魚喃キリコ『strawberry shortcake』




 ぼくは、あんまり好きな漫画家じゃなかった。ていうか食わずぎらい。絵柄を一目見て「なんかスカしやがって、このやろう」という気持ちになってしまったのだ。

 フィールヤングでみたときも、このシリーズの1話だけで、やっぱりただ単にクールを気取っているだけのように見えてしまった。
 だから、この1冊を買うっていうのは、CDのジャケ買いみたいに、けっこう勇気のいることだった。
 しかし、読んでみるとなかなかイケる。つい、『南瓜とマヨネーズ』『blue』までどんどん買っちゃったよ、オイ。
 とくに『blue』は、すっごくキレイな話だった。海辺の女子校の女の子2人の友情と愛情の交錯を描いているんだけど、これを読むと吉田秋生の『櫻の園』なんかもやっぱりあれはもう80年代のお話なんだなあという古臭さをかんじてしまうくらいにすごかった。ああいうピュアさをあらわすのに、まったくふさわしい絵柄だと見直した次第である。

 こちらの『strawberry shortcake』のほうは、オビのアオリが、見事に紹介をしているから、それを書いておこう。
「過食症のイラストレーター…搭子   
 自分の居場所を求める事務OL…ちひろ  
 恋の訪れを待つフリーター…里子   
 仕事を隠して男に会いにいくホテトル嬢…秋代

 みんな あなたのまわりにいる女の子です__。」

 塔子とちひろは、ルームメイトなんだが、この2人の屈折や距離感、傷つけあいっていうのが、いちばん興味深かった。
 塔子を心配するように塔子の彼氏の浮気ぶりを部屋に戻るなり告げるちひろの口調は、なんだか浮かれているようにも聞こえる。
 事務OLをして東京での存在価値のなさと対照的に、どの本屋にいっても表紙をかざっている塔子。ちひろは、その仕事への憧憬と嫉妬を感じる。
 相手のためにプレゼントを買ってくるほどに、愛情や友情は感じているのだが、いったん酒をまじえて向き合えば、ひょんなことからそのぎこちない屈折感が、おたがいを支配する。

「そりゃ塔子はいいよね。自分の意見が主張できる仕事持ってて。高いお金もらえて。目立つ世界で名前も知られて。…塔子にはわかんないよね。あたしみたいな人間の苦労とか不安なんか」
「…なにそれ。バカにしてんの」
「バカになんかしてないよ。いいなって言ったんだよ」
「…ちひろが思ってるほど、あたし楽なんかしてないよ? けど、どうせそうゆうの、ちひろに言ってもわかんないだろうから言わないでいるだけだよ」
「――…どうせ…ね。…結局そうやって塔子はいっつもあたしのこと見下してんだよ」

 こんな会話が、あのかわいた絵柄の上に繰り広げられると、ほんとうに金属の上をサンドペーパーでみがいているような、ドライさを感じる。
 最後に、傷ついて田舎に帰っていくちひろに、プラットホームで塔子が声をかける。
「…ちひろ あたしあんたのこと大嫌いだった」
「うん…あたしも塔子のこと大嫌いだったよ」
(どちらが言ったか分からないコトバとして)
「いなくなるなんてさみしいよ」
「今までありがとう」
「元気でがんばるんだよ」

 アニメ『無限リヴァイアス』をみたときもそうだったけど、そこには70年代のころのようなベタベタした友情とか愛情というものは、ほんとうにうそくさいものとしてカケラも残らないほど追放されている。かわりに、それをあらわす友情や愛情の表現というのは、どこまでも索漠とした、お互いを利用しあったり排斥しあったりして、しかしギリギリのところで結ばれたり生まれたりするものとして描かれている。

 そこまでいかないと リアリティが成立しないのかなあといぶかりたくなる反面、それもアリかな、とも思ってしまう。

採点70点/100
年配者でも楽しめる度★★☆☆☆

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