田渕由美子『まらそんノススメ』



 マラソン、というか持久走一般については、ぼくは他の人よりも特別な感情がある。


 第一に、「スポーツが苦手」という意識をもっているなかで、唯一得意、とまではいかないが「意外とイケるかもしれない」という感触を持っている種目だからである。
 これは学校の体験によるものだ(ゆえにフルマラソンではなく、単に数キロの持久走のことである)。
 前にも書いたけど、勉強は田舎の小中学校のなかではそこそこデキた人間であったけれども、「体育」はカラきしダメで、通知表に体育だけが無残な結果で記された。
 ゆえに、「自分は運痴である」という観念が根深く植え付けられていた。

 しかし、これをゆるがせたのが、小学校5年生のときにあった「持久走大会」で上位になったことだった。といっても、学年80人程度の中で11位なのだが。だが自分史においては大事件だったことは疑いない。教師も驚いたようだった。
 一番驚いたのは自分自身で、スポーツというものはどうやっても自分は苦手なのだという観念をイイ意味で動揺させることになった。「得意」になれる可能性のあるスポーツの分野があることを発見したのである。
 以後、中学になっても率先して「マラソン大会」(実際は数キロしか走らないが)などに出たりした。あまり結果は芳しくなかったけど、それでもなぜか「自分は持久力がある」という観念は崩れなかった。


 第二に、東京にいたときの職場では、けっこうマラソンをやっている人が多くて、直属の上司がかなりのマラソン好きだったことである。そして、実際に「やってみないか」と誘われて、始めることをまじめに考えて準備までしたという経験があるのだ。結局実現しなかったが。

 前の職場の40代〜60才くらいまでの人のあいだでマラソンがさかんで、休み明けなどは、それらの人々が「おー、きのう、かすみがうらマラソン出た!?」「タイムは?」などという会話がとびかっていた。
 上司も年賀状にタイムなどを書いたりしていて、かなりの凝りよう。
 昼休みに思いついたときは、近くの公園を走ったりしていたほどである。

 それで、やってみないかと勧められたのである。

 ぼくはあまり太ってはおらず、おそらく体重的にみるとむしろ「やせ」の部類に入れられると思うのだが、不健康な生活なのでハラが出ている。それを引っ込ませたいという願望が常にある。ゆえに、この上司の誘いにかなり魅力を感じたわけなのだ。



まらそんノススメ さて、そんなわけで、本書『まらそんノススメ』は、漫画家である田渕由美子が、自分がマラソンを始めるまで、そして始めてからの体験を通じて、タイトルどおり、マラソンをやってみようじゃないかと勧める本なのである。女性漫画誌「コーラス」に連載されていたように、前半の1/3は田渕のマラソン体験エッセイ漫画となっている。
 そして、これを読むぼくは、おそらく一般人がこれを読むのよりは、少しは「マラソンをしてみようかな」という人間の気持ちがわかるという立ち位置にいるのである。


 マラソンをやらないか? と誘われて一番躊躇することは何か?


 ぼくにとっては、「42.195km走れるようになっている自分」というのがまったく想像できなかったことである。上司には「まずハーフ(約20km)からやってみようよ」などと誘われた記憶があるのだが、それすらも想像の限界を超えていた。

 以前、町田から小田原まで約40kmほどを炎天下1人で歩いたことがあるのだが、朝から晩まで歩いて文字通り足が棒のようになり、クタクタになったことを覚えている。「これを走るだって!?」と想像してしまい、「ムリ! 絶対ムリ!!」と感じたのである。


 本書の最大の魅力は、このマラソンへの躊躇の急所をついていることである。

 「なにがワタシを走らせたか!?」という節で、5キロや10キロならわかるが…という声や、1キロだっていやだという声などを紹介した後、田渕自身の体験をのせている。
 すなわち、〈おっかなびっくり2キロくらいから週2〜3回の頻度で走り始めたが、最初は近所の川沿いの遊歩道(片道1キロ)を1往復しただけで苦しかった〉とある。

〈42.195キロも走り切るなんて
 うそ マジ?
 というのがこの頃のワタシ〉

という感想を田渕はもつのである。

 わかる。
 非常によくわかる。
 2キロで死にそうに苦しくなる、というのがいかにもありそうな感覚で、そこから42.195kmなど絶対に想像できないのだ。


 マラソンへの挑戦を決意する/挫折する、ということのポイントは、この飛躍を理解できるかどうかにあるのではないかと思う。
 そして、この節の田渕体験談はそこをきわめて正確に突いているのである。


 ここで重要な役割を果たすのが編集者の〈やまぴー〉で、かなり強引にマラソンに田渕をひきずりこんでいき、〈とりあえずハーフマラソンにエントリーしましょう タブチさん!!〉などと勝手に話をすすめていくのである。


 その結果、田渕はハーフに出るのであるが、

〈息もたえだえ 全身ロボコップ状態 タイムは2時間10分 かろうじて歩かず走り切った〉
〈フルマラソンて… これをあともう1回 うそマジ? 死んでも無理…

とぼろぼろになってゴール。
 次の節で、田渕はこの「ボロボロのハーフ完走」と「フルマラソン完走」戸の間に横たわる絶望的な深淵に不安をめぐらせる。


 ぼくなどは、その深い深いミゾは「練習を重ねる→体がだんだんできてくる→2〜3回ぐらいハーフ→次は30kmぐらい→さらに練習を重ね……」などというふうに埋めるしかないのではないかと思ってしまう。思考が非弁証法的というか、ダイナミックではない。
 しかし、田渕は違うのだった。

 いきなり次にフルマラソンに挑戦してしまうのである。

 フルマラソンの体験について田渕は25キロまではなんとか走ったのだが、そこからしばらくして、いきなり足が動かなくなったという。
 このあたりの苛酷な状況を田渕はつぶさに描いている。
 歩くのもふくめてなんとかゴールをめざした様のあまりの凄惨ぶりに、ぼくは「やっぱ、マラソンなんて覚悟がねーとできねーな!」と思わずにはいられなかった。いや、マジでそう思いました。

 そしてついにハワイでのフルマラソン挑戦となっていくのである。このあたりについては読んでのお楽しみだ。

 なるほど、2キロ走っていてゼーゼーいっている「運痴」が、どのようにしてフルマラソン完走へといたるかはリアルにわかる。しかも、さもありなんというプロセスを経てそこへたどりつくので、ある覚悟さえあれば自分にもできるかも、という気にさせる。

 そういう意味では、この本は「マラソンをやってみようかどうしようか」と迷っている人が背中を押してもらうための本であると思った。「2キロゼーゼー」と「フルマラソン完走」をつなぐという役目は、実はすでにマラソンを始めている人に聞いてもあまり出てこない話で、まさにそれは本書でしか果たし得ないと思う。




 本書はそうは明示的に語ってはいないが、暗にはっきりと(←この言葉は変だが)主張していることがある。
 それは「有力な走り仲間を持て!」ということだ。

 本書で実は田渕の牽引役になっているのは、明らかに編集者の〈やまぴー〉こと山本である。

 げんに田渕は、〈一緒にやりましょうタブチさんっ!!〉と山本が(強引に)誘って、〈すっかりその気になったのが決め手〉と書いている。そして、さっきのべたように強引にハーフ出場を決めたり、ハワイでの大会出場をお膳立てしているのはすべて山本である。

 山本がいなければ田渕は走っていただろうか、とさえ思う。

 田渕といっしょに出場したり走るのはもちろん、実は本書も第2章以降の文章は山本が書いているのである。全体の2/3は山本の文章が占めており、その入れこみようや熱意からして、本書は田渕と共著にしてもいいほどだと思った(笑)
 山本が書いている箇所では、マラソンをやるうえで準備するグッズや体操、心構えのほかに、「毎日走ってるの?」「走って何が楽しいの?」「ダイエット効果は?」「何時間も走って、退屈しない?」など、いかにもマラソンをやっていくうえで出てきそうな疑問にいくつか答えていて、興味深い。

 話を元に戻すと、このような「仲間」がいて、初めて走ることを発展させたり持続させたりできるのではないか、というのが、ぼくの疑問というか感想だった。
 ぼくの前の職場で走っていた人たちも、いっしょに走るサークルや仲間などをつくっていることで、楽しみながらやっていたし、そもそもぼくが走ろうかという決意に近いところにいくためには、やはり上司の存在がなければありえなかっただろう。一人で決意するのはなかなか困難じゃないかな、と思うのである。

 本書は新聞などでいくつかレビューがあったようだが、いずれも走ってみようかな、と心動かされたというふうにある。しかし、実際に走ってみたかどうかは定かではない。
 おそらく、この本の訴求対象は、まさに走ろうかどうしようかと悩んでいる人や一定の意欲をすでに持っている人ではないかと思うのである。まったく何も考えていなかった人が、本当に行動にまでいたるかどうかは未知数のところがある。
 いや、実際にいるかもしれないので、そのあたりはホントに何ともいえぬのだが。

 あのとき走ろうかどうしようか迷っていたぼくに、上司がこれを見せてくれていたら、ぼくもいまごろは「ハマッて」いたかもしれないのだ。





集英社
2006.11.6感想記
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