矢沢あい『NANA』



Nana (Nana) 矢沢あいの『NANA』を「しんぶん赤旗」のコラムでとりあげさせてもらった。
 これだけウケている作品だから、「どう受け入れられているか」「なぜウケているのか」という「受け手論」で扱うのが一番いいだろうと思い、愛好者にアンケートをおこなって、それをぼくが『NANA』から読みとったものを重ねる、という方法をとった。

 実は、ぼくのあと日曜版で1ページの『NANA』特集が出て、さらにそのあと日刊紙で似たような特集が載り、どれも似たような分析・記事になっていた。
 日付的にはぼくが一番先になったが、おそらく記事の準備はまったく同時平行だったのではないだろうか。ぼくは記者ではないので、そのへんの事情はよく知らないのだが。結果的に字数が圧倒的に少ないぼくのコラムは一番うすいものに……orz

 ぼくが感じとった『NANA』の「ウケている要素」は、以下の3つである。

(1)絵柄やセンスの先鋭さ
(2)対照的な二人を配することで、それぞれの生き方が浮き彫りにできる
(3)友情や絆の強さ

 これは、アンケートの結果得られたものなどに重なっていた。



(1)絵柄やセンスの先鋭さ


 たとえば、ぼくが得た回答には次のようなものがあった。
  • 「とにかく面白い。登場する男のセリフが恋愛の参考になる」(24歳・男)
  • 「『レン』のモデルとなったセックスピストルズの『シド』に対する憧れから読みはじめたけどはまった。レンのほうがかっこいいくらい」(27歳・男)
  • 「登場する男性が全員かっこいい。それぞれの趣味はあるがみんなかっこいい。読んでいると幸せな気分になる」(29歳・女)

 また、ぼくがコメントをすることになった「われら高校生」紙では、次のような高校生の街頭インタビューが載っていた。

  • 「絵がていねいで好き」(高3・女)
  • 「絵がかわいい」(高3・女)

 藤本由香里は「進化する矢沢あい」という論文(※1)のなかで、矢沢の絵柄の変化というか「進化」について触れ、ページごとに影響作家の色合いが出て不安定きわまりなかった初期の「ヘタ」さから、努力を重ねて現在の絵柄、すなわち「ファッションもインテリアも会話もバンド・ライブシーンも、見愡れるほどにファッショナブル」(藤本)というところに到達したことをのべている。

 私も矢沢の初の単行本『15年目』(右図参照、矢沢、集英社、7ページ)から読んでみたが、たしかに絵柄からは現在の矢沢(左図参照。矢沢、集英社『NANA』11巻、210ページ)を片鱗すら感じない。同じ作家であればどこかしらに「その人らしさ」が残るものだが、矢沢にはそれがない。
 それほど前のものと比較しなくても、『天使なんかじゃない』(1991年連載開始、下図左、集英社、矢沢、完全版1巻p.32)と『ご近所物語』(1995年連載開始、下図右、集英社、矢沢、1巻p.160))の間では飛躍ともいえる絵柄の発展をおこなっている。

 七尾藍佳は、矢沢のこの変化を「恐らくその理由は、戦略性にあると思われる」「言ってみれば、矢沢あいはその時の流行にとにかく敏感なのである」(※2)と指摘し、少女漫画的な購買層以外の層、たとえばゴシック(音楽ジャンルの一つ)などを聞く層、というよりゴシック音楽そのものには手が出ずにそれっぽい雰囲気を楽しみたい層を鷲掴みにしてしまったとのべる。

 歌人の枡野浩一は「キャッチーな『決めセリフ』の多さに驚きます」(※3)とセリフに注目。

 いずれにせよ、絵柄やセンスの先鋭さは、いやらしい言い方をすれば、『NANA』にとって欠くことのできない触手である。
 藤本はこうのべている。「『NANA』には、『少女漫画』の本質でもある『ひたむきさと純粋さ』が息づいている。『ひたむきさと純粋さ』。それはふつうは『ださい』ものだ。だが『NANA』の中では、一歩間違えばべたついたものにもなりかねないその懸命な感情は、ファッショナブルな舞台装置と奇跡的なバランスをとり、この上ない鋭敏さや繊細さとセットになっている」(※3)。
 ぼくは「ひたむきさと純粋さ」という総括はしないが、あとでのべるように、少女漫画の「友情」「絆」という「ださい」テーマが核にあると思っている。その核をそのままで放り出さずに、ファッショナブルなものに包みこむことでその敷居を下げているのだ。ふだんなら素通りしていくような層が、わんさとその触手にからめとられている

 変化球だが、ぼくが集めたアンケートには、次のような指摘もあった。

「『NANA』が爆発的に売れるのは隠れ男性ファンが多いことだ!今まで少年マンガに爆発的なヒット作品があって少女マンガに少なかたのは男性&女性が共通して読まれることがなかったからだと思う。『NANA』にはコテコテの少女マンガの世界に、ぶっとんだ少年マンガ的なギャクの要素がある。シリアスな場面にもそのシリアスさを壊さずして思わず『ぷっ』と噴出してしまうようなギャクが出てくる。これがヒットにつながってるはず。今まで持っていた少女マンガに対する概念を打ち砕かれた気分」(36歳・男)

 ぼくは、この人ほど『NANA』のギャグが革新的だと思ってはいないが、ギャグの色合いを『NANA』のなかに作者が必死にとりこもうとしているのはわかる。そしてそれはそれなりに成功している。
 社会学者の鈴木謙介は「どうして恋をするだけでは幸せになれないか 矢沢あいにおけるイノセント」という一文(※2)のなかで「『NANA』の中には明らかに『ハッピーマニア』に影響を受けたと思われる構図、ギャグ、せりふなどが存在している」という注釈をつけている(『ハッピーマニア』を『NANA』の参照にもちだすのは、作家の阿部和重もやっている=※1)。
 これも、いわば矢沢あいがその「戦略性」としてとりこんできた他の作品の先進性の一部であり、そのとりこみ自体が矢沢の成長だといえる。

 矢沢は変化する。常に新しいものをとりこみ自己を変える「変態力」をもつことで、少女漫画にとっての本質的なものを「ださく」なく提出できる能力を身につけたのである。

 『NANA』の担当編集者は、連載誌である『Cookie』の性格を、『りぼん』的少女漫画からは卒業していく層は、「現実の自分の生活の中で起きる出来事に忙しくなり、マンガ誌よりもファッション誌を定期的に購入し出す傾向があり」(※1)そこに照準をあわせた雑誌だ、とのべている。
 いわば、少女漫画の枠組みが、少女たちに急速にリアルさを失っていく年齢期があるわけで、少女漫画的な夢想につきあいきれなくなるのである。そして少女漫画がしめそうとする「核」が「ださく」見えてしまう。
 「だささ」を感じさせずに、「現実との地続き感覚」をどうつくりあげるか――という問題設定がここにうまれる。藤本由香里は、「この『街と地続き』の感覚を、矢沢あいは、少女マンガ誌ではなく一般のファッション誌である『Zipper』で『Paradise Kiss』を連載した時に、実感として手に入れたのだと思う。内面に閉じた少女マンガの世界ではなく、街に向かって開いた作品世界へ」(※1)と分析した。
 他方で、七尾藍佳や鈴木謙介は、キャッチーな絵柄にすることで、ゴス予備軍、非コギャルといった「個性的な自分」を演出したがっている(がヌルい)層をごっそり獲得した、という言い方をしている。

 いずれにせよ、絵柄やセンスが、支持層をひきつける重要な触手になっている。



(2)対照的な二人を配することで、それぞれの生き方が浮き彫りにできる



「対照的すぎるくらい対照的な二人のNANAの存在感がすごいと思う。どちらのNANAが好きかは割れると思うけどね。私は個人的にはアグレッシブな方のNANAが好き。いいよあの攻撃的なとこ。ただハチの方のNANAには多かれ少なかれ羨ましさを感じるのも否めないとこかな。あそこまで恋愛気質に生きれるってのはある意味、幸せなんだと思う。世の中の普通の女性は、(普通っていう定義が難しいけど・・・。)特別な能力、趣味、特技、資格、職(ここでの職はかなり専門分野ってこと)がなければ悔しいけど男性に愛された方が幸せだと思う。いくら男女平等と言うものの、普通女性が一人で生きていくのはやっぱり大変だし限りなく不可能に近いと思う。むちゃくちゃ生活レベルを下げれば別だけど、お洒落したいし美味しいもの食べたいって思うと物理的に無理なんだよね。そうすると男性に愛されるのが幸せの近道なんだよね。悔しいけどね。でも実際そうなんだよね。ただ、やっぱり恋愛オンリーにもなれない人が多いんだよ。だからハチにはある意味憧れる。バカな女だなぁ・・・と思いながらも反面、可愛いって純粋に思う。私にはできない技だけど」(35歳・女性)

 なにも予断をあたえずにもらったアンケートだったが、なんてドンピシャな回答なんだと、もらったときぼくはびっくりした。
 『NANA』の担当編集者は、「ナナと奈々という対照的な2人を主人公に置くことによって、大きな世界観を描けること」と『NANA』のオリジナリティを語るが、そのねらいどおりの反応をここでは示している。

 「赤旗」日曜版の『NANA』特集記事に出てくる静岡の看護学生(20歳)も「ほれやすいハチ、いちずなナナ。どっちの気持ちもわかる。自分みたいなところもあるし、応援したくもなる」とその対照性に着目した発言をしている。「われら高校生」紙では「ナナが、夢に向かって一直線にがんばるところは自分のつよいところ。ハチのいまいち前にすすみきれなくて、恋愛に逃げてしまうのは自分の弱いところ」と高校2年生の女性が答えている

 これらの一連のアンケートやインタビューを読むと、ナナにもハチ(奈々)にもどちらにも共感しているように見えるが、読者の目線はおのずとハチに合わされている。恋愛体質、夢見がち、フリーター、頼りなさというハチこそ『NANA』読者の分身である。『NANA』のノベライズを手がけた下川香苗は「小松奈々というのは、女性読者からすると一番感情移入しやすいキャラクターなんですよ」(※1)と述べている。
 他方でナナは、自分が今一つそうなりきれない「あこがれ」もしくは「そうなりたい自分」でもある。もちろんナナ自身が強そうに見えてさまざまな弱さと脆さをかかえていて、それが逆に「ナナ」を遠い存在にせずに、自分にひきつけたものにしている。

 しかし、『NANA』という作品、さらにいえば、ハチ的なものに惹かれるメンタリティを気に食わないとするむきも世の中にはある。
 映画ジャーナリストの大高宏雄は、『NANA』のような自分の身近なものを描いた作品にしか関心をよせない「最近の若い人たち」への不信感をあらわにし、この『NANA』への熱中を「物事を深く考えることが減っているということ」とのべ、「物事を考える自身の思考の核がないから、素直にならざるをえないし、自身のことにしか関心が及ばない」のだと酷評。あげくに、それは細木数子に説教されてウンウンうなずいている人種と同じメンタリティだとこきおろしていた(※4)。



(3)友情や絆の強さ


 ぼくが、この作品のなかでもっとも強く感じたのはこの点であった。
 鈴木謙介は『NANA』について「中心的なテーマになっているのはやはりハチの恋愛」(※2)とのべているが、これは違うと思う。下川香苗も「実は私は、『NANA』をいわゆる恋愛マンガだとは思っていないんです」(※1)と明確に否定し、『NANA』の担当編集者は「恋愛より、2人の友情に軸が置かれていることも、従来の少女マンガにはあまりになかった点」(※1)だとのべている。

 たしかにナナとハチ(奈々)との友情はその中核に位置していると思う。
 ハチが妊娠しようが失恋しようが、ナナがスターダムにのしあがろうが、恋や仕事がどのように激しく浮き沈みしようとも絶対に変わらない2人の友情は、読む者の心に強く残る。
 ただ、「女性の友情」を描くこと自体は、『NANA』に始まるわけではなく、「一九九〇年代は、男の子との恋愛よりも、時として女どうしの絆の方が大事、という作品が描かれ始めた時代でもあった」(※1)と藤本が指摘したように、以前からあった。

 『NANA』の世界は、その中核となる2人の友情をとりまく形でトラネスやブラスト(どちらもバンド)のメンバーたちがいずれも表面的ではなく深いところで「絆」で結ばれた共同体を形成し、家族とさえいえるような「あたたかさ」につつまれている。
 たとえばヤスはナナへの恋情はあるけども、さらにそれをこえて、ナナとレンの恋愛を成就させてやりたいという慈父のようなあたたかいまなざしを送り続けている。
 レイラもタクミへの恋情をかかえつつもそれを抑圧している。しかし、この共同体への深い信頼をよせつづけている。

 友情や絆の共同体がある。恋愛感情や仕事は、それをしばしば破壊するものとして登場する。ところが『NANA』的世界は、恋愛や仕事を超克してその絆の共同体を維持し続けるという、空前絶後の世界、ユートピアなのである。

 矢沢あいの初めての単行本である『15年目』、その冒頭に掲載されている標題作は、やはり幼馴染みとの友情が同じ人を好きになることで破壊されてしまう物語である。そして物語のラストでは、友情も恋愛も救済される。
 矢沢の中期の代表作である『マリンブルーの風に吹かれて』でも、やはり2人の男性が主人公の女性を好きになることで3人の間にあった友情が破壊されてしまう。
 最初の大ヒット作である『天使なんかじゃない』は少々変則的で、いったん主人公たちの恋愛は破綻するが、物語は主人公たちをめぐる絆の共同体を修復することにみんなが総力をあげ、その修復が完成するとともに、恋愛も再建される。

 2人の間の友情、というにとどまらず、そのまわりにもある友だち全体の友情、絆の共同体ともいうべきものを矢沢はずっと追いかけてきた。
 『NANA』はまさにこの絆を正面から描き、さらに、これを「すでに失われて永遠に戻ってこないもの」という悲劇の結末を予想させる設定をもつことで、他のどの矢沢作品にもない繊細さを表現することに成功した。この設定ゆえに、絆のかけがえのなさはいっそう浮き彫りにされている。

 ひとは分断され競争し支配される世界のなかで、共同体を、絆を、渇望している。
 しかし、猖獗をきわめる「しょせん人間は独りである」「孤独な個が闘争しあうのがこの世だ」という世界観の前で、臆病にもその欲望には手が出せない。そのようなものを称揚するのは「ださい」と。
 そこに矢沢の「キャッチー」で「ポップ」な絵柄とセンス、感情移入できるキャラ、そして正面から描かれた絆の共同体がくれば、これはもうイチコロだというわけである。




※1:太田出版「Quick Japan」vol.61
※2:青土社「ユリイカ 詩と批評」2003年11月号
※3:朝日新聞2005年9月1日付
※4:朝日新聞2005年10月7日付夕刊

集英社りぼんマスコットコミックスクッキー
1〜13巻(以後続刊)
2005年10月25日感想記
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