井崎正敏『ナショナリズムの練習問題』
たいへん刺激的な一冊だと思う。
筆者井崎は、偏狭な民族主義・排外主義に堕していくナショナリズムを厳しく批判する。
他方で、ではナショナリズムを否定すればナショナリズムは克服できるのか、と借問し、そうではなくナショナリズムを「品格ある公民ナショナリズム」へと鍛え上げることを主張する。
反ナショナリズムを主張するむきには、次のような批判をあびせる。
「みずからもその一構成員である国民という
内側の
立場からの批判であれば、政府に対しても、国民に対してもより強い説得力をもつことができるが、外部や他者という名の
超越的な位置
に仮託して批判がなされた場合、思想の受け手にどれだけのリアリティが伝わるのだろうか」
序章において、井崎はその主張の骨格をしめす。すなわち、国や民族をこえた
「普遍的な価値」(人権や自由)の実現こそ国家の目的
であるが、
その価値は多様なローカルなものに担われなければならない
、とする主張である。
第1章「希望としての国民」では、近代の草創期が抱いた、ナショナリズムの健全な「若々しさ」に注目し、その息吹にふれることを説く。すなわち少年期のナショナリズムだ。『クオレ』のイタリアであり、明治維新の日本である。ただし、そこに後年のナショナリズムのもつ残忍さもすべて胚胎されているとして、決してナイーブに接してはならないが、と警告しつつ。
第2章「国体論の廃墟のなかで」は、戦後日本においてなぜナショナリズムが育たなかったかを説明する。井崎は坂本義和の次の一文を紹介する。「日本のデモクラシーは日本のナショナリズムの崩壊なしには不可能であったし、デモクラシーが正教として確立される瞬間に、ナショナリズムは異教として葬り去られねばならなかった。……戦後の民主主義者は、反ナショナリストだからとしって必ずしもインターナショナリストではなく、むしろ『無ナショナリスト』となる傾向をたどらざるをえなかった。これほどまで大量の『無ナショナリスト』を産み出したということは、世界に類例をみない戦後日本政治に特有の現象といわなければならない」。公民なき民主国家が戦後の日本だというのである。
井崎は戦後における丸山眞男、清水幾太郎、そして坂本義和の苦闘と挫折について触れる。
第3章「『侵略戦争』の語り方」では、日本の侵略戦争そのものを批判しつつも、その戦後における「克服」がナショナルな心情によりそわない超越的な「語り」であったと指摘する。「東京裁判や戦後左翼の戦争責任追及とは別に、『自存自衛』の論理が『負』の思想遺産であることを国民自身が確認し、それが果した役割についての責任を引き受けていれば、その論理は
内側から
解体されたのである。しかし、国民はそれを試みることなく、ただその論理を支えた心情があてどなく燻りつづけた」。だから、まちがった戦争をしたという侵略戦争批判と、あの戦争を正当化する心情は日本国民の分裂した半身ずつなのだ、と井崎はのべる。
「いま中国や韓国・北朝鮮の国益意識や民衆のナショナリズムと渉りあうなかで、戦争世代の苦い体験を追体験しつつ、『自存自衛』という主観の真実(妄想)と『東亜解放』という自己正当化あるいは結果論から
根底的に訣別し
、より普遍的なインター『ナショナル』な意識を鍛え上げること、いわば、
『海ゆかば』に始まり、『義勇軍行進曲』(日中戦争時の抗日歌、現在の中国国歌)が重なる不協和音の地平から、『侵略戦争』を語り切ること
、この努力なくして、思想の戦後には終止符は打てないのである」。
第4章「国民とはだれか」は、ナショナリズムの概念史であり、p.140にまとめをしている。国民や民族は、近代のものかそれ以前のものかという論争にも関連しているが、井崎は近代のものであるとしつつ、以前からあったエスニシティを発見しつつ、その枠を使いながら、実は他の少数のエスニシティもふくめ、「同じ国家のメンバーである」という合意のみによって近代の国民となったのだ、とまとめる。「ネーション」は政治の主体になることによって、はじめて誕生したのだ、というわけである。
こうして生まれたネーションはさまざまなタイプや歴史段階をふんだが(大きくわけて、排外主義を煽るエスニックなナショナリズムと、普遍的価値を他国に強制する市民的なナショナリズム)、いずれも理想的なモデルとはなりえず、さまざまな問題をかかえた。
そこで井崎は、それらを克服した新しい「公民的ナショナリズム」へと転生しなければならないとして、次章へつなげる。
第5章「自由の原理と共感の理念」では、けっきょく自由や人権といった「普遍的価値」がめざされるべきだが、
それを実現する担い手は「地球市民」ではなく、なぜ「国民」でなければならないか
、という答えをここで論じるのである。
ここで井崎は「反国家」「反ナショナリズム」の方法の、いまの段階での無効を説き、主権は必ずしも人権にとって対立的ではなく、むしろそれをコントロールし人権を実現することができるものであり、しかもそれが国ごとに多様なしかたで存在していることによって多様な選択肢も開かれる、と主張する。
終章「誇りをもってナショナルに」は、この本のまとめで、p.186〜188を読めば、ほぼこの本の結論(あくまで結論のみ)を眺め渡すことができるだろう。
くり返しのべてきたことだが、左翼であるぼくは、しばしばナショナリズムに対抗して「反ナショナリズム」の主張にかこまれることがある。
しかし、本書で井崎が、くだんのイラク人質事件において“ふだんは反国家の人間が、なぜ国家に人質解放の責任や自衛隊撤退を要求するのか”と批判した中西寛の発言をひいていたように、その限りでは、「反国家」や「反ナショナリズム」のスタンスは、たしかに論理的整合性を欠く。
したがって、ぼくは、反ナショナリズムという立場はとらず、「ある種のナショナリスト」だと自称してきた。
ぼく自身が、日常的におこなっている営為とは、国家機構の「粉砕」
ではなく
、国家機構をどう民主主義的にコントロールしていくかということばかりであり、もっとやさしくいえば、たとえば「公立小中学級編成を40人ではなく30人にせよ。そのために予算をつけよ」「中小企業のための予算をふやせ」とか「その予算のねん出は、消費税増税ではなく無駄な公共事業削減や大企業課税でおこなえ」というものである。
主権国家の役割をぼく自身は実践的にも重視してきた。
そもそも日本においては、
前提となる「国家主権」を確立するという課題が残されている
。アメリカの軍事占領を事実上継続され、それに深々と従属している状態を解消することが必要になるのだ。
しかも、
それが果されたとして
、その国家主権を国民がコントロールするという課題が
こんどは
残っている。本書が指摘しているように、民主主義とナショナリズムは一体のものとして生まれてきたものである(「自由・平等・同胞愛」)。
このように、みずからの主権国家を管理するという意志や意欲、えーっともっと早い話、自分の国をよくしていこうという熱情のようなものをもって、お互いが議論し政治に参加する――こういう気持ちをナショナリズムと呼ぶのであれば、井崎がいうように当面主権国家がなくならず、その枠組みがまだまだ生き続けるのであれば、絶対に必要なものである。
戦後民主主義とはまさにそれが出発点であった。
そのようにして、人権や自由といった普遍的価値を実現せよ、というものだ。
いまぼくがのべたことは、戦後直後の民主主義の教科書ていどのことにすぎないが。
井崎が心配しているのは、けっきょく
ナショナルな心情にそわなかったために
、人権などの普遍的価値が国民的に定着しなかったのではないかということである。
たとえば、ぼくは紳助が司会するテレビ番組「行列のできる法律相談」を見ている。
紳助がトークする内容の「セクハラ」で「反人権」的な中身。しかし、それによってまさに番組は大盛り上がりに盛り上がる。考えてみれば、彼の語り口こそがまさに家庭で、職場で、生活のここそこでおこなわれているものの抽出物であり、
あれこそ「ナショナルな心情」に沿うものではないか
、と思うむきもあるだろう(それであの番組の弁護士連中が回答する「普遍的価値」との見事なギャップにはたしかにびっくりする人もいよう)。あのような「居酒屋談義」にむきあいながら、あるいはそれとわたりあいながら、普遍的な価値をどう実現していくか、ということがナショナリズムの真の課題である、ということだろう。
紳助の例はちょっとアレだけど、「国のために死んだ人を悼んで何が悪い!」とぼくに怒鳴ったメシ屋にいた見知らぬじいさんとか、「子どもは叩いたり殴ったりするほど強い子に育つ」という知り合いの親とか、そういう世俗に根をおろした感情にむきあいながらどう普遍的価値をその社会の中で実現していくか、ということを井崎は言いたいのだろうと思う。
ただし、戦後日本の民主主義の到達をそれほど低く見積もる必要はない。
たとえば、女性が職業をもって男性と同じように働く権利があるのだということは、戦前にくらべれば驚くほど進歩し定着したといえる。
そのように定着してきたことが、日本が戦後とってきたナショナリズム
なのであり、それは井崎のいうように課題も多くのこされているものであるが、同時に戦前に比べれば大いに前進した側面も数多くあり、逆に
その中にこそ机上の空論ではない、現実的な日本的公民ナショナリズムのヒントがある
といえるのである。
その意味で、井崎の議論は、戦後民主主義にたいして、あまりにも否定的にすぎると思う。
洋泉社 新書y
2005.5.4感想記
この感想への意見は
こちら
メニューへ戻る