筒井康隆・七瀬三部作/90点



 『家族八景』『七瀬ふたたび』『エディプスの恋人』(いずれも新潮文庫)がこれにあたる。
 『家族八景』はドラマ化され、他の七瀬シリーズも、現在ヤングマガジン誌で、山崎さやかがマンガ化している。

 精神感応能力(テレパス)――いわゆる読心の能力をもつ、美しい女性・火田七瀬が主人公。
 この一連の作品の面白さは、なんといっても、本当に人の心をのぞいているような気分になることだろうと思う。たとえば、『家族八景』は七瀬が「お手伝い」になった8つの家族のドラマを描いていて、現代の家族をその心のなかからぜんぶのぞいてみようという、蠱惑的ともいえる短編集。

 「無風地帯」は、絵に描いたような「明るい家族」の心のなかに、いかに腹黒い計算が飛び交っているかを描く。
 「澱の呪縛」は、思春期の子どもを大勢抱える家族の、生臭さと清潔感の交錯。たとえば、体液のついた下着とか、エロ本とか。
 「青春讃歌」は、浮気をしている夫婦。
 「水蜜桃」は、定年となった男性が、その一家のなかでの地位や権威の凋落をあせり、その回復のために、わがままな強姦を計画する話。
 「紅蓮菩薩」は、知識人の家で、七瀬がテレパスの能力を見破られそうになるストーリーで、そこに妻の嫉妬が加わる。
 「芝生は緑」は、他人の家庭が気になる家族。野卑た関心と、虚栄心・嫉妬心が入り交じる。
 「日曜画家」は、俗で下品な妻・息子と、無垢で何の邪心もない夫の話。
 「亡母渇仰」は、マザコン。そこに、強烈な嫁と姑の確執。

 たとえば、冒頭の「無風地帯」では、次のような描写がある。( )が心のなかをあらわす。

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「いいんだ。でかい方がいい。それで飲むから」と、潤一がいった。(きいた風なことをいうな。おせっかいの馬鹿女め)
 叡子はにやりと笑った。(ふん。いい格好してさ。アル中)
 久国も、にやりとした。「いやにナナちゃんにやさしいじゃないか」
(どうして、そういうことだけにぴんぴんくるんだよ。このエロ爺)「ぼくは、すべての女の子にやさしいんだ」(手前の情婦にだって、やさしくしてやってるんだぞ。この老いぼれ)
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 筒井は、フロイトの大ファンで、随所にその影響をみる。
 だから、その知識を駆使した、「あたまのなかをのぞく」という描写も、立体的で興味ぶかいものが多い。
 上記のは、ただのタテマエとホンネの話だけど、たとえば、意識が断片的に流れたりするのとか、言語ではなく図形で相手を認識したりするのを、以下のように表現したりしている。

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(罵倒)(憎まれた)(看病すればするほど憎まれた)(近所の家に聞こえるぐらいの大声で)(わたしを殺すつもりか)(馬鹿)(叫んだ)(叫び続けた)(看病にまごころがこもっていないと、怒鳴りつづけられた)
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 七瀬は卓袱台に向って正坐したまま、心ではいそがしく天洲の真理をまさぐっていた。彼女は少し驚いていた。そのように奇妙な意識の働きを見るのは初めてだった。
 天洲の意識野に映じていて登志の顔が、たちまち、押し潰されるようにぐにゃりと平たくなった。そしてそれは四隅だけが鋭角になったダークグリーンの長方形に変形した。その長方形には目も鼻も口もなかった。しかし、登志が何か喋るたびにその横長の長方形の尖った四隅のどれかが微妙に震えるため、その図形が依然として天洲の内部では登志を意味していることがわかるのだった。
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 ほかにも、発狂したときの人間の意識、断末魔の意識、セックスの最中の意識、言語の整然たる体系をとらない「ヘニーデ」の状態の意識など、じつにさまざまな意識を、読者はのぞくことができる。

 文句なしにおもしろい。

(新潮文庫)



採点90点/100

2003年 2月 4日 (火)記

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