日中韓3国共通歴史教材委員会
『未来をひらく歴史』




未来をひらく歴史―日本・中国・韓国=共同編集  「新しい歴史教科書をつくる会」の「歴史教科書」にたいする危機感をきっかけに、日中韓で歴史認識を共有させようということで2002年に試みがはじまり、討論や議論を重ねて一つの形を得たものだ。アジアでは日韓など2国間の試みはあるが、3国のものは初めてである。

 こうした国をこえた歴史共有の試みは、第二次大戦後ドイツ・フランス間、ドイツ・ポーランド間ですでに成果を得ている。
 ドイツでも、とりわけポーランドとの間に国境問題が存在し、二次大戦の終戦前後に凄惨なドイツ人強制移住の歴史があっただけにポーランドとの歴史共有には猛反発がおきた。とくに「共産主義独裁国家との自由な歴史観共有はありえない」という主張がさかんにおこなわれた。
 しかし、1980年初頭にはこうした批判は沈静化し、試みは成功をおさめてきたといってよい。



戦争の反省という問題にとどまらない自国史超克の試み


 ドイツと日本という二つの国がとりあげられるのをみてもわかるように、歴史認識の共有は、直接は侵略国家・加害国家が、被害を受けた国々などとの間でどうその侵略や残虐行為などの歴史認識を共有しあうか、という問題として直接は提起されてきた。

 しかし、歴史認識の共有は、そうした問題にとどまらず、近代の国民国家の狭い枠をこえていく試みというさらに深部の問題へとつながっていく。

 国民国家が自国の歴史を描くのは固有の権利だ、という主張は古くからある。

「生存競争のなかで自己を主張するために歴史から武器を鋳造することは、あらゆる民族の権利である。(中略)どの民族にとっても、歴史は民族の英雄の歌曲である。ある民族にとっての英雄は、他の民族の英雄ではありえない」(ナチ時代のドイツの歴史教育組合の機関紙『過去と現代』より=※1参照)

 その限界をこえる試みとして、歴史認識の共有は、ヨーロッパではすでに第一次世界大戦前から提唱されてきた。ドイツにおける試みは、いまや2国間の歴史共有をこえて「ヨーロッパ史」を展望するところまできているという(近藤孝弘『国際歴史教科書対話』=※1。ただし筆者は安易な「ヨーロッパ史」編纂には批判的)。

 このあゆみは、ドイツでは、ドイツの反省、ヨーロッパ共同体の形成と響きあうようにすすんできた。侵略や非人道行為の反省だけでなく、国民国家の狭い枠組みをこえた広がりにまで発展していくという可能性をもつ事業である。

 それゆえに「新しい歴史教科書をつくる会」が「安易な歴史認識の共有などあり得ない」とその創設声明で声高に叫び、自民や民主の政治家などがそれに似た発言をしているように、歴史修正派にとっては、たんに侵略への反省云々にとどまらず、国民国家の固有の権利の消滅、まことにおそるべき所業、自分の足下が崩壊するかのような目眩を感じる試みなのである。

 ぼくは、(1)侵略戦争と植民地支配にたいして自国の狭い認識の枠組みをこえる、(2)さらに根本的には歴史そのものを一国の狭い枠から解放する、という試みの第一歩が開始されたという点においてまずは高く評価したい。



本書を2点から批判する


 最初に、二つばかり批判点を書いておきたい。

 ひとつは、これはサブタイトルにあるような「東アジア3国の近現代史」の網羅では到底ない、ということである。冒頭の「読者のみなさんへ」で「3国の近現代史をもれなく扱った本」だと書いているが、およそ、「もれなく」という記述ではない。
 日本がおこした侵略戦争と植民地支配の叙述を軸に、それがどのような内発的法則によってみちびかれたか、その後、この爪痕の始末はどうつけられたのか、という記述が中心である。
 ネットでもこの種の批判があり、これはその批判のほうが正しいと思う。
 はじめから、「戦争史」のようにして限定すべきだ。

 なお、この点にかかわって、「教科書として使えない」式の批判をしているサイトをしばしばみかけるが、委員会の名前が「歴史教材」とされ、「あとがき」でも「歴史副教材を開発するため」とのべているように、教科書化することを目的として書かれた本ではない。だから、教科書としての不備を批判するのは的外れである。


 もうひとつは、第一のコロラリーであるが、中国・韓国の歴史叙述が「自国史」の限界をどこまで越え得たのかということへの懐疑である。

 今述べたように、日本の侵略戦争と植民地支配を軸に叙述をした以上、日本側にとっては、自国一国の歴史観の限界をさまざまな角度から明らかにされる機会になっているが、中国や韓国の歴史にたいしてはその一国史の限界をツッコむ基準というか、目標というか、動機がなくなってしまう。

 具体的にのべよう。
 第4章第1節「3国の新しい出発」の「3. 中華人民共和国の成立」の箇所だ。
 侵略国日本を追い出し内戦をへて「新中国」が誕生したことがさまざまな肯定的インパクトを生んだことは理解できる。たとえば「(新中国の誕生は)帝国主義に抑圧されてきた国々に希望を与えました」「新中国の成立後、土地改革によって農民は土地を獲得し、労働者たちは自分たちで工場を管理するようになり、働く人々の社会的社会的地位が大きく変化し、労働意欲が高まりました」「中国の少数民族は漢族に比べて人口は圧倒的に少数ですが、生活条件、教育の機会は漢族と同等に保障され、少数民族の言語や風俗などの文化も保護されて、発展しました」などの叙述がある。これらは、たとえば「文革」に厳しい批判をしている『ワイルド・スワン』を読んでも新国家の誕生が草創期ならではの楽観と希望に満ちていたことが伝わってくるように、ある程度理解はできる叙述である。
 そして、「戦争」を軸にした歴史の場合、外国帝国主義をすべて駆逐してできた中国の解放感をこういう角度から叙述することも、わからなくはない。
 しかし、では戦争や外国支配の結果、おくれてきた経済発展をとりもどそうと、毛沢東が無謀な「大躍進」政策を号令し、農業に壊滅的な打撃を与えた問題などは叙述してもしかるべきではないかと思うのだが、そうした中国の紆余曲折はほとんどふれられていない

 それは「中国の悪いところも書け」という報復主義ではなく、戦争の傷跡から立ち直ろうとする焦躁が生み出す悲劇としてきちんと見据えるべきだと思うからである。
 韓国の戦後の叙述についても似た不満がある。



本書の特長(1)――各国の主張の狭さをこえる


 以上のように、3国の近現代史の網羅としてこの本を眺めると、不備や限界を指摘せざるをえない。しかし、日本がおこした侵略戦争や植民地支配を、一国の限界をこえて見つめ直す歴史教材だというふうにわりきって考えると、この本の特長がいくつか浮かび上がる。

 第一に、侵略戦争や植民支配を歴史の事実としつつ、そのなかでの歴史認識については、相互に批判や検討をくわえて、各国の自説の狭さを超えようとしている点である。

 たとえば、中国では、南京事件の犠牲者数は「30万人」としていて、それが定説のように語られている。しかし、この本の日本側の執筆者の一人である笠原十九司が30万人説は現在のところ証明する根拠がないとして、笠原はそれを中国側の「民族ファンタジー」だと退けている(別の論文で)。
 『未来をひらく歴史』でも、30万人説はとられず、十数万から20万人以上という説を採用するにいたっている。

 同様に、韓国にたいしても、1910年の「韓国併合」について、意見の違いをそのまま載せている。「研究者の間では、1905年の条約(第二次日韓協約)締結が強制によるものだということついては、ほぼ共通理解が得られています。ただし、『併合』以後35年間に及んだ植民地支配が、国際法から見て合法的な状態にあったのか否かという問題に関しては、意見が異なっています。韓国の学者たちは不法と見なしていますが、日本の学者たちの間ではまだ結論が得られていません」(p.65)。



本書の特長(2)――朝鮮植民地支配の動的描写


 第二に、朝鮮に対する植民地支配の叙述が動的で、立体的に像を結ぶことができることである。

 ぼく個人のことからいうと、そもそも朝鮮に対する植民地支配というのは、南京事件や「慰安婦」問題のような事件性が乏しいため、実はそれほどはっきり認識をもっていたわけではなかった。せいぜい、強制連行や「創氏改名」、皇民化教育などである。したがって、知識としての事実を知るだけでも、日本の中高生には大いに勉強になるに違いない。

 植民地政策については第2章にくわしい記述がある。
 「1. 憲兵警察統治」のところの小節タイトルは「朝鮮総督は絶対権力者だった」「出生から墓場まで憲兵警察の手に」。
 「2. 『文化政治』の実像」のところの小節タイトルは、「武断政治から『文化政治』へ」「見かけだけの『文化政治』」。
 「3. 経済政策と収奪」のところの小節タイトルは、「土地調査事業の実施」「産米増殖計画と米の収奪」「朝鮮会社令とに本の植民地産業政策」。
 「4. 教育文化政策」のところの小節タイトルは、「高等教育は必要なし」「日本語と日本歴史を教えよ」「朝鮮の歴史をゆがめる」。

 圧巻と思えるのは、朝鮮側の抵抗運動についてくわしくふれていることである。
 別の論文で、日韓二国間で学生同士が交流をする話を紹介していたが、韓国側の学生はしきりと「ユン・ボンギルは日本ではどう評価されているか」と聞くのだが、日本の学生はまったく答えられないのだ(ユン・ボンギルは、1932年に上海で日本軍の祝賀会で爆弾を爆発させた人物)。

「これ〔被害国ポーランドの抵抗運動を正当に評価すること〕は、単に自国の暗い過去を率直に見つめようとする態度からは出てこない要求であり、国内的な努力では問題の存在自体に気づくことが難しい性質のものである。/加害者にとって、自らの歴史に対して反省的であることは実は相対的に容易なのであって、本当に難しいのは被害者の立場から歴史を捉えることなのである。被害者の視点から歴史を理解する際には、自らの加害の事実を認識することは最低限必要だが、それだけでは十分ではない。そこでは、被害を受けた側の主体性を確認することが要求される」(近藤前掲書)

 この叙述によって、朝鮮側の内発的なエネルギーがしめされ、それとのかかわりで日本の支配政策の変化など動的な歴史像を形成することができる。

 また、朝鮮だけでなく、中国や東南アジアの抵抗運動も豊富に叙述され、山田敬男は本書のその要素を指して、「新しい歴史教科書をつくる会」などの垂れ流す「植民地支配からのアジアの解放」という戦争の「大義」への「根本的批判」だとのべている(※2)のは、当を得ている。

 立体的という点では、植民地における「経済発展」と「経済政策」を詳述していることも重要である。「つくる会」の「歴史教科書」では、“日本は朝鮮の開発と発展に尽力した。その過程でさまざまなマイナス面があった”式の叙述になっている。
 本書は、この叙述にたいして、否定的な事実をただアンチテーゼでぶつけるのではなく、植民地下での発展を描きつつ、日本の経済政策が朝鮮収奪の意図のもとにおこなわれ、そのもとでさまざまな困難が朝鮮の人々を襲った事実を描こうとしている。つまり、「つくる会」側の叙述を全体像のなかの「モメント」に落とそうとしているのである

 たとえば、“日本は朝鮮で灌漑施設をたくさんつくり、土地の肥沃化、米の増産に寄与した”という意見を意識して、本書ではこの問題は、次のように書かれている。

「日本経済は、第一次世界大戦をきっかけに急速に発展しました。急激な工業化によって都市の労働者が大きく増加し、物価が上昇しました。米の価格も上がり、1918年に全国的な“米騒動”が起こると、日本は朝鮮総督府に『産米増殖計画』(1920〜34年)を立てさせました。/産米増殖計画は、大規模な貯水地や水路などの灌漑施設を作って土地を肥沃にし、米穀生産量を増やすことを目的としました。しかし、米の生産増加量よりも輸出の増加量のほうが多く、むしろ朝鮮人の一人あたりの米穀消費量は減少しました。…中略…米の種出によって地主の経済力はいっそう強くなり、一方、農民の立場はいっそう悪化しました」

 また、日本の支配をうける前の両班(ヤンパン)中心の朝鮮社会についても、そのなかで改革や発展の内発的エネルギーがどう発揮されていたかという点も理解できるようになっている。



本書の特長(3)――「なぜ侵略したのか」への回答


 第三に、「なぜ日本は侵略したの」という問いへの回答である。

 「つくる会」の歴史教科書は、たとえば朝鮮の植民地支配や日露戦争の原因を、“ロシアの地政学上の脅威”への対処として描き、太平洋戦争についても「自存自衛の戦争」だったという当時の日本政府の言い分をそのまま叙述している(2006年版)。たとえばこうである。

「日本政府は、日本の安全と満州の権益を防衛するために、韓国の併合が必要であると考えた」「日本は米英に宣戦布告し、この戦争は『自存自衛』のための戦争であると宣言した。日本政府は、この戦争を大東亜戦争と命名した」

 前述の山田は、本書の感想の第一に、「日本の近代化の推進力になった対外膨張主義の歴史的意味が明確にされている」ということをあげ、「アジアにおける帝国主義的秩序形成の推進力が日本の対外膨張主義にあること」を系統的に明らかにしていることを評価している(※2)。この指摘がぼくは的を射ていると思う。

 本書では、たとえば、「欧米列強の圧力と3国の対応」という説のなかで、近代化をめざす明治政府の姿勢について、「新政府がすすめた近代化」という小節のあとに「欧米に学べ――富国強兵の道」という小節を設けて、次のように叙述する。

「この使節団(岩倉使節団)には、近代日本が歩もうとした道がよく示されています。アジアを抜け出して、西洋の強国の仲間に入ること。それは、西洋よりもアジアは“遅れている”と考え、“進んだ”日本がその下にアジアを置こうとする道につながるものでした」

 その思想の具体例のひとつとして、本書は福沢諭吉の『文明論之概略』をあげる。「西洋は文明、アジアは半開、アフリカは野蛮だと書き、文明は野蛮から半開、半開から文明へとすすむのだから、日本は西洋を手本に文明化をはかるべきだと強調しました」(p.30)。「つくる会」教科書にも欧米に追いつけという思想があったことは叙述しているが、これがアジアにたいする膨張や支配と連関していることを、本書は記述している。

 このあとも、たとえば満州における日本資本の独占ぶりを「日本資本による満州経済の独占」などで詳述し、日本人移民のための土地収奪、食料の強制挑発、強制労働などを描き、日本が満州を収奪することで近代化=日本資本主義の発展、矛盾の転嫁をおこなっていた様子を立体的に描いていく。
 「1920年代末以降の経済不況により、農村は極度に窮乏化していきました。農村不況の打破は、中国大陸への侵出をめざす日本軍のスローガンのひとつとなりました」という叙述とあわせて読めば、さらに豊富化されるだろう。

 すなわち「なぜ侵略したのか」という理由を単相でしめさずに、諸要因の複合として立体的に描こうとする。あえてそれを一言でいってみせれば、まさに山田のいうように、「日本の近代化の推進力になった対外膨張主義」という言葉でくくられるものなのである。



左翼の劣化コピーとしての「つくる会」


 「なぜ戦争をおこしたの」という問いを、当時の政府の説明でのりきろうとする「つくる会」の試みはリアリティを欠く。「キレイナ政治ヲススメマス」と公衆の面前できれいごとをいう政治家のタテマエ言説のたぐいを、ふだんは信じないのに、なぜだが先の戦争にかぎっては鵜呑みにしているような白々しさがある。
 たとえば「ファッショ側(日独伊)も反ファッショ側(英米仏)も帝国主義の利権争いである」という言説のほうが、はるかに生々しいリアリティの響きがある(ぼくは単純にそう思っているわけではないが)。
 「ファッショ対反ファッショ」という二次大戦の主要な側面を、あえて「善と悪のたたかい」だと一面化してみせて、そのシェーマの「一面性」に攻撃を加える、という批判の方法が、むかし左翼の一部にあった。左翼出身者がいる「つくる会」の批判は、その方法の劣化コピーである。
 ただし、「つくる会」の場合、対案として持ってこようとしている歴史観が、これまたリアリティのない「解放戦争」「自存自衛戦争」という「きれいごと」なので、むかしの左翼の一部がやったような露悪的なリアリティを獲得することはないだろう。権力の後押しでもなければ、長続きしそうにない無理のある試みなのだ。


 るるのべてきたが、最初にのべたとおり、本書は不備や限界はありつつも、歴史認識の共有をスタートさせ、それを形にした記念すべき第一歩として、高く評価していることは重ねて指摘しておきたい。これをこえる歴史認識共有の試みが一刻も早くうまれることを望むものである。




※1:近藤孝弘『国際歴史教科書対話 ヨーロッパにおける『過去』の再編』(中公新書)
※2:しんぶん赤旗2005年7月15日付


『日本・中国・韓国=共同編集 未来をひらく歴史 東アジア3国の近現代史』
日中韓3国共通歴史教材委員会 高文研
2005.7.30感想記
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