こうの史代『長い道』



長い道  「ほのぼの」という粉飾をしながら、出発している地点は実はなかなかにシビアである。
 1話がわずか3ページか4ページに夫婦の生活が描かれているのだが、この夫婦は形式だけの夫婦だという設定で始まる。

 夫である荘介(そうすけ)は、第一話目から、よその女の匂い、髪の毛、口紅をつけて帰ってくる男だ。女好きであるだけでなく、ギャンブル狂なうえ、無職。カネのためなら女房も質草に入れようとする。
 他方で、妻である道(みち)は、二人の父親がたまたま居酒屋で意気投合したから息子と娘を結婚させようというはこびになって、突然荘介のもとへ「送られて」くる。しかも、道には実は思い人がいて、その人に会えるかもしれないと荘介のもとへ身一つで嫁いでくるのである。

 いや、最初にのべたように、「ほのぼの」という体裁と、要所要所にさしはさまれるとぼけたギャグが、この苛酷なはずの設定を中和しているのだが、よくよく考えれば、ものすごくシリアスな設定なのだなあと思いを致す。

 一つひとつのエピソードでも、「ほのぼの」に行きかけると、こうの史代は必ず辛辣に落とす。
 1千万円の賞金をめあてに漫画を懸命に描く荘介は「これで道にもちょっとはラクさせてやれるかな……」としみじみ言った後、「きれいなお手伝いいっぱい雇って実家に帰らせたりしてなぁ」とつぶやき、ウケケケケケケと笑うとか。

 ちょうど落語の「厩火事」()を随所でくり返しているようなものである。

 思えば、ぼくらは生まれたときから、まず内実(恋愛)が生まれ、やがて形式(結婚、カップル)へと結実するという物語にとりかこまれて生きている。
 しかし、ひと昔前であれば、形式が先にあり、内実があるかどうかは必ずしも不明であるということが、むしろ普遍的だったことは、よく知られたことである。

「終戦後、養子を迎えた昭和2年生まれの話者(女性)によれば、見合いの時は、相手が父親と話をしているところに、着飾りもせず『こんばんは』と言いに行っただけで、顔もよく見なかったという。2〜3日してからどうするかと聞かれ、黙っていたら『娘もいいと言った』ということにされて結婚が決まってしまった。結婚は親が決めるもので、終戦後は男の人が少ないときでもあり、他に心に秘めた人がいても娘の意見は通らなかったものだという。また、正式な見合いはなく、若者が娘の姿をこっそり盗み見て話を決めてしまうこともあった。安城市根崎町から天竹町に嫁いできた話者(明治34年、女性)は、ミカン畑でミカンをちぎっているところを若者が見に来て、それが見合いの代わりだったという」

(愛知県総務部『愛知県史民俗調査報告書2 西尾・佐久島』)


 「はじめに恋愛ありき」――このパターンの洪水の中で育ったぼくらは、こうの史代がくり出す、人を食ったような破調によって、パターン的な恋愛の感覚を狂わされてしまう。いつしかぼくらは、道という女性を「好きに」なっているのではあるまいか。

 それは、「萌え」などということとは違う。
 まるで死んだカエルの足が電気に反応してピクピクと動くように、萌え要素を注入されて萌えの感情が惹起される「キャラ萌え」ではなく、道がみせる意外さや多面性に、すっかり魅せられてしまうのである。ぼくはいま、実在している道という女性に恋しているのだ!(あぶねー、とかいうな)

 「荘介どの それをみてごらん」といって、心の底からにこやかに預金通帳をさしだす道は、いとおしくはないだろうか。
 募金に寄付をする荘介に大げさに驚く道は、かわいくないだろうか。
 ブラコンの園子(荘介の妹)の毒気を笑って吸収してしまう道は、健気ではないだろうか。
 雨のなかで本当に思う人のことを突如決然と告白する道の表情に、はっとしないだろうか。
 酒に酔った勢いでセックスして後朝に荘介と驚きあってしまう道の姿は、生々しくないだろうか。
 
 
 「ふたりの関係はいつわりであり、何もない空洞なのだ」という地点からスタートしたはずの物語のなかで、たえずギャグではぐらかされながらも、次第しだいにふたりの生活の底に「なにか」が生まれつつあるのを読者は確実に感じとることができる。江戸時代とか昭和のなかごろまでの夫婦のように、まず形式があって、いっしょに暮らすうちにじわりじわりと、「」がわいてくる(「愛」ではなく)。そこにこの物語の、奇妙なリアリティがある。

 最終話にちかい「秋の空」というタイトルの話のなかで、ふたりがキスをするシーンが大きめのコマで描かれる。
 これは美しい。実に美しい。
 いかにもさびしげにかかれた周りの風景。空さえも曇っている。
 そのさびしげな風景のど真ん中に、キスをしている二人がいて、その鮮烈なコントラストによってこのキスのしあわせさや美しさが浮き彫りになる。人生にこういう瞬間が一度でもあれば一生それを抱いて生きていけそうな気さえする。


 あー、道と暮らしたい。どうすればいいんでしょうか。
 つれあい、すまん。ぼくにはもう道という女性が……。

 




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※「厩火事」……妻に働かせて自分は遊んで酒ばかり飲んでいる髪結いの亭主。その真情をはかりかねた妻が、亭主の大事にしている皿をわざと割って亭主の反応を試すという落語。皿が割れた直後、皿のことは一言もいわずに妻を気づかう亭主に「そんなにあたしが大事かい?」と聞くと「あたりめえじゃねえか! お前に怪我でもされてみねえ。あしたっから、あすんでて酒が飲めねえ」と落とす。しかし、「厩火事」でさえ恋愛結婚なんだよな……。

双葉社
2005.8.20感想記
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