藤原彰『南京の日本軍』


南京の日本軍―南京大虐殺とその背景

『国が燃える』事件での“巧妙さ”
 本宮ひろ志『国が燃える』が南京事件を描いたとき、自民党や民主党の地方議員などから集団でクレームがついた。集英社は結局それに屈し、大幅な描き直しを単行本でおこなうことになった。

 この地方議員たちの作戦はなかなか巧妙で、抗議文をよく読んでみると“南京大虐殺などなかった”という論点にはふみこまずに、“南京大虐殺は論争中の問題なのに一方的に決めつけるなんて、実名をあげられた軍人遺族の気持ちをどう考えているのか”“百人斬りや写真は捏造だ”というところに話をもちこんでいる。すなわち、事実の存否を問うているのは、百人斬り(南京攻略にさいして日本兵二人が殺害数を競い合ったという事件)と、資料となった写真だけなのである。南京事件全体は「論争中」という扱いしかしていない。

 あとで集英社に抗議した地方議員がブログで“南京で虐殺があったかなかったかという論争をやる気はない、やりたい人はご自由にどうぞ”というむねを書いていた。ぼくはその一文を読んで、その議員が「へへっ! その論点は巧妙に回避してあるもんね」と、ほくそ笑んでいるように感じたのだ。
 それはその人々の作戦の意図が奈辺にあったかということを示すものである。

 もちろん、多くの国民はそんな細かいニュアンスなんて知らない。ニュースのヘッドライン(せいぜい短信)をだけ読んでいる。結果として集英社が「描き直し」に応じることによって、「南京事件を描いた漫画が抗議によって描き直しになった」という事実だけが残り、「ありもしなかった南京事件を描いた本宮と集英社は抗議によって取り消さざるをえなかった」という空気を醸成するのに役立った。



『国が燃える』事件で本宮・集英社はどうすべきだったか
 ぼくは、

1)南京事件そのものがなかったとはとうていいえず、それ自体は歴史の事実である。
2)個々の事実は「論争」や「検証」において修正されうるし、あれほどの大混乱のなかでの事件だけに、その種の論争や検証は、冷静な範囲なら歓迎されるべきである。

と考える。

 さきほどものべたように、地方議員グループがあげているなかで、二つだけ具体的な事実への批判がある。それは「百人斬り競争」と「写真」だ。
 「百人斬り」は裁判で係争中だが、そうやったと言いうる証言などがあり、仮にこれが「論争」問題であるにせよ、その一方を支持して作品を描くことはじゅうぶんにありえると考える。それは作者や出版者の自由である。

 ただ、資料として使った写真のうち、兵隊が「強姦した女性と記念写真」をとっている「写真」については、写真そのものの真偽を脇においておくとしても、本宮はその写真に写っている兵隊のかぶりものを日本兵のものに描き換えてしまっていた。これはやるべきではない修正だったのではないかと思う。だとすれば、本宮は冷静に、上記の2)の立場から、それを訂正すればよかったのである。そして、それ以外の点は修正に応じる必要はなかったはずである。

 南京事件の権威である笠原十九司も、写真の誤用をみとめて反省文を書いたことがある。

「批判され気づいた時点で誤用写真を改めれば、著書全体の信憑性はより高くなる」(笠原)

 本宮の場合、「誤用」とは違う性格の問題だが、本宮にはこれに準じる精神で対処し、南京事件の非道そのものについては堂々と再論してもらいたかった。結果はそのようにはならなかったが。




南京戦の概略
 さて、それで本書『南京の日本軍』である。

 わずか120ページていどの薄いパンフレットであるが、1997年時点での南京事件の研究の精髄をおさめている。

 前半は、南京事件の概略である。

 「1 南京戦への道程」では、日本が満州を支配下におさめてから華北に野望の触手をのばし、華中の上海へ戦線を拡大し日中全面戦争に発展していく、というところから話がはじまる。
 この戦争は日本側自身に訴えるべき大義が弱かったとされる。「暴支膺懲」などという、日本国内の居酒屋談義では通用しても、少なくとも国際社会に何か申し開きできるような大義ではとうていなかった。しかも中国に生まれつつあったナショナリズムを軽視し、早く片づくと馬鹿にしていたのである。
 よって、上海では思わぬ苦戦をしいられ、兵力の逐次投入の愚を犯し、大損害を出してしまう(これが中国にたいする、現場の日本軍の激しい敵愾心をあおった)。
 ようやく上海の中国軍が総崩れになると、日本軍の各部隊は南京一番乗りをめざして制令線を無視して、つぎつぎと前進をしていってしまう。なしくずしに上海戦から南京戦へうつっていったのだ。そこではまったく補給は無視され、「徴発」という名の掠奪に依存することになった。

 「2 南京攻略戦の展開」では、南京を日本軍が落とし、捕虜などの大量殺戮をおこなう過程が描かれる。中国軍は南京死守をとなえていたために退却の時期をのがし、日本軍の完全包囲をゆるしてしまう。そうなってはじめて撤退命令をくだし、司令官がまっさきに逃げた。
 このため、南京の中国軍は全線にわたって総崩れとなり、脱出のための戦闘、投降、安全区へ一般人にまぎれて逃げるものが続出した。
 日本軍は大量の投降兵をつかまえるとともに、敗残兵を徹底して「剔出」し処刑した。
 ちなみに、藤原は、南京防衛軍15万のうち、蒋介石のもとにもどってきたのが5万、戦死者が1万、逃亡が1万とし、のこり8万を捕虜などとして殺害された兵だという試算を紹介し、これを支持している。


史料をつかった検証
 「3 捕虜の組織的殺害」「4 市内掃蕩と集団処刑」では、史料をつかった掲題の検証である。
 ポイントは、すでに日本はハーグにおける「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」を1912年に批准しており、捕虜に対する人道的処遇を守る責任をもっていたことである(事件否定派は捕虜の殺害や便衣兵殺害は不法殺害ではないと主張している)。
 戦争ではなく事変だから戦時国際法は適用しない、と日本政府が宣言し、陸軍の通牒でもなるべく規定を尊重すべきだが、「俘虜」等の名称はさけろ、と指示した。これでは現場では俘虜をつくるなとうけとられかねない、と藤原は指摘する。
 くわえて、現場では捕虜を給養するだけのゆとりがまったくないという現実的要請にかられ、これらがあいまって捕虜の殺害へむかったと指摘する。
 日露戦争などとの捕虜の扱いについての比較も興味深い。「日本はみずからを近代国家として世界に認知させようとしているあいだは、戦時国際法を遵守する努力をしていた」。しかし、アジア諸国にたいしては別で、日清戦争では旅順の清国兵の大虐殺をおこなっている。

 「5 市民への残虐行為」では、捕虜殺害とならんでの南京事件のもうひとつの「核心」だとする。
 ここでも主に史料を使った検証がおこなわれ、市民の殺害とともに、強姦が非常に多く発生したことを追っている。

 岡村寧次中将は、回顧録で次のように書いた。

「上海に上陸して一、二日の間、先遣の宮崎参謀、中支那派遣軍特務部長原田少将、杭州特務機関長萩原少佐等から聴取したところを総合すれば次のとおりであった。
一、南京攻略時、数万の市民にたいする掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である
一、第一線部隊は給養を名として俘虜を殺してしまう弊がある」




犠牲者数だけを焦点化する議論の是非
 前半の終わりは、「6 南京大虐殺の本質と規模」という、事件のまとめであると同時に、各種の議論への簡潔な反論をしている。
 藤原はもともと南京事件の数そのものの議論にはあまり重きをおいていない。
 次のようにはっきりと述べている。

「南京大虐殺の犠牲者数はどれほどであったかをあきらかにすることは、現在となってはきわめて困難だといわなければならない。もともと犠牲者は何人だったかという議論そのものが問題なので、期間と地域をひろくとれば犠牲者数はいくらでもふえるのである」

 そして、藤原は、南京攻略のはじまった1937年12月はじめから日本側が治安が回復したとする翌38年3月までをその期間とし、範囲を南京城内だけに狭めず、南京市街と南京行政区の6県にとっている(事件否定派は、この期間と範囲をできるだけせばめようとしている)。

 その結果、藤原がくだした結論は「南京とその周辺で犠牲となった中国軍民の数は、二〇万をこえているだろうということができる」というものである。これは最近日中韓で共同で出版された共通の歴史本でも採用された数字である。30万という数字は否定された。



殺害そのものは否定し得ないし、数自体は変わっていくだろう
 ぼくは、(1)期間や範囲のとりようで数字はかなりかわるし、また、捕虜や便衣兵を殺害したことを不法とみるかどうかという議論はたとえあったとしても、それはたんなるカテゴライズの問題であって、少なくともそこで大規模な殺害がおこなわれていたことは間違いない、(2)犠牲者数そのものや証拠自体は今後もかなり揺れ動き、ときにはある部門がすっぽりと採用できない証拠になる可能性もあるだろう――という実感をもった。
 しかし、それをもって南京事件はなかった、ということはとうていいえないだろうという実感もえた。カテゴライズや個々の証拠が揺れ動いているだけであって、事件そのもののコアは否定派であれど消せないからである。

 Amazonのカスタマーズレビューで「いずれにせよ、この手の数がはっきりしないのは当然であり、したがって数の多寡は本質的な問題ではないが、著者たちは多様な史料を通じてできるだけ実証的にその問題に迫っている。少なくとも勝手な想定で最小限の確実な数を出すより、状況に合致した大まかな数を呈示する著者たちの考察の方が妥当に思える」とのべている人がいたが、まことに当を得ている。

 後半は、南京事件がおきた背景と原因をさぐっている。
 p.122にまとめが書いてあり、それを読むと後半の主張が大まかに理解できる。

 ぼくとしては、軍の幼年学校出身者が幹部をしめるようになっていく、という問題の指摘に注目した。
 13歳から集められて軍隊のことばっかりエリート教育されていれば、平衡感覚を欠いた、とんでもない人間ができるわなあ。


 史料にもとづく研究の成果によりながら南京事件の概略を簡単に知るためには、絶好の一冊。




藤原彰『南京の日本軍 南京大虐殺とその背景』
大月書店
2005.5.31感想記
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