったこと、選ぶ作品が漫画界の趨勢ではなく夏目の恣意であること、という点に注意しなければならないのだが、ぼくは、戦後漫画が世の中の社会観・「戦争」観とはややズレて展開されていたという、漫画の独自の自立性についてもっと光をあてるべきだと考える。

 それはやはり「手塚的なるもの」の存在感の大きさとその命脈の長さである

 世の中では戦後民主主義的なものが衰退をはじめても、手塚的なるものは大きな影響を与えつづけたのではないか。70年代に少年期をおくったぼくにとって、『ブラック・ジャック』(1973〜78年、断続的に83年まで)は大きな存在で、高校時代に自分の手書きのピノコを書いた下敷きをもっていて周囲から「あぶないやつ」といわれたほどであったし、思春期をすごした80年代においても依然『ブラック・ジャック』や『火の鳥』(太陽編は88年まで)、『ブッダ』(83年まで)、そして『アドルフに告ぐ』(82〜85年)はぼくに大きな影響を与えつづ、エリザ萌えのあまり、エリザの絵を中学時代の年賀状に描いて友人に出しまくったという恥ずかしい過去をもつほどである。

 手塚の漫画は戦争体験に強く裏打ちされ、生命の肯定とユートピア的世界像を力強く打ち出した点で、戦後民主主義に重なるが、一方で戦争体験に根ざす戦後民主主義の言説が一種の硬直をおこしていくときに、他方で手塚のもつ「厭世的でアナーキーな相対主義」(夏目p.21)や「異者同士の矛盾と和解」(同)といった独自の魅力が、手塚自身をたえずリニューアルさせ、70年代全体と80年代のある時期まで、日本の少年の多くを強い影響下におきつづけた。
 先にふれた読売記者だった吉弘は次のようにのべる。

「こうした声(アトムの影響で日本はロボット化が善としてとらえられ導入が早くすすんだという説)があがるほど、戦後日本人の意識に手塚マンガが影響を与えたのは事実だ。……一つの文化の分野で、手塚治虫ほど広範な層に影響を与えた人間は珍しいといっていい。その名を知らない、あるいは、その作品群の一部にすら触れたことのない日本人はほとんどないだろう」(『マンガの現代史』p.63〜64)


 そして、日本の少年たちにとってさらに特殊な事情は――もはや漫画から離れてしまうが――、手塚の後に来た大作家が宮崎駿だったことだ。1998年の段階で日本福祉大学・三重大学で学生682名にとったアンケートでは、日本映画のなかで「印象に残った映画ベスト3」をあげさせたところ、1位「もののけ姫」、2位「風の谷のナウシカ」、3位「天空の城ラピュタ」、4位「となりのトトロ」と、実写映画を抑えて宮崎作品が圧倒的な支持を得ている。
 ぼくのみるところ、宮崎は「手塚的なるもの」の批判的継承者である。この点、夏目も宮崎の『ナウシカ』について「手塚の『来るべき世界』が到達した重層した物語の正統」「かつて少年マンガがもっていた正義と少女マンガの清純の背後にあった善意の継承」「戦後マンガ的な倫理観を受け継いでいても、むろんおかしくはない」(p.136)とのべているとおりである。「アニメ版だけみると、ナウシカの無垢なやさしさと英雄的自己犠牲が目立つ」(p.135)と夏目がのべたように、それは「手塚的なるもの」を彷佛とさせる。少なくとも多くの若者たちを影響下においた「ナウシカ」は手塚的なものの流れのなかにあったとぼくはみる。宮崎が「マルクス主義ははっきり捨てましたからね」と雑誌「よむ」の中で表明したのは「ようやく」1994年である。

 すなわち、社会においては、戦争体験にもとづく戦後民主主義的な価値が衰退していく(※)なかで、手塚や宮崎の作品はむしろ全体の衰退に抗するかたちで独自の魅力を展開しながら、たえず再生してきたのではないかということである。
 

 したがって、夏目がとりあげたテーマに戻れば、漫画における「戦争」観は、実は影響の大きさという点で「手塚的なるもの」をそうたいして動いてはいないのではないか。それは手塚や宮崎がすばらしい創作者であったためだという平凡な結論にゆきつく。

 日本においては、手塚と宮崎という戦後民主主義的系譜を強く引きずる人々が強い影響を保ちつづけたところに、漫画(いや、片方はもうアニメだけど、夏目もアニメ「ヤマト」を引き込んで論じているので許してくれ)の自立性という点での特殊性がある。
 そして左翼であるぼくからみると、論壇的な戦後民主主義の言説が失効しても、そんなものなんかどうでもいいというくらいに、はるかに生きた「言葉」で多くの日本人にとって教養として息づいてきたという事態は、ありうべからざるほど幸福な事態であったのだと思うのだ。

 




※あくまで戦争体験にもとづく戦後民主主義的な価値の衰退であって、日本において一路民主主義が後退していったとか、平和憲法支持が消滅していったとか、そういう話ではないので、誤解なきように。

講談社現代新書
2005.4.3感想記
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